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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第二章】鬼も地獄も人の内

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シンギュラリティ

「セイメイ、どうだった?」

 落ち着かぬ様子で部屋の中をうろうろしていた源ヒロマサは、ようやく戻ってきた安倍セイメイの姿を見るなり、慌てて立ち上がった。

「ひとまず問題はない。呪詛を施された物は見つけ出した」

 源ヒロマサはほっと息をつく。

「それなら良かった……うわぁっ!?」

 突然、何かが袴の裾を引っ張った。驚いた源ヒロマサが飛び上がると、淡い黄色の蛇が彼の脚に巻き付いていた。悲鳴を上げた途端、蛇はするりと離れる。

 だが安倍セイメイは少しも慌てず、静かにしゃがみ込むと、その蛇へ手を差し伸べた。

「ご苦労だった、勾陣。よく働いてくれたな」

 勾陣と呼ばれた蛇は、まるで言葉を理解しているかのように尾を揺らし、安倍セイメイの腕へ這い上がる。そして次の瞬間には、細かな光となって消えていった。

「……前から思ってたけど、あんたと()()()()してる式神って、あんまり俺のこと好きじゃないよな……」

「そうか?私はむしろ、皆あなたを気に入っていると思うが」

 そう言ってから、安倍セイメイは周囲に人の気配がないことを確かめ、袖の中から一枚の符を取り出した。

 普通、符に記される術式は墨で書かれる。だがその符は、鮮やかな血で描かれていた。

「これは……?」

「先ほど勾陣が見つけた呪詛の媒介だ。壺に封じられ、土の中へ埋められていた。……実に悪趣味だ」

 安倍セイメイは部屋の蝋燭へ歩み寄りながら、手にした符を破り捨て、そのまま炎で焼き払う。さらに空中へ指先で術式を描き、灰すら残さず消し去った。

「陰陽術ってのは全然わかんないんだけど、血で符を書くってそんなに危ないことなのか?」

「ヒロマサ、前にも言ったはずでしょう。私が起こしている奇跡というものは、体内の根印(ねしるし)でハタを巡らせているだけだと」

「ああ、うん……」

根印(ねしるし)がハタによって動くなら、ヒロマサ、あなた自身は、何によって動いていると思う?」

 源ヒロマサはそんなことを考えたこともなかった。少し迷いながら答える。

「ええと……人格とか、魂とか、記憶とか……そういうものか?」

「私が読んだ古文書では、それらを総じて、サハと呼んでいた。宇宙にソルスが不可欠であるように、根印(ねしるし)にはハタが必要だ。そして我々の肉体もまた、サハなしには成り立たない」

 安倍セイメイは、符を完全に焼却してから続ける。

「我々の血肉と魂は完全には切り離せない。あの呪詛を施した者は、その理をよく理解している。サハを宿した血で記した術式は、墨で書かれたものより遥かに強力だ」

 そう言って安倍セイメイは深く息を吐き、こめかみを押さえた。

「もう遅い、ヒロマサも早く休んで。最近は周囲の不穏な気配にも気を付けて。特に、他の陰陽師にはな」

「うん、あんたもな。……今日は邪魔が入ったけど、今度絶対にもっといい場所に連れ出してやるから」

「……うん」

 安倍セイメイは柔らかく微笑み、静かに御簾を開けて去っていった。

 すでに夜も更けていた。市から戻った時点で黄昏だった空は、今や紫水晶のような深い色へ沈み、宮中には無数の灯火が揺れている。

 彼女は薄暗い渡殿を一人歩く。いくつもの曲がり角を過ぎたところで、ふいに足を止めた。

「お初にお目にかかり、ご挨拶申し上げます、安倍セイメイ様」

 闇の向こうから、板敷を踏む微かな音と共に一人の女が現れる。燭火に照らされたその顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 蘆屋ドウマンだった。

「……白々しい。あの呪詛を作った陰陽師、あなたでしょう。前から怪しいと思っていたぞ、蘆屋ドウマン」

 蘆屋ドウマンはただ微笑みを崩さない。

「返事をしろ。その辺の似非陰陽師とは違うでしょうが、あなたの力を何に使おうと勝手にしろ――私の邪魔だけはするな」

「……邪魔、ね?ひとつお聞きしたい。アナタは貴族どもが愚かだと理解しているはずなのに、なぜ守ろうとする?」

「愚かであろうと、害を加えていい理由にはならない」

 蘆屋ドウマンは困ったように笑い、肩をすくめる。

「残念だ。ヒロマサ様の傍にいるから、てっきり同じものを見ていると思ってったのに」

「……ヒロマサは関係ない。彼を巻き込むな」

「ふふ、ご安心を。今日ここへ来たのは、別のお話をするためです。――お二人とも、どうぞ」

 蘆屋ドウマンが身を引く。その直後、背後に二つの人影が現れた。

 安倍セイメイには確信がある。自分ほどの術者が、これほど近くにいた他者の気配を見逃すはずがない。だがその二人は、何もなかった所から突如現れたのだ。否――肉眼では見えない別の空間から、こちらへ踏み出してきた。

 一人は青い長髪に紅のドレスを纏った女。もう一人は銀と紅の甲冑に身を包んだ、金髪の若い騎士だった。どちらも、この平安京には有り得ない服装だ。

 安倍セイメイは警戒を強める。しかし二人に敵意は感じられない。

 女は髪を払って名乗った。

「長い自己紹介は省きましょう。私はモルゲーヌ。この子はモドラウド」

 傍らの少年騎士が軽く一礼する。

「我々は、ブリットンスの者だ。我らが王の命により――いや、ここがあの浄瑠璃姫の故郷であるなら、現在の()()()()()()()()の一柱、からの命と言った方が、君には理解しやすいでしょうね」

 その言葉に、安倍セイメイの表情かなり動揺している。額に冷たい汗が浮かぶ。

「安心しな。私たちは援助を求めに来ただけ。君には未来を見通す力があるでしょう?」

「……それが何だ」

「取引をしましょう、安倍セイメイ。君には我々と共に来てもらい、王の未来を視て欲しい。その代わり、この宇宙に何が起きているのかを教えましょう」

 モルゲーヌはそこで微笑んだ。

「もっとも、シンギュラリティの要望だからね、君に拒否権は当然ないけれど」


 突然、正体不明の者たちと共に平安京を離れると言い出した安倍セイメイに、源ヒロマサは当然反対した。

 だが安倍セイメイ自身、この世界の外で何が起きているのかを知りたがっていた、何度も「心配はいらない」と説得した。加えて、自分の未来に危険は視えていないとも断言したため、源ヒロマサもようやく折れる。

 三人が視界の彼方へ消えていくのを見送りながら、源ヒロマサは自分の無力さを噛み締めていた。

 長い渡殿を戻り、自室へ入ると、気を紛らわせるように楽器をいじり始める。彼の部屋には大量の楽器があった。一種類だけでも幾つも揃えている。安倍セイメイからは「少しは控えろ」と呆れられていたが、源ヒロマサにとって音楽は生まれた時から身体の一部のようなものだった。

 武芸にも政にも興味を持てなかった代わりに、楽だけは誰にも負けぬほど極めてしまった。

「……はぁ。ずっと自分の好きなことだけしてきたけど、今になって、何もできない気がしてくるな……」

 気晴らしに笛でも吹こうと庭へ出た、その時だった。

 茂みの向こうに何かが動いた。

 源ヒロマサもじっとそこを見つめて、次の瞬間、人影が飛び出してくる。鋭く尖った石を握り締め、彼へ襲いかかった。

「っ……!?」

 源ヒロマサは咄嗟に身をかわす。

 襲撃者は、薄汚れた少年だった。

「おい、何するんだ!俺、あんたに会ったことないだろ!」

「知るか……!貴族なんて皆死ね!人を人とも思わねぇ畜生共が……!」

 少年は叫びながら何度も襲いかかってくる。だが身体は痩せ細り、力もほとんど残っていない。

「僕はもう助からないなら……お前も道連れにしてやる……!」

 血走った瞳には、理性など欠片も残っていなかった。

「もうやめろ!」

 源ヒロマサは少年の腹へ拳を叩き込み、その手にある石を落とさせる。意識が飛びかけた隙に、少年の身体を抱き上げた。

「うわ、熱っ! ……大人しくしろ!」

「おま……」

 そこで少年は完全に意識を失った。


 それから三日間、少年はずっと浅い夢の底を漂い続けていた。

 誰かが唇へそっと水を含ませ、温かな粥を少しずつ口へ運び、時折、冷えた布で額を拭ってくれる。焼け付くようだった熱は、ゆっくりと、しかし確実に引いていった。

 不思議なことに、体の奥で暴れ回っていた熱そのものが、誰かの手によって外へ吸い出されていくような感覚さえある。

 そして少年がようやくはっきりと目を覚ました時――窓の外には、静かな満月が浮かんでいた。

 ぼんやりとした意識のまま辺りを見回すと、赤髪の男がちょうど傍らへ腰を下ろしたところだった。

「どうだ、気分は」

「……」

「あ、ちょっと待ってな」

 源ヒロマサは少年の胸へ手を当てた。

 すると信じられないことが起こる。身体に籠もっていた余熱が、源ヒロマサの掌へ吸い上げられていくのだ。赤い粒子のようなものが、少年の全身から彼の手へ流れ込んでいくのが見えた。

 しばらくして源ヒロマサは息を吐き、手を離す。

「これしか出来ないか……で、少しは楽だろ?」

「……何を、したんだ……?」

「あんた、根印(ねしるし)持ちなんだよ。この熱は多分病気じゃなく、根印(ねしるし)を無意識に使い過ぎてしまったんだ」

「……?」

「えーっと、つまり、生まれつきの力をうまく扱えてなかったっからの反動ってこと。セイメイがいれば、一日で治してたと思うけどな」

 少年にはまだ理解できなかった。

「……なんで、僕なんかの下人を助けるんだ……?」

「やっぱり、元はこの屋敷の者だったのか。別にいいだろ。あんた、助けが要りそうだったし、俺には助けられそうだっただけよ。大したことじゃないだろう?」

「……」

 少年の瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちた。

 両手で顔を覆い、唇を噛み締めながら必死に声を殺す。

 源ヒロマサは何も言わなかった。ただ静かに、その泣き声を待ち続けた。

 やがて少年が落ち着き、身体を起こして深々と頭を下げる。

「……ありがとうございます」

「いいって。そうだ、あんた名前は?」

「……ありません」

「そっか……。で、なんでわざわざ俺のところに来たんだ?」

 少年は気まずそうに視線を逸らした。

「……前は、頭がぐちゃぐちゃで何も考えられなくて。ただ、どこかから楽の音が聞こえてきました」

「楽?ああ、俺はよく楽器いじってるけど……それがどうした?」

 少年は衣の裾を強く握る。

「……不公平だと思ったんです。なんで、なんで偉そうな人だけがそういうものを楽しめるんだって。前に仕えてた貴族なんか、楽器に触るどころか、見ただけで殴ってきて、盗む気かって怒鳴ってきて……」

 少年は震える声で続けた。

「僕は、生まれからずっとあの人を、一心で仕えてきたのに、これまでどんな扱えでも耐えてきたのに、熱があった時すぐ僕を穢れ者だっと捨てられて……それが、悔しくて、憎くて……」

 目の前にいる自分を助けたばかりの恩人相手に本音をぶつけるのは、少し怖かった。きっと「身の程知らず」と叱れることになる。

 だが、源ヒロマサは、勢いよく少年の肩を叩いた。

「だよなぁ!あんたも音楽は皆で楽しむべきものだって思うんだろ!?」

「え……?」

「やっと同じ考えの奴に会えた!これは嬉しすぎるー!」

 源ヒロマサはすぐに立ち上がると、一本の竹笛を持って少年のそばに戻ってくる。

「ほら、せっかくだ、これやるよ!」

「はぁ!?な、何言って……そんなの、もらえるわけ……!」

「前の主に追い出されたなら、今はもう自由の身だろ?上下のしきたりなんか気にするなって」

「でも僕、金なんか……こんな高尚なもの、習えるはずない……」

「だったら俺が教える!」

 源ヒロマサは満面の笑みで言った。

「むしろこのままここに住めばいい!セイメイに聞いてもらうのも嬉しいけどさ、楽を一緒に精進して語れる相手も、ずっと欲しかったんだよ!」

 半ば強引に笛を握らされ、少年はおろおろとそれを見つめる。

「……本当に、いいんですか」

「あんた、自分で言ってたろ?貴族だけが楽器を持つのはおかしいって」

「……それはそう、なんですが……あ、もしかして……噂の、変わり者の源ヒロマサ様……?!」

「ははっ、そうそう。その変わり者本人だ!」

 源ヒロマサは朗らかに笑った。

「で、どうする?ここに残るか?貴族様たちに嫌われる者同士、仲良くしようじゃないか」

 少年は呆然としていたが、やがて再び目に涙を浮かべ、笛を抱き締めながら深く頭を下げた。

「……感謝いたします、ヒロマサ様。この御恩、一生忘れません」

「大袈裟だよ。ああ、あと、やっぱり名前ないの不便だなぁ。俺、名付け苦手なんだけど……うん、そうだな……最初に見た時、あんたは身を隠れてたし――カクシでどうだ?」

 少年は迷うことなく頷いた。

 生まれながらずっと仕えた者でさえ、名などくれてなかったから。

「はい、ヒロマサ様。不束者のカクシですが、どうか、どうか宜しくお願い致します……!」


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