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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第二章】鬼も地獄も人の内

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檻の京

「だから言っただろう。好きなところへ行けばいいって」

「……分からない」

「何がだ?」

「どこへ行けばいいのか」

「好きにしろよ。あの村にさえ戻らなきゃいいさ。ほら、あれが京だ。この世で一番栄えてる場所だぞ。送ってやろうか」

「嫌だ」

「おい、意地張るなよガキ……」

「人が嫌いだ。人の多い場所には行きたくない」

「……何言ってやがる。俺について来る方がよっぽど危険だぞ。ガキの面倒なんざ見ねぇし、下手すりゃ簡単に死ぬ」

「別にいい。そうなったら母さんに会えるから」

「……お前、名前は?」

「イバラキ」

「そうか。俺はシュテンだ。ついて来ることを許してやる。ただし条件がある。強くなれ、そして生きろ。せっかく俺があそこから連れ出したんだ。無駄にするんじゃねぇ」

「……分かった」


 平安京の構造は単純だった。

 碁盤の目のように整備された大路と小路が都中を貫き、東西には市が置かれ、各所には神社や寺院が建ち並ぶ。都への出入口は大門のみ。さらに宮城である大内裏には南北に三門、東西に四門が設けられていた。

 もっとも、今回の戦いにおいてはそんな知識にほとんど意味はない。

 相手は統率された軍隊ではなく、ただ殺戮だけを求める化け物の群れだ。常識的な戦術など通用せず、どこから攻めてくるかも予測できない。そのため、この日一日、平安京の兵たちは都中を駆け回っていた。

「皆さん、大路へ集まってください!」

「家の中には残らないでください!必ず安全確認を行います!」

 朝から始まった誘導は夜になっても終わらなかった。幅七十メートルを超え、四キロにも及ぶ大路は五千人近い民で混雑だ。入り切れなかった者たちは周囲の道へ溢れ、不安げに様子を窺っていた。

「ふざけるな!こんなの鬼に襲ってくれと言ってるようなもんじゃねぇか!」

「正気なのか!」

「信じてください!皆さんを死なせるためではありません!」

 しかし、一日中待たされ続けた民衆の忍耐も限界に近づいていた。不安は苛立ちへ変わり、騒ぎは徐々に大きくなっていく。

 その時、夜空を震わせる轟音が響いた。

 人々が一斉に顔を上げる。漆黒の空に淡紫色の火花が咲き、その光が五千人の顔を照らし出した。

 そして、何かが空から降りてくる。

 全身を白銀の機械装甲に包み、背中に六枚の黄金の翼を広げた少女――ハルカだった。

「えっ……」

 甘味処のチヨは思わず目を擦った。

「あの人は……」

 人々の視線は完全に空へ向いていた。先ほどまでの騒ぎは嘘のように収まり、代わりに好奇や警戒のざわめきが広がる。

「よく聞け!」

 その静寂を逃さず、屋根の上から力強い声が響いた。

 梁の上に立つ渡辺ツナである。

「我々はあらゆる手段を講じました!常人には想像もつかない力まで動員しています!間もなく安全は確保される、それまでどうか冷静でいてください!」

 一方その頃、上空のハルカ本人は別の意味で感心していた。

「わあ……祭りの日も人が多かったけど、都中の人が集まるとやっぱりすごいね」

【本来なら、この第三空間(サード)の人口はもっと多かったはずなんだけどね。災害さえなければ】

「おっ、アルテミス!元気そうじゃん。屋敷にいる時は全然出てこなかったのに」

【簡単に言わないでよ……。この数日ずっと全力でハタを隠してたんだから。できれば源氏には存在を知られたくないの。特に卜部スエタケには】

「なんで?」

【彼はブリットンスの幻惑使いだよ?万が一私のことを――】

「考え過ぎじゃない?向こうはそもそもあんたに興味ないかもしれないよ?」

【あなたねぇ……!本当に他人事なんだから!まあ私もあなたに何も言っていないが……とにかく!今はちゃんと作戦通りに動くから、ハルカも気を抜くないよ!】

「はーいよ」


 大路から離れた場所では、蘆屋ドウマンが人が集まっている京の中心部を眺めていた。その隣ではホシグマが今にも飛び出しそうな勢いで拳を鳴らしている。

「ははっ!今まで結界の外から眺めることしかできなかったのによォ!こんなに近くで生きのいい可燃物を見られるなんてな!さっさと外の連中も入らせろ!」

「……妙だね。なぜ民を大路へ集めたのでしょう。それに、京の結界もなんか以前とは少し違う。より強固な術式に変えたから、一か所へ集めて守るつもりでしょうか。……いや、セイメイがそんな単純な手を打つとも思えない」

「知るかよ!まさか五千人を一瞬で消せるわけ?」

「彼女なら、そんな術式はできるが、中心部にはそんな痕跡一切見当たらない」

 蘆屋ドウマンはなおも胸中の違和感を拭えずにいた。

 本来ならば、まず安倍セイメイの狙いを見極めたいところだった。あの女が何の意味もなく民を集めるはずがない。必ず何か仕掛けている。そう考えるのが自然だった。

 だが、すでに鬼たちは城外で待機している。

 今さら攻撃を中止させることはできない。そもそも鬼とは命じれば従い、命じれば引き返すような従順な存在ではなかった。無理に制御しようと思えば、それだけ余計な力と手間を費やすことになる。

「……仕方ないね」

 結局、真意を探るのは後回しにするしかない。

 そう判断した彼女は、静かに手を振った。


 夜空に桜の花弁が舞い始める。月は厚い雲の向こうへ隠れ、京を照らすのは無数の灯火だけとなった。

 異変に最初に気付いたのは上空のハルカだった。

「――来た!」

 即座に腕を上げ、夜空へ信号弾を撃ち放つ。

 次の瞬間、大路と並行する東西の地面が裂けた。赤黒い二本の血の道。それは一瞬で京を囲むように伸び、その底は奈落のように果てが見えない。

 そして深淵の中から無数の腕が伸びた。

 鬼が現れた。次々と。際限なく。まるで地獄そのものが口を開いたかのように。

「鬼だぁぁ!」

「どこから現れた!?」

「結界はどうしたんだ!」

 悲鳴が響き渡る。鬼たちは建物を踏み潰しながら突進した。ただ血を求める本能だけで。

 牙と爪が民衆へ届こうとした、その瞬き間に。

 人々の姿が消えた。

 この道の人も、あの道の人も、鬼に最も近かった者たちから順番に消えていく。それだけではない。中心部にいた人々までもが次々と姿を消し、誰一人傷つくことなく五千人全員、京から消失した。

「きゃっ?!」

 チヨの視界がぐらりと揺れた。何が起きたのか理解する間もない。気付けば足元の感触が変わっており、慌てて周囲を見回すと、そこは見知らぬ山林だった。驚いているのは彼女だけではない。周囲では何もない空間から次々と人々が現れ、誰もが状況を理解できずに戸惑っていた。

「京が見えるぞ!」

 誰かの叫び声に振り返ると、遠くに平安京の灯火が見える。先ほどまで確かにあの場所にいたはずなのに、今は都の外にある山の上だ。

 混乱する人々の前で、京の上空に再び光が炸裂した。恐らく、また何らかの信号弾であろう。

「皆さん、聞いてください!」

 甲冑姿の兵士が声を張り上げた。

「皆さんは今、安全です!ここは愛宕山!鬼は一匹たりともおりません!平安京を守っていた結界は、今や鬼を閉じ込めるための牢獄となりました!」

 その言葉を聞いた瞬間、人々の緊張は一気に解けた。

「そういうことだったのか……」

「俺たちを一か所に集めたのは、鬼を京へ誘い込むため……」

「それで私たちだけを安全な愛宕山へ移したんだ!」

「すごい……!」

 安堵の声が次々と上がり、歓声が山中に広がっていく。

 だが、その中でチヨだけは首を傾げていた。

「……ヨリミツ様たちは?それに、さっき空にいたあの女の子は……?」

 誰も答えなかった。

 人々もようやく違和感に気付き始める。周囲を見回し、知った顔を探すが、京を守っていた将たちの姿はどこにも見当たらない。

 やがて兵士は薙刀を握る手に力を込め、静かに口を開いた。

「……先ほども申し上げた通りです。今、京の中にいる者たちは全員、結界の内側に残っています。ヨリミツ様をはじめとする将兵の皆様も、その中です」

 歓声はぴたりと止んだ。

 先ほどまで浮かんでいた安堵の色が、人々の顔からゆっくり消えていく。

「皆様を逃がすため、あの方々は自ら京へ残ることを選ばれました。今度こそ鬼を全て滅ぼすために。たとえ、その果てに待つものが相討ちであろうとも」


 その頃、京の中では異変が起きていた。

 鬼たちは一斉に西北――愛宕山の方角へ向かっていた。何重にも重なりながら結界へ殺到し、狂ったように体当たりを繰り返している。途中の建物はすでに原形を留めていなかった。

「どういうことだ……!」

 ホシグマは怒りに顔を歪めた。

「五千人だぞ!どうやって一瞬で愛宕山まで移動させやがった!術式なんてどこにもなかったじゃねぇのか?!」

 拳を握りしめ、彼はどんどん何かを悟ったらしい。

「愛宕山……よりによって愛宕山……まさか、いや、ありえない、鬼がこんなのをするはずが……」

「ん?」

 その時、頭上から聞き慣れない声が降ってくる。

 顔を上げたホシグマの目に映ったのは、淡い橙色のツインテールを揺らす少女だった。

「……お前、シュテンが昔連れて帰ってきたやつじゃねぇか!なんで源氏なんかと一緒に戦ってやがる!」

「え?私のこと知ってるの?ごめん。全然覚えてないや。あとあんた、ちょっと邪魔よ」

「……は?」

擬録(ディスガイス)

 機械翼が展開し、左腕の重装甲が粒子となって分解される。白銀の光が空中へ集まり、一つの巨大な兵器を形成した。

 幾重もの銃口を備えた巨大な重機関砲。

「エンバーノヴァ!」

 砲身が回転を始めた。無数の火線と無数の爆発。ホシグマは咄嗟に飛び退いたが、すぐに異変に気付いた。

 彼は狙われていない。ハルカの銃口は最初から自分へ向いていなかった。その先にいるのは、西北の結界へ群がる鬼の大群だった。

 砲撃が端から端まで薙ぎ払う。火薬と爆炎が夜を染め上げ、連続する爆発音は三十秒近く続いた。やがて硝煙が京の空を覆い尽くし、砲身の回転が止まる。

 煙が晴れた時、そこに立っていた鬼はわずかだった。三分の二近くが地面へ倒れ伏し、生き残った者たちも身体を吹き飛ばされながら必死に再生している。

 たった一度の掃射で鬼の軍勢は壊滅状態に陥っていた。

「……この小娘が」

 ホシグマの顔が怒りで歪む。

 腕に黒い浮想紋が浮かび上がり、右腕へ灼熱の力が集中していく。

「可燃物の分際で……!」


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