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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第二章】鬼も地獄も人の内

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雨に残されたもの

 どうしてこんなものを生んだんだ。

 化け物じゃないか!こんなの!

 鬼に穢された女め……だからこんな子が生まれたんだ!

 来るな、鬼!

 追い出せ!

 いや、ここで殺せ!

 不吉な子だ……

 殺せ!

 鬼の子を殺せ――!


「おい、小僧。聞こえてるか」

「離せ……離せよ!母さんが、母さんが……!」

「お前の母は、もうどこにもいない。戻ったところで何になる」

「オマエ……何なんだよ!?あいつらが母さんを殺したんだ!ボクはあいつらを殺してやる!一番苦しむやり方で――!」

「やめろ。あの村とこれ以上関わる必要はない。お前は俺が連れて行く」

「だからオマエは何なんだよ!誰が助けてくれなんて頼んだ!?助けるならもっと早く来いよ!オマエがあと少し早ければ、母さんは死ななかった!この……っ!」

「……」

「離せ……離せよ……っ、母さん……母さん……!」


 イバラキが目を覚ました時、身体はぬかるんだ地面に半ば沈み込んでいた。激しい雨が容赦なく顔へ叩きつけられ、濡れた前髪が視界を遮る。空は深い紫黒色に染まり、木々の葉が風に鳴る音と雨音が重なって、不気味な合奏のように森へ響いていた。

 全身が重い。乾きかけた血と泥が肌に張り付き、僅かに身体を動かすだけでも痛みが走る。

「……っ」

 背中が焼けるように痛んだ。

 ホシグマにやられた傷。シュテンに攻撃された衝撃。さらに渡辺ツナの斬撃。どれもまるで傷口の内側で熱を持っているようで、雨に打たれても痛みは少しも引かなかった。

 何が起きたのか、意識が追いつくまでしばらくかかった。やがて、ぼんやりと記憶が繋がっていく。

 ――そうだ。ハルカが助けてくれた。

 あの場から逃げ出せたのは、彼女が渡辺ツナを止めてくれたからだ。

 だが大江山には戻れない。ホシグマがいる今の山へ帰ったところで、自分にはもう抗う力が残っていない。だから無我夢中で京から遠ざかり、大江山からも離れるように走り続けた。

 そしてどこかで限界を迎え、倒れた。

 どれほど眠っていたのかも分からない。

 イバラキは泥に手を付き、震える身体を無理やり起こした。立ち上がるだけで息が切れる。それでも歯を食いしばり、一歩ずつ前へ進み始める。

 行き先など無かった。

 ただ立ち止まれば、本当に全て終わってしまう気がした。


 一方その頃、雨はなおも平安京を叩き続けていた。

 源氏の屋敷では広間に大勢の人間が集まり、左右へ整然と並んで食事を取っている。外の陰鬱な空気とは裏腹に、炊き立ての米と焼き魚の香りが漂い、温かな湯気が立ち昇っていた。

 その空気を最も遠慮なく楽しんでいるのは、もちろんハルカだった。

「祭りの時の飯もうまかったけど、こっちも最高!おかわりできる!?」

 頬に米粒を付けたまま元気よく椀を掲げる姿に、坂田キントキが豪快に笑う。

「いい食いっぷりじゃねぇか!どうだ、勝負するか!?」

「おっ、受けて立つ!」

 フクロは呆れた目で二人を見た。少し前まで「自分たちはトランスグレッサーだから馴染む必要ない」と忠告していたはずなのに、ハルカは完全に忘れているらしい。

 ……だが、フクロ自身ももう疲れていた。いちいち止める気力が無い。

「キントキ、君たちいつの間にそんな仲良くなったんだ?」

 源ヨリミツまで面白そうに立ち上がる。

「なら俺も参加するぞ!もっと飯を持ってこい!」

「大将まで何を言い出してるんですか!」

 渡辺ツナが慌てて止めに入った。

「キントキ!貴様も少しは落ち着け!」

「いいじゃねぇか、ツナ!」

「フクロ、あんたの分も食ってやろうか?」

「図々しいにも程があるだろ……!」

「うるさい!!!」

 突然、机へ叩きつけられた箸の音が広間に響き渡った。

 空気が凍り付く。怒鳴ったのは安倍セイメイだった。

 全員が呆然と彼女を見る。当の本人も、思い切り叫んだ反動で肩を上下させて荒く息を吐いていた。

「……失礼しました。少々、取り乱しました」

 普段の落ち着いた口調へ戻ろうとしているが、疲労は隠し切れていない。

「ヨリミツ様、申し訳ありませんが、先に席を外させていただきます」

「あ、ああ……。セイメイ、本当に大丈夫か?結界に加えて京中の人へ符を張っていたんだ、無理もないが……」

「それもありますが……少し、一人になりたいだけです」

 安倍セイメイは静かに礼をし、そのまま御簾をくぐって広間を後にした。料理にはほとんど手が付けられていない。

 廊下へ出ると、外は依然として強い雨だった。夜の庭園は灯籠の淡い明かりにぼんやり照らされ、濡れた板張りの廊下には冷たい湿気が漂っている。

 下人たちの挨拶も軽く流し、安倍セイメイは一人で歩き続けた。

 やがて足を止める。

「……何の用です」

 振り返らずに言った先には、焼き鳥を片手に立っているハルカがいた。

「そんな堅苦しくしなくていいって。無理して真面目ぶらなくてもさ」

「……無理ではありません。今はあなたたちの力が必要です、私も敵意などございません。ただ、私の性格が悪いなだけです」

「はは、別に?素直でいいじゃん!」

 ハルカはそのまま廊下の縁へ腰掛け、串を食べ始める。

「セイメイって言うんだよね?私、この世界のことまだ全然知らないんだ。ヨリミツの大将より、あんたの方が色々知ってそうだからさ」

 安倍セイメイは露骨に疲れた顔をした。

「なぜわざわざ私に……。私は疲れていると言ったでしょう」

「ヒロマサって誰?」

 その名を聞いた瞬間、安倍セイメイの表情が固まった。

「蘆屋ドウマンがさ、あんたの名前と一緒にそれを口にしてたんだよ。だから、源氏の誰かかと思ったんだけど、本人に会うところか、今まで誰も話題にしないし。蘆屋ドウマンがあそこまで酷いことした理由、本当にあんたに勝つためだけなの?」

 しばらく沈黙が続いた。

 安倍セイメイの袖の中で、指先が強く握り締められている。唇も僅かに震えていた。

 しかしハルカは空気を読まず、まるで別の話でもするように笑った。

「私はね、この平安京って結構好きなんだ!祭りも楽しかったし、ご飯もうまいし。さっきフクロから聞いたんだけど、ヨリミツの大将が人形だったって話もびっくりしたし!なんか全部面白い!」

「……随分と浅い物の見方ですね。この世界には、醜い人も、醜い出来事も溢れています。あなたがまだそれらを見ていないだけです」

「じゃあ、なんでそこまでしてこの世界を守るの?」

 ハルカの問いに、安倍セイメイはすぐ答えなかった。

 やがて彼女はハルカの隣まで歩み寄り、庭を見つめたまま小さく口を開く。

「昔、あなたと同じことを言う人がいました。この世界は美しい、人は素晴らしい、と。正直、私は今でも理解できません。……もう、理由を聞くことも出来ませんが」

 安倍セイメイはそこで言葉を切り、踵を返す。

「あなたの名前は、ハルカでしたね」

「うん!」

根印(ねしるし)も持たない身で、それでもトランスグレッサーになった。きっとあなたは、この宇宙そのものを、美しい何かと思っているのでしょう」

 彼女は振り返らない。ただ静かな声だけが、雨の廊下へ残された。

「ならば――もし本当に、この戦いを勝てたのなら、その時なお、あなたがこの世界を美しいと思えることを、願います」


「修理に必要な物資は西門を通し……」

「庚寅の巡行の日取りについては――」

「先日の上奏の件ですが……」

 ――眠い。

 源ヒロマサは、今にも頬杖をつきそうになるのを必死で堪えていた。

 朝議というものは何度出ても退屈極まりない。長ったらしい報告に、貴族たちの回りくどい言い回し。しかも今日は空まで晴れ渡っていた。柔らかな陽光が庭へ降り注ぎ、どこからか鳥のさえずりまで聞こえてくる。

 こんな日に屋敷へ閉じ込められて話を聞かされるくらいなら、庭の草の上で昼寝でもした方がよほど有意義だ。

「軽々しくあやつの言葉を信じるべきではない」

「しかし、あれほど占いを当ててきた者ですぞ。備えあれば憂いなしとも――」

「ただ人心を惑わせているだけだ!」

 ――また陰陽師の話か。

 源ヒロマサは内心でうんざりした。

 最近、屋敷の中は陰陽師の話題ばかりだ。誰それの占いが当たっただの、符術がどうだの。正直、源ヒロマサにはさっぱり興味がない。

 ようやく朝議が終わると同時に、彼は誰より早く立ち上がった。黒の直衣を翻し、そのまま逃げるように廊下を進む。ようやく解放されたのだ、早く自室へ戻りたい。

「どわっ!?」

「っ……」

 角を曲がった瞬間、誰かと真正面からぶつかった。鈍い音と共に、大量の紙束や巻物が床へ散らばる。

「うわっ、悪い!急ぎすぎた!」

 源ヒロマサは慌ててしゃがみ込み、散乱した巻物を拾い集め始めた。開いた巻物には奇妙な図形や文字がびっしり書き込まれている。

 ――陰陽術の術式か?

 思わず眉をひそめる。また陰陽師だ。最近この屋敷、陰陽師が増えすぎじゃないか?

 相手は何も言わなかった。ただ黙々と巻物を拾っている。長い紫黒の髪が三つ編みに結われ、肩からさらりと垂れていた。細い指先が静かに紙を整えていく。

「これ、どこまで運ぶんだ?手伝うよ。ぶつかったお詫びってことでさ。あ、俺は源ヒロマサ!あんたの名前は――」

「うるさい」

 ぴしゃりと言葉を切られた。

 初めて顔を上げたその人物は、息を呑むほど整った顔立ちをしていた。だが、その美しさとは裏腹に、表情はひどく不機嫌そうで、声音も冷え切っている。

「あなたたちと馴れ合う気はない。失礼」

 そう言い捨てると、彼女は巻物を抱えたまま立ち上がる。紫黒の髪が揺れ、袖が翻った。



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