天譴抜刀
「……見たか」
「シュテン、それは何だったんだ?」
「……まあ、俺の本来の姿みたいなもんだ。怖かったならそう言え。別におかしなことじゃねぇ」
「怖くない」
「ほう?」
「ボクは、もっと恐ろしいものを見た」
「……そう。ちっ、最近どうにも制御が利かねぇな。もし京で今みたいな姿になったら面倒なことになる……なあ、イバラキ」
「何だ?」
「ちょっと酒を買ってきてくれねぇか」
「ボクが京へ?でも……」
「いつまでも人から逃げ回ってるわけにもいかねぇだろ。少しは慣れろ、克服しろってことだ」
「シュテンが、そう言うなら……」
「そういや、この前遊郭に行った時に聞いたんだが、最近は源氏の連中がずいぶん熱心に鬼退治をやってるらしい。気を付けろよ、いざという時お前の能力もあるし」
「……分かった」
ハルカの砲撃によって大量の鬼が吹き飛ばされたものの、その効果は著しくではなかった。
地面へ倒れ伏していた鬼たちは次々と身を起こし始め、砕けた肉体を再生させていく。黒い影のような群れが一体、また一体と立ち上がり、しばらくもしないうちに半数近くが傷を完全に塞いでいた。
ハルカはわずかに眉をひそめる。
「ははははっ!何かと思えばその程度か!」
ホシグマは腹を抱えて笑った。
「残念だったなぁ!鬼はそんなもので死なねぇんだよ!ここには千を超える不死の化け物がいる!お前に何ができる!」
「ふーん」
しかしハルカは驚く様子もない。むしろ最初から予想していたような顔だった。
「やっぱりか。じゃあ、あいつの出番だね」
【最初からその予定だったでしょ?もう】
呆れたようにアルテミスが言う。
その言葉にホシグマは違和感を覚え、慌てて砲撃跡へ視線を向ける。
そこには一つの人影があった。鬼たちも同時にそれを気付く。
真っ直ぐに。こちらへ向かって歩いてくる者がいる。
風が吹いた。硝煙を押し流し、戦場の視界を開いていく。
現れたのはただ一人。
黒髪。紅い瞳。深緋色の羽織。腰には一振りの刀。
ホシグマにも見覚えがあった。あれもシュテンがかつて大江山へ連れて来たやつの一人。
「……一人だけ?随分と舐められたもんだな。何度来ても同じことだ。お前らに俺たちをどうこうする術はねぇ!」
それに呼応するように、散らばっていた鬼たちが一斉に集まり始める。
千を超える化け物が、一人の少年へ殺意を向ける。鬼の軍勢が雪崩のように突進した。
フクロは静かに息を吸う。そして一歩だけ後ろへ下げ、左手が刀柄を握る。
だがそれは、いつもの薄緑ではなかった。異様なほど長い大太刀。遠目には持ち主の身長と変わらないほどの長さを誇る巨大な刀身だった。
「――天譴、抜刀」
赤黒い刀身が不吉な輝きを放つ。
フクロは両手で柄を握り、刀尖を鬼の軍勢へ向けた。
「審判」
刀身を赤い雷光が走る。火花が弾ける。
「境界絶刃!」
一撃。それだけだった。
そこへ放たれた斬撃は、もはや剣技ではなかった。荒れ狂う雷そのものだった。
ハルカの砲撃によって鬼たちはちょうど一直線へ押し込まれていたおかげで、津波のような赤雷が鬼の群れを全てを呑み込める。悲鳴すら上がらない。鬼たちの肉体は雷光へ触れた瞬間に灰と化し、存在そのものを削り取られていく。だが雷は止まらない、飢えた獣のように、飽くことなく、一体残らず焼き尽くすまで終わらないとでも言うように。
赤い閃光が京の夜を埋め尽くした。やがて雷鳴が消え、戦場に静寂が戻り、ホシグマは無言のまま前方を見つめていた。
地面を覆うのは黒い灰だけ。先ほどまでいた千を超える鬼は、そのほとんどが跡形もなく消滅していた。生き残ったのは数えるほどしかいない。
たった一人。たった一撃。それだけで鬼の大軍は壊滅した。
フクロは静かに天譴を鞘へ収め、そして顔を上げた。紅い瞳が真っ直ぐホシグマを射抜く。
上空ではハルカが口笛を吹いていた。
「ね、まだ続ける?」
「……はっ」
ホシグマの口元が吊り上がる。
「ははははははははっ!!いいじゃねぇか!この方がいい!この方が面白ぇ!一方的に殺すだけの戦いなんざ退屈なんだよ!やっぱり殺し合いはこうでなくちゃなぁ!」
【こいつ、本当に頭がおかしい……!】
アルテミスが嫌悪を隠さず呟く。
「来いよ!変な鎧を着ているお前か!?それとも刀を使ってるお前か!?誰でもいい!思いっきり殺し合おうじゃねぇか!」
ハルカとフクロは視線を交わした。
だが二人が動くより早く、別方向から猛烈な速度で足音が近付いてくる。
衝撃と灼熱が、ホシグマの顔面へ拳が叩き込まれた。その身体が吹き飛ばされ、屋根を突き破れ、そのまま地面へ叩き落とされた。
ハルカでもない。フクロでもない。
瓦礫を押し退けながら立ち上がったホシグマの前に、一人の少年が立っていた。金色のやや長い髪、透き通るような蒼眼。青黒い羽織に橙色の組紐。右拳に残る炎を消しながら、少年は屋根の上から見下ろしている。
「――ヒヨリ?!」
「おう、ハルカ!元気そうだな!悪い、遅れて――ぶふっ!」
言い終わる前にハルカが飛び付く。機械装甲のまま両腕で首を締め上げた。
「あんたなぁ!めちゃくちゃ格好良く登場しやがって!私の見せ場全部持ってったじゃん!」
「ぐぇ……」
「でもナイス!」
「ちょ、待っ……苦しい……!」
その様子を見ていたフクロが屋根に上がり、呆れたように溜息を吐く。
「遊んでる場合じゃないだろ、まだやることがあるぞ、ハルカ」
「あ、そうだった」
ハルカはあっさりヒヨリを解放した。
「ヒヨリ、こいつ任せていい?」
「げほっ……問題ない。そっちは?」
「東にもっと厄介なのがいる。さっさと片付いたら俺たちと合流しろ」
「あっ、わかった!ってかお前新しい残刻器まで持ってんの?」
「まあフクロにも色々あってね。ちなみに」
ハルカが声を潜めた。
「実はヨリミツの大将たち、さっきのやつのこと最初から計画に入れてなかったんだよ。私もよく知らないし」
「行くぞ」
フクロはそう言い残し、東へ向かって屋根の上を駆け出した。
ハルカも推進器を起動する。
「じゃ、また後でね!」
白銀の翼が夜空へ舞い上がった。
「おう!」
ヒヨリが手を振る。その直後にホシグマが襲い掛かり、ヒヨリは即座に腕で受け止め、そのまま蹴りを返して距離を取った。
「本当に感じ悪いなぁ。一人残らずシュテンやイバラキと同じだ。仲良しごっこをする余裕まであるとはな」
「当たり前だろ」
ヒヨリは肩を回した。
「仲間の方が、お前より大事なんだから」
その言葉にホシグマは愉快そうに目を細めた。
「そうかい?」
漆黒の紋様が彼の全身へ広がっていく。曼珠沙華を思わせる浮想紋。
「お前の大事な仲間と、お前自身の命とじゃ、どっちが大事なんだ?」
ヒヨリは答えない。ただ呼吸を整え、視線は一瞬たりとも逸れない。両拳を固く握り締める。
「……ちょうどいい、師匠から教わったことを試す相手としては、申し分なさそうだ。来い」
結界内の上空に、漆黒の翼がゆっくりと夜空を掻いた。独眼の鬼は西北戦線の一部始終を見届けていた。
眼下では鬼の大軍がわずかな時間で壊滅し、結界へ押し寄せていたはずの軍勢はもはや見る影もない。
「……なるほど。まず京の民を全て僕の視界に収まる場所へ集め、僕の能力で愛宕山へ転移させる。そうして一般人を戦場から切り離した後、守護結界の術式を反転させ、今度は鬼を閉じ込める牢獄へ変える。そして鬼が西北へ集中したところを、あの娘の砲撃で足止めし、最後にあの男の一撃で殲滅する……」
カクシは遠くでなお揺らめく赤い雷の残滓を見つめた。
「短時間で民を避難させながら鬼の軍勢まで始末する。確かによく考えられている」
「だろ?」
不意に下から声が飛んできた。
視線を落とすと、道に立つ碓井サダミツが大鎌を肩に担ぎながら笑っていた。
「蘆屋ドウマンの奴も、あんたまでこっちにいるとは思わなかっただろうな。何しろ十年も消えてたんだ。あいつの持ってる情報なんて相当古いはずだしな。あんたのことを知ってるわけがねぇ。で、五千人を一度に移動させるなんて無茶をしたんだ、今はどうなんだ?こんな時に、一人が無理したら全員危ないからな」
やがてカクシは口を開く。
「……正直、かなりきつい」
「だろうな」
「今の僕は、根印を正常に回せない」
「ふん、だったらセイメイ様のところへ行けよ。俺なんか三日で八割近くまで戻されたぞ。あの人ならあんたにも何とかできるだろ」
しかしカクシは首を横に振った。
「……駄目だ。僕には、あのお方に会う資格なんてない」
カクシはそれ以上何も説明しない、代わりに翼を広げる。
「根印が使えなくても戦えないわけじゃない。まだ鬼が残っている。僕は行く」
そう言い残し、カクシは夜空へ飛び立った。
「あっ、おい!それは俺の担当だろうが!勝手に活躍するな!」
その頃――京の東。
そこには古い寺があった。そして寺の傍らには、百年以上の時を生きる巨大な桜が立っている。
春になれば空を覆うほどの花を咲かせ、人々は口々に語った。あれは神に祝福された神木なのだと。神の手で撫でられたからこそ、百年もの間朽ちることなく咲き続けているのだと。
「実際は違うよ」
桜の幹に手を添えながら、蘆屋ドウマンは静かに笑った。
「たまたまこの世の霊脈の上に根を張っただけ」
夜風が吹き抜ける。舞い落ちた花弁が彼女の足元を流れていった。
「……懐かしい。前にこの桜の下へ立った時、ワタシは自分が何のために生きているのかも分からなかった。やりたいことなんて、全く見つからなかった」
花びらが肩に落ちる。
「けれど今は違う。ワタシは、生まれ変わった」
「だが、君の生まれ変わりのせいで、数え切れない者の人生が奪われた」
冷たい声が返ってきた。そこに立っていたのは、小柄な将軍だった。
彼はすでに刀は抜かれている。静かな殺意が夜気を凍らせていた。
「……源氏の人形か」
蘆屋ドウマンは両手を背に回す。
「シュテンの能力は理解しているでしょう。もしワタシが今、鬼を京へ送るだけではなく、民を全員血池へ落としていたら、アナタたちは何もできずに負けたよ?」
「セイメイはこう言っていた」
源ヨリミツは一歩も動かない。
「君はそんな終わらせ方はしない」
「ほう?」
蘆屋ドウマンは目を見開き、それから小さく笑った。
「五千人の命を賭けて、ワタシの性格を信じたというわけか」
「違う。賭けじゃない、確信だ」
「はは……そうだね。未来が視える者を相手にするというのは、本当に厄介なものだ。長い眠りについていた代償でしょうか、認めざるを得ない。ワタシの持つ情報は、あまりにも古い。だが――ワタシは嬉しいよ。アナタたちはここまで辿り着いた。これほどまでに抗えるようになった」
その瞳には、懐かしむような色すら宿っていた。
「それはつまり、ワタシがすべてを捧げて降らせたあの血の雨が、確かにこの平安京を変えたということなのでしょうから」
そして視線を源ヨリミツへ戻す。
期待するように。
歓待するように。
まるで舞台へ招く演者のように両腕を広げた。
「さあ――」
袖が翻る。
その所作はどこか優雅で、まるで源ヨリミツへ一礼を捧げるかのようだった。
「ワタシに、悪役のワタシに全力で抗って、世界よ――」
彼女の足元に、大地の底から夥しい血が噴き上がった。
「――八熱地獄」




