愛宕山
那須野の静寂を切り裂くように、突如として一筋の火光が天へと立ち昇った。続いて轟音が響き渡り、驚いた無数の鳥たちが一斉に飛び立っていく。
ヒヨリは目の前で粉々になった岩と、周囲で燃え広がる火の粉を見つめながら、悔しそうに右拳を握り締めた。
「はぁ……」
タマモは大きな欠伸を一つ漏らす。
「せやから言うたやろ、ヒヨリ。おぬしがやっとるんは、ただハタの出力を無理やり引き上げとるだけや。浮想紋いう技はなぁ、ハタをどれだけ繊細に扱えるかが肝なんよ。おぬしと一緒におるフクロいう美人ちゃんは、その辺りがほんまに上手うてな。妾ですら、あと少しで手傷を負わされるとこやったわ」
「……俺だってあいつとの差が大きいことくらい分かってる!だから少しでも早く強くなりたいんだよ。それに今頃、平安京はどうなってるのか……イバラキは無事なのか……」
そう言いかけて、ヒヨリはふと首を傾げた。
「そういえば師匠、どうやってイバラキたちと知り合ったんだ?」
「イバラキちゃんね……」
タマモは細い目をわずかに伏せる。
「シュテンが首と胴を切り離された時のことや。あやつが妾のとこへ来てな、どうかシュテンを助けてほしい言うて頭下げよった。正直なところ、源氏の人形に首を斬り落とされた時点で、もう手遅れやと思うておったんやけどなぁ」
狐は尾をゆったりと揺らした。
「せやけど、シュテンは話が別や。なにせ、あやつは――」
途中からヒヨリには話がよく理解できなくなり、ぽかんと瞬きを繰り返す。
「……はて、おぬしに話すには、まだちぃと早いかのう。まあ、ともかくシュテンに限って言えばや。十分なハタさえありゃ、首と胴が離れようが何の問題もあらへん。蘆屋ドウマンが器に選んだんも、その性質を見込んでのことやろなぁ」
ヒヨリは無意識に左肩を掴んだ。
あの時、突然自分に近づいてきた蘆屋ドウマンの姿が脳裏によみがえる。だが、あいつが口にしていた言葉の意味は未だによく分からない。
「それはさておき、おぬしはずっと裂炎ばっかり使うとるやろ?そないなことしとったら成長せぇへんで。ほれ」
そう言って何か重そうな物を投げる。
ヒヨリは慌てて数歩駆け出し、両手で受け止めた。
「うわっ!?なんだこれ……」
手の中にあったのは金属製の腕輪だった。
「残刻器くらいは知っとるやろ?」
「ああ、根印持つ者の専用武器だろ?」
「その残刻器の材料になる金属を、ポロニウム言うんや。根印いうもんは目には見えへんけどな、確かに身体の中に存在しておる。根印持つ者が死ぬと、その根印は自然へ還って、長い年月をかけて霊脈と混ざり合い、この金属を生み出すんやえ」
タマモは腕輪を指差した。
「実におもろい金属でなぁ。温度や加工の仕方ひとつで、根印との相性がこれ以上ないほど良うもなれば、まるで正反対にもなる。ヒヨリ、その腕輪を付けたまま能力を使うてみぃ」
「え?燃やせってことか……?」
ヒヨリは半信半疑のまま根印を巡らせ、両手に炎を灯そうとする。
だが――何も起こらなかった。
「え?あれ?」
何度試しても結果は同じだった。
「ふふっ、本当に分かりやすい反応しよるのう」
タマモは楽しそうに笑う。
「それは根印そのものを封じるわけやあらへん。ただ能力だけを抑える代物なんや。本来は根印持つ者を捕らえるために使うんやけど、おぬしにはちょうどええやろ」
「……あ!つまりこれを着ければ、能力発動無しで根印そのものの操作だけに集中できるってことか!」
「その通りや」
「ありがとう師匠!本当に助かる!よーし――前に教わった陰陽術も含めて、一気に強くなってやる!」
「よーし――一気に愛宕山の山頂へ突撃や!と言いたいところだけど、男二人って本当に華がないなぁ。やっぱりハルカちゃんも誘えばよかったな。ちょっと残念な部分もあるけど、結構かわいい女の子だし……」
「いい加減にしろ、サダミツ」
源ヨリミツの正式な命を受けた碓井サダミツと卜部スエタケは、愛宕山へ向かう道中にあった。京を出た以上、本来ならいつ敵に襲われてもおかしくない状況だ。しかし碓井サダミツは相変わらず気楽な調子である。
「でも意外だったな、本当にスエタケまで付き合ってくれるなんて。まさかセイメイ様にいいところ見せたいとか?それはダメだ!気が利く男は俺一人で十分だ!」
「誰がそんなことを……」
白髪の武人は呆れたようにため息をついた。
「あなたと知り合って何年も経つが、未だにその思考回路は理解できんな。この平安京は理不尽な掟によって多くの悲劇を生み出している。だが、それは宇宙全体も同じことだ」
卜部スエタケは静かに空を見上げる。
「僕は、ただ苦しむ者たちを見過ごせないだけだ。だから大将の傍にいる。しかし仮に平安京を変えられたとして、その先はどうだ?宇宙そのものは何も変わらない」
卜部スエタケ――源ヨリミツ配下の武人であり、同時にブリットンス協定騎士の一人でもある。本部へ赴くことのできる彼は、誰よりも多くを知り、そして誰よりも多くを見てきたのかもしれない。
碓井サダミツが不意に足を止め、同時に卜部スエタケの前へ腕を伸ばした。
気づけば二人は愛宕山の麓まで辿り着いている。
「へぇ?つまりあんたは何かを変えたいけど、自分に宇宙を変える力なんてないって思ってるわけか?」
「……普通はそう考えるものだろう」
「順番が逆なんだと思うよ?俺が大将についてる理由は名をあげたいだけだし、その方が美女お姉さんやかわいい女の子にもモテそうだからだ!まずあんた自身の苦痛をなんとかしろよ、じゃなきゃ世界の苦痛なんて尚更だ」
「……本当に話が通じないな」
卜部スエタケは仕方なく、それでも碓井サダミツの肩に手を置く。
次に、青白い光が二人を包み込んだ。足元の草地は一瞬で消え失せ、代わりに巨大な樹木の根が張り巡らされた地面へと変わる。
「よし、到着!セイメイ様が味方に引き入れようとしてるのがどんな大物か、見せてもらおうじゃないか!」
ほんの一瞬だった。
どういう訳か、二人は一瞬で、あの青白い光が閃いたら山麓から愛宕山の頂上へと移動していた。彼らは即座に残刻器を構え、背中合わせになって周囲を警戒する。
大江山とは違い、愛宕山は異様なほど静かだった。鬼の気配はない。鳥たちのさえずりだけが森に響き、澄んだ空気が肺を満たす。
だがその静寂は、逆に不気味だった。木々はあまりにも生い茂り、陽光すら地面へ届かない。まるで山そのものが何かを隠しているようだった。
その時――
「シュッ!」
突風が吹き荒れた。枝葉が一斉に吹き飛ばされ、閉ざされていた森へ黄金色の陽光が流れ込む。眩しさに卜部スエタケは思わず腕で目を庇った。
碓井サダミツは即座に碓氷鎌を振るう。蒼い閃光が放たれた次の瞬間、半径十メートル以内の大木がまとめて両断された。
倒れゆく巨木。飛び立つ鳥たち。
そして――隠れる場所を失った存在が、ついに姿を現す。
「……これが、愛宕山の烏天狗か。なるほど、噂に違わぬな」
卜部スエタケは警戒を解くことなく、上空の異形を見上げた。
空中から二人を見下ろしていたのは、一人の青年だった。淡い水色の長髪を風になびかせ、背には漆黒の大翼を広げている。鋭い紅の瞳には冷たい威圧感が宿っていたが、その奥には拭いきれない孤独の影も見え隠れしていた。左目はどうやら傷があるようで、黒い布と前髪に遮っている。
身に纏うのは青を基調とした装束。背中は大きく開かれ、異形の黒翼を自由に広げられるよう仕立てられている。首元には紫の肩布を巻き、黄金の籠手と脚甲が戦士としての威容を際立たせていた。そして足元には、人ならまともに歩くことすら困難なほどの高下駄。
人ならざる黒翼と端正な美貌を併せ持つその姿は、まるで天より堕ちた孤高の化け物のようだった。
「……源氏の者。何の用だ」
青年は地に降りる気配も見せず、冷たい言葉を放つ。
「単刀直入に言う」
碓井サダミツは鎌を下ろし、真っ直ぐ相手を見上げた。
「十年前に平安京を襲った大災害が、蘆屋ドウマンの再来によって再び起ころうとしている。俺たちは、あんたの力を借りたい」
烏天狗は眉をひそめた。
「……力を貸せだと?鬼である僕が、お前たちに?源氏の将軍もずいぶんと都合のいい夢を見るものだな」
卜部スエタケは静かに後退し、いつでも弓を引ける態勢に入る。
「今の俺たちは、それほどまでに追い詰められているんだ」
碓井サダミツは深く息を吸った。
「分かるだろう、烏天狗……いや、セイメイ様によるとあんたはちゃんと名があるらしいな――カクシ、だっけ?」
「バシッ!」「ドンッ!」
竹刀同士がぶつかり合う音が絶え間なく響く。
「シュッ!」
渡辺ツナの斬撃をかわしたハルカだったが、空を切った竹刀はそのまま彼女へと迫った。咄嗟に引き戻して急所こそ外したものの、一撃をまともに受けて吹き飛ばされ、地面へ転がる。
「うっ!」
「まだ甘いな」
「ちっ……本当に強いな、あんた……」
渡辺ツナは竹刀を軽く振った。
「これから共に戦う相手だから忠告しておく。根印を持たぬ身でありながら、残刻器を扱えるのは確かに大したものだ。だが勘違いするな。ようやく根印持つ者と肩を並べられるようになった程度では、その先にいる連中には到底及ばん。根印持ってる奴らは、上へ行けば行くほど強くなる」
ハルカはすぐに立ち上がり、大きく息を吸って体勢を整えると、再び渡辺ツナへ突っ込んだ。
彼女が繰り出したのは、つい先ほど自分が見せた技によく似た動きだった。数合打ち合ううちに、彼女の竹刀捌きは目に見えて洗練されていく。足運びも呼吸も太刀筋も、素人目には渡辺ツナとほとんど変わらないようにすら見えた。
「貴様……」
「どうした?まだまだこれからでしょ!」
ハルカはさらに後ろへ飛び退き、竹刀を腰だめに構える。次の瞬間、一気に踏み込み、居合刀さながらの鋭い一撃を放った。その鋭さに渡辺ツナは数歩後退を余儀なくされる。
「まさか……大将の技まで……」
渡辺ツナは信じられないものを見るような目で少女を見た。
「刀ってのはフクロのところで先に見てたけどさ。やっぱり色んな人の使い方を見たほうが覚えるの早いんだよね」
ハルカは得意げに笑い、今度は源ヨリミツそっくりの構えを取る。
「続ける?」
――冗談じゃないぞ。
渡辺ツナには分かっていた。この少女はただ形だけを真似しているわけではない。驚異的な理解力と応用力によって、武器の扱い方や流派の本質を短時間で吸収しているのだ。完璧ではないにせよ、少なくとも六割以上は自分のものにしている。そしてそれは十分に実戦で通用する域だった。
だが、あまりにも早すぎる。
源ヨリミツの戦いを見たのは一度だけ。渡辺ツナの技を見るのも今回で二度目。それなのに、たった数分でここまで辿り着くとは。
そういえば、この少女は前から剣も矛も使っていた。まさか――。
「おい、小娘」
「だから私ちゃんと名前があるって!」
「貴様、生まれつき武芸百般に通じる類か」
「は?何それ」
「短時間で異なる武器や戦い方を習得できるかと聞いている」
「短いかどうかは分かんないけど、覚えるのが早いのは本当だよ。ルシウスもそう言ってるし」
そう言ってハルカは誇らしげに竹刀を振った。
「何?怖くなった?」
渡辺ツナはしばらく黙り込んだ後、深く息を吐いて再び構えを取る。
「……ハルカ、か。その名は覚えておこう」
その言葉を聞いた瞬間、ハルカの目がぱっと輝いた。
「ははっ!いいねいいね!イケメンに名前呼ばれるのって気分いいな!さあ、続きだよ、ツナ!」




