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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第二章】鬼も地獄も人の内

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まだ見ぬ未来へ奏でて

「グオオォ——!」

 美しい淡青色の長髪を持つ女、モルゲーヌは眉をひそめ、重い枷に繋がれ狂乱する化け物へこれ以上近づきたくない様子だった。

「……そうか。力を制御しきれなかった根印(ねしるし)持つ者は、この平安京ではこのような姿になるのか。より強大な力を得る代わりに理性を失う……君の能力でさえ、この化け物をどうにもならないのか?」

 彼女が問いかけた先には、背後から進み出た蘆屋ドウマンがいた。

「少し制御する程度でなら、難しくはない」

 蘆屋ドウマンは手を掲げ、その掌をなお暴れ続ける鬼へ向けた。

 すると鬼は、まるで時を止められたかのように硬直した。血走った眼球は焦点を失い、生気さえ感じられない。

「なるほど。これが君の能力、播磨呪(ハリマジナイ)か。自らのサハへ直接干渉できるとは、実に珍しい力だな……己の意識を切り離して体外へ放ち、さらに他者の肉体を奪って操るとは」

「だが、誰も彼も安定して操れるわけではないわ。そもそも鬼の類は体内のハタがひどく乱れておりますから、そこへ無理にワタシが干渉すれば……」

「――ぶしゃっ!」

 言葉が終わるより早く、硬直していた鬼の身体が破裂した風船のように爆ぜた。鮮血が飛び散り、壁際を真っ赤に染め上げる。重々しい枷ががらんと音を立てて床へ落ち、肉塊と化したそれは見るに堪えない有様だった。

 モルゲーヌはその惨状を冷ややかに見下ろした。

「……このようになる」

 蘆屋ドウマンは右手を下ろした。

「それに、制御の安定性はワタシ自身のハタの総量とも切り離せない。戦力として運用可能な兵を大量に、となると……ご期待には沿えないかと」

「……やはりハタ不足は深刻だな。せっかく、この切り離された宇宙で生まれたニュークリアスも、あの連中に壊されてしまった……自己中心にも程があるでしょう」

「おや。それは一体?」

「ソルスの自然生成物のようなものだ。一定周期で生まれる、ハタの結晶体だよ。単なるエネルギー結晶ではあるが、大いなるソルス由来ゆえ、存在している間は無尽蔵のハタを内包すると言われている。もっとも、そんな代物を得るなど夢物語だ。あれは毎回宇宙のどこかにランダムで出現する。予測など不可能だからな。もし手に入れば、何もかもが片付くのだが」

「……なるほど。しかし、その結晶もまた宇宙そのものの産物。結局のところ、自然から力を借りるのが最善、ということか」

 蘆屋ドウマンは考え込むように目を伏せた。

「もういいわ。明日にはモドラウドと共に安倍セイメイを連れて行く。いずれまた、君の力が必要になるかもしれん。その時に改めて頼むとしよう」

 また、必要とされるのは、いつもワタシではなく、安倍セイメイだ。

 ……それも、仕方がない。ワタシは、生まれた場所を、間違っているかもしれない。

 本当は、ここで生まれない方がよかったのか。

「ええ。お気をつけて」


 何日経っても、蘆屋ドウマンの片方の頬は腫れたままだった。屋敷を歩けば貴族たちに陰口を叩かれ、陰陽師たちからは嘲笑を向けられる。だが、そんな扱いにはもう慣れていた。この屋敷へ足を踏み入れる前から、こうなることくらい分かっていたのだ。

 蘆屋ドウマンはしゃがみ込み、傷薬に使う薬草を摘もうと手を伸ばす。だがその瞬間、別の誰かの手と重なった。

 草むらの向こう側で、黒い直衣を纏った赤髪の男が慌てて立ち上がる。

「あっ、ドウマン!あんたも来て……うわっ、顔どうしたの!?」

 源ヒロマサは慌てて彼女の前へ回り込み、頬を覗き込んだ。蘆屋ドウマンは気まずそうに半分だけ顔をカクシす。

「……お見苦しいところを。ヒロマサ様。ただ、また務めを果たせなかっただけです。罰を受けるのは当然のことですので」

 自ら施した呪詛を安倍セイメイに破られた。当然、主に平手打ち程度では済まなかった。

「いや、罰だとしても……。ちょうどいい、最近うちにも体の弱い子がいてさ。俺がまとめて採っておくよ!」

「そ、そんな……」

 止める間もなく、源ヒロマサはしゃがみ込んで必要な薬草を次々摘み取っていく。その手際は驚くほど良く、あっという間に採集を終えると、半分を蘆屋ドウマンへ差し出した。

 蘆屋ドウマンはおずおずと受け取り、深々と頭を下げる。

「ありがとうございます……」

「どういたしまして。ドウマンは綺麗なんだから、ちゃんと治さないとね」

「……そんなふうに言ってくださるのは、ヒロマサ様だけです」

 彼女はなお俯いたまま、源ヒロマサの顔を見られずにいた。

「ヒロマサ様は……どうして、こんなにも他の人と違うのでしょう……。あ、いえ、悪い意味ではなく……」

「はは、分かってるよ。そういえば前にも言ってたね、人付き合いが苦手だって」

 蘆屋ドウマンはゆっくりと背を向けた。

「ワタシは……今でも信じています。人は本来、善きものなのだと」

 そう言って、彼女は自嘲気味に笑う。

「人が残酷なことをするのは、世界に追い詰められたから。世界の理に勝てなかったから仕方なく残酷なことをする……そう、思っていました。ですが、ワタシが見てきた人々は皆、その戦いに敗れていった。だからワタシは、今、少し疲れてしまったのです。人類は、人間は、生まれてくる意味などあるのだろうか、と」

「難しい話だなぁ……」

「申し訳ありません。変なことを言いました」

 だが源ヒロマサは気にも留めず、軽く手を振った。

「でもさ、俺だって少し前までは、陰陽師なんて胡散臭い連中ばっかりだと思ってたんだよ?人は変われる。弱さを乗り越えれば、もっと強くなれる。可能性なんて、いくらでもあるんじゃない?」

「……そう、ですか」

 蘆屋ドウマンは何かを悟ったように目を見開いた。

「困難を越えられる者、試練に耐えられる者こそ……真に生まれる価値ある人間……。なるほど。だから、ワタシがこんな力を――」

 彼女は、そのまま一歩踏み出すと、不意に源ヒロマサへ抱きついた。

「うわっ!?ど、どうしたのドウマン!?ちょ、ちょっと……!」

 ここはまだ屋敷の敷地内だ。余計な噂好きの貴族に見られでもしたら面倒なことになる。

「ありがとうございます、ヒロマサ様。長い間、ワタシは人間の醜さに耐えられませんでした。ですが、それを変える術も分からず……流されるだけの自分も大嫌いでした」

 彼女は源ヒロマサの胸元へ手を置き、艶やかに微笑む。

「……以前、ヒロマサ様は仰いましたね。ワタシが本当に出会うべき人がいるのだと。きっとそれが、ヒロマサ様なのですね。おかげで分かりました。ワタシがこの力を持って平安京に生まれた意味が」

 そして彼女は熱を帯びた眼差しで言った。

「次にお会いする時には、きっと平安京のすべての人々を、もっと善なる存在へ変えてみせます。この世界を、もっと素晴らしい世界に」

「志が高いのはいいけど、あんまり気負いすぎないでね……?その、えっと……」

 源ヒロマサはできるだけ失礼にならぬよう、そっと彼女を引き離した。

「それじゃあまたね、ドウマン!世の中には酷い人も多いけど、きっと何かを変える方法はあるはずだから。一緒に頑張ろう!あ、薬草はちゃんと塗るんだよ?」

「……はい、ヒロマサ様」

 蘆屋ドウマンは照れくささを隠すながら、薬草を胸に抱きしめるように持ち、深々と礼をして去っていった。

「善なる存在、ね……あいつの中の善悪ってそもそも何なんだろう」

 源ヒロマサは頭を掻きながら、先ほどの出来事にいまいち実感を持てないまま、自分も薬草を持ち帰ろうとする。

 ――背後から、ぞくりとするような冷気を感じる。

 ぎこちなく振り返ると、案の定、見慣れた人物が恐ろしい形相でこちらを睨んでいた。

「セ、セイメイ?おかえり……」

 安倍セイメイはふん、と鼻を鳴らすと、そのまま背を向けて歩き去ってしまった。

 ただ一人、完全に言い訳の機会を失った源ヒロマサだけが、その場に取り残された。


 安倍セイメイが戻ってきたのは思っていたより早く、しかも見たところ何もなさそうだった。それに源ヒロマサはひとまず胸を撫で下ろした。

 だが、彼女は怒っているのか何なのか、その後の五日間、一度も源ヒロマサと口を利こうとしなかった。その代わり、毎日のように貴族たちのもとへ赴いては進言を重ね、武士たちを訪ね歩き、片時も休まず忙しく動き回っていた。食事や休憩の最中に源ヒロマサが話しかけても、彼女は返事すらしない。

 五日目になっても、安倍セイメイは朝早くから邸内を慌ただしく駆け回り、何やら様々な準備を進めていた。

 源ヒロマサが耳にした話によれば、どうやら近く訪れる大災害に備えているらしい。

 ――本当に、集中しなきゃならないんだろうな。そう思い、源ヒロマサもそれ以上は邪魔をしないことにした。

 その夜、外ではしとしとと小雨が降り始めていた。

 休む時間になると、弟子となったカクシが、源ヒロマサに「そんな下働きみたいなことはしなくていい」と言われているにもかかわらず、律儀に寝床を整えてくれていた。

 源ヒロマサがちょうど着替えようとしていた、その時、安倍セイメイが、自ら彼の部屋を訪ねてきた。

「……もう寝るところだった?」

「えっ、いや全然!どうした?何か手伝うことでもあるのか、セイメイ?」

 安倍セイメイは首を横に振り、そのまま勝手に腰を下ろす。

「別に。ただ、少し話したくなっただけ」

「お、おう!カクシ、水を持ってきてくれるか?」

「はい、ヒロマサ様。あの……」

 カクシはそっと近寄り、小声で尋ねた。

「セイメイ様のお布団も、もう一つ敷いておきましょうか?」

「何聞いてるんだよ!?俺たちそういう関係じゃないからな……!」

「えっ、違うんですか!?す、すみません……!」

 源ヒロマサは思わず深いため息をついた。カクシが別室へ向かったのを見届けてから、自分も安倍セイメイの隣へ腰を下ろす。

 すると、安倍セイメイは糸が切れたように力を抜き、そのまま源ヒロマサの肩へ頭を預けてきた。

 ――カクシが戻ってきたら、もう何を言おうと信じてもらえないだろう……。

「セイメイ?本当に大丈夫か?」

「……ごめん。この数日、全然あなたの相手をしてなかった」

「気にするなって。大事なことやってたんだろ?前に言ってた平安京の大災害って、もうすぐ来るのか?」

「ええ。ブリットンスはさすが、今や宇宙中で名を知られる勢力だけあるわ。根印(ねしるし)の扱いについて、向こうには膨大な知識があった。私も色々学べたし、この数日で準備できることは全部やった。……たぶん、これで何とか対処できるはず」

「そっか。お疲れさま」

 源ヒロマサはそっと彼女の頭を撫でた。安倍セイメイは少し驚いたように目を瞬かせ、それから照れ隠しのように顔を彼の胸元へ埋める。

「ヒロマサは?あの子、聞いた話だとあなたが助けた子なんでしょう?」

「うん!名前はカクシってつけた。あいつすごいんだぞ、根印(ねしるし)持ちなだけじゃなくて、音楽の才能まであるんだ!ちょうどいい、カクシー!」

 源ヒロマサが呼ぶと、カクシはちょうど二人分の水を持って戻ってきた。

 だが部屋に入った瞬間、寄り添う二人の姿が目に入る。少年は何とも言えない微妙な表情を浮かべたが、結局何も言わず、大人しく水を差し出した。

「……ご用でしょうか?」

「前に教えた曲、吹いてみてくれないか?」

「えっ?い、今ですか?……は、はい!」

 カクシは一瞬で背筋を伸ばした。まるで弦を張り詰めたように身体が固くなる。

「あんたほんと緊張しやすいな。そんなに怖いか?」

「い、いえ……その……やっぱり、ヒロマサ様に笛を教わるなんて、未だに信じられなくて……夢にも思ってませんでした……」

「夢の中じゃないぞ、現実だ!ほら、セイメイにも聴かせてやれ」

「は、はい……それでは、失礼します……」

 カクシは慌てて懐から竹笛を取り出した。源ヒロマサから贈られた、大切な笛だ。

 深く息を吸い、静かに口元へ運ぶ。

 ――雨音なのか、笛の音なのか。

 同じ曲を奏でているはずなのに、源ヒロマサの奏でる音色とはまるで違っていた。源ヒロマサの音楽はもっと神秘的で、優雅で、幻想的だった。柔らかく浪漫に満ち、悠然として、それでいて生命の息吹を宿している。まるで天上にしか存在しない美そのもの。

 だが、この少年の笛は違う。安倍セイメイには、それはまだ宝石の輝きではなく、小さな星の瞬きのように思えた。硝子の星屑を一面に散りばめたような音色。跳ねる音符が雨音と溶け合い、静かに人の心へ降り積もっていく。

 いつの間にか、安倍セイメイは張り詰めていた身体の力を抜き、そっと目を閉じていた。ただ、この穏やかな音に身を委ねていたかった。

 カクシは演奏に夢中で、もはや二人の貴人が聴いていることすら忘れているようだった。

 源ヒロマサはそんな彼を見守りながら、時折満足そうに頷く。

 誰だって願うはずだ。

 素朴で、それでも情緒に満ちた幸福を。

 慎ましくとも、夢を抱ける平穏を。

 この平安京には、カクシのようにようやく夢へ手を伸ばした子供たちが、あとどれほどいるのだろう。

 そして、そのささやかな安らぎを守るためだけに、懸命に生きている者たちが。

 一曲が終わる。

 安倍セイメイと源ヒロマサが目を開けると、カクシは顔いっぱいに緊張を浮かべていた。

「……ヒロマサ、あなたって本当に天に愛されてるのね。こんな弟子と巡り合えるなんて」

 安倍セイメイは微笑みながら言う。

「とても綺麗な笛の音だったわ、カクシ」

「か、感激の至りです!」

 カクシは勢いよく何度も頭を下げた。

「だろ?こいつ筋がいいんだよ!……少しは気が楽になったか、セイメイ?」

「ええ」

 安倍セイメイはゆっくり立ち上がった。

「たとえあの未来が避けられないものだったとしても、乗り越えられるかどうかは、まだ分からない。……私は、全力を尽くすわ。手伝ってもらうよ、あなたたち」

「おお!それでこそセイメイだ!何でも言ってくれよ!」



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