血雨の真実
源ヨリミツが何を考えているのか、三人にはまるで分からなかった。拘束するでもなく、「縛る必要はない」の一言だけで、そのまま源氏の屋敷へ連れて来られてしまったのだ。トランスグレッサーを三人も連れ込みながら、周囲の家臣たちも止めようとしない。ただ、向けられる視線だけは痛いほど鋭かった。
門を抜け、磨き上げられた木の廊下を歩く。左右には屋敷の者たちが控え、物珍しげにこちらを見ていた。ハルカは居心地悪そうに肩をすくめる。
やがて一行は御簾の下ろされた一室へ通された。外には静かな庭園が広がっている。白砂に灯籠、池に映る月光もまた美しい。
だが空気は重い。特に渡辺ツナの敵意は隠しようもない。ヒヨリは落ち着かなさそうに呟いた。
「……本当に、ついて来てよかったのかな」
フクロがただフンと鼻を鳴らした。
「情報が少なすぎる。この京で何が起きてるのか、俺たちは何も知らない。だったら危険でも飛び込むしかないだろ」
「それはそうだけどさ……」
「まあまあ、あの子供将軍は大丈夫でしょう!男に対する直感はいつもあってるからね、私!」
ハルカは相変わらず緊張知らずの様子だった。
「座れ」
源ヨリミツが短く言った。自分は当然のように先に腰を下ろす。その姿に続き、坂田キントキたちも座ったため、三人も仕方なく向かいへ腰を下ろした。
「ではまず、君たちの名を聞こう。いつまでもトランスグレッサー呼ばわりでは面倒だからな」
「……ハルカ。こっちがヒヨリで、こっちがフクロ」
「なるほど。では、一旦はシュテンとイバラキが君たちに手を貸したという話を信じよう。その上で聞く。君たちの目的は、シュテンを取り戻すことか?」
「……うん」
ヒヨリは真っ直ぐ答えた。
「イバラキも怪我してたし。あいつらをこのまま見過ごすにはできないから、助けてあげたい」
「貴様……!」
渡辺ツナが怒気を露わにしかける。しかし源ヨリミツが片手で制した。
「その前私もに聞きたいんだけどさ!」
今度はハルカが割り込む。
「シュテンが消えたと思ったら、急にあの蘆屋ドウマンってやつが出てきたじゃん?あれ何なんだよ。あいつ、あんたらとどういう関係なんだ?」
「その話なら、私が説明しよう」
御簾が静かに上がった。
部屋へ入ってきたのは、白装束を纏った陰陽師だった。長い濃い紫の髪が灯りを受けて淡く揺れる。張り詰めた空気の中でも、その姿だけはどこか儚げだった。雪のように白い衣と淡い紫の装飾が、彼女の美貌をより幻想的に際立たせ、人ならざる姫君のような雰囲気を纏っている。
「セイメイ」
「セイメイ様」
源ヨリミツ以外の四人が頭を下げる。安倍セイメイは軽く頷くと、そのまま三人の前まで歩いてきた。
「皆、そんなに警戒しなくていい。この三人は敵ではない」
その一言だけで空気が変わった。先程まで刺すようだった視線から、露骨な殺気が少し薄れる。安倍セイメイという存在が、それほど絶対的な信頼を得ているのだろう。
「お前は……?」
ヒヨリが尋ねる。
「私は安倍セイメイ。平安京の結界を維持していた陰陽師だ。先程、京の民を守っていた符も私の術式によるものだ。トランスグレッサー――あなたたちには礼を言わねばならない。京を守るため、力を貸してくれた」
フクロは目を細めた。
蘆屋ドウマンが最後に口にした名。それがこの女だった。
だが妙だ、と彼は思う。源ヨリミツたちが帰還したばかりだというのに、安倍セイメイはまるですべてを最初から見ていたような口ぶりだった。
安倍セイメイはハルカへ視線を向ける。
「蘆屋ドウマンについて知りたいのだろう?」
「あ、うん」
「十年前、平安京を襲った大災害――あの血雨を引き起こしたのが、彼女だ」
「……え?」
ハルカが素っ頓狂な声を上げた。
「あの、人が鬼になる雨を降らせたのが?」
「そうだ。説明するには、まず陰陽師について話さねばならないな」
彼女は腰を下ろし、小さく息を吐く。
「この平安京では、陰陽師とは万象を操り、未来を見通し、奇跡を起こす存在として扱われている。だが実際、陰陽師の正体は、ただの根印持つ者だ。そして陰陽術とは、根印によって発動される術式に過ぎない」
ハルカたちは黙って聞いていた。
「根印を持たぬ者から見れば、それは奇跡に見える。それだけの話だ」
「……なら、お前は?この京で一番有名な陰陽師なんだろ。何せ、今こうして京の大将の隣にいるしな」
フクロが問い返しに、安倍セイメイは少しだけ困ったように笑った。
「恐縮だ。私はただ、少々便利な力を持っているだけだ」
だがその表情には、どこか拭えない陰りがあった。
「その能力は、藤原の貴族たちに見出され、私もまたこの屋敷へ招かれ、今大将の助力になっているのは確かだが……ここで蘆屋ドウマンと出会ったのもまた、事実だ」
「……あいつも陰陽師だったのか?この屋敷の?」
ヒヨリが驚いて更に尋ねた。
「そうだ。私にとって、ドウマンは、生涯最大の敵と言ってもいいでしょう。最初は藤原様たちが提案した他愛もない競争だった。占いの精度、符の威力、術式の巧拙。毎度毎度、私が何とか彼女に勝ったが、次第に私たちの争いは、どんどん止められなくなってしまい……そして十年前――彼女は自らの肉体を代償にした」
三人は息を呑んだ。
「蘆屋ドウマンは、自分自身をハタへ変えたのだ。空から降った血雨、その一滴一滴が蘆屋ドウマンそのものだった。彼女の目的はただ一つ。最強の器を見つけ、より強大な存在として蘇ること。そのためだけに、京を地獄へ変えた」
「……そこまでして、何がしたかったんだよ」
ハルカが呟いた。
「私に勝つためだ。そして先程、あなたたちも見たでしょう。大江山の鬼王・シュテンこそ、彼女が選んだ器だった」
安倍セイメイのその声には、長年積み重ねられた執念が滲んでいた。
「本当、忌々しい話だ」
源ヨリミツが腕を組みながら吐き捨てる。
「よりにもよってシュテンの能力まで取り込みおった。以前の蘆屋ドウマンなら、俺の相手なんかなれないのに……ハルカと言ったな。君は、逃がしたイバラキが何をしたか、知っているのか?」
ハルカは眉をひそめる。
「セイメイ様の占いで、とっくにシュテンが蘆屋ドウマンに狙われていると分かった。だから我らは、蘆屋ドウマンの企みが実現する前に、大江山へ攻め込み、命懸けでシュテンを討ち取ったのだ」
話を続けた渡辺ツナの視線が鋭くなる。
「大将の刃は鬼すら殺す。シュテンの首は確かに落ちた。だがイバラキは、私を欺いてその首を奪い返し、シュテンを蘇らせた」
三人は黙ったままだった。
「イバラキが余計な真似をしなければ、蘆屋ドウマンが復活することも、今夜の惨事も起きなかった……!」
重苦しい沈黙が落ちる。やがて、源ヨリミツが口を開いた。
「君たち、理解しただろう。蘆屋ドウマンが復活した今、シュテンはもう存在しない。君たちが助けたい相手は、もう戻らぬ」
「……いや」
ハルカが言い返した。
「シュテンって、そんな簡単に終わる男じゃない」
更にフクロが何かを思い出したように顔を上げる。
「蘆屋ドウマンは、イバラキが邪魔だったと言っていた。俺たちは以前、暴走したシュテンを見ていた。その時、イバラキはシュテンの理性を取り戻させたが」
「そうだよ!」
ヒヨリも勢いよく身を乗り出す。
「まだ決まったわけじゃないだろ!」
「……ほう?」
安倍セイメイの目に興味が宿る。
「本当か?」
「たとえ本当でも、一時的なものだ!」
渡辺ツナが鋭く遮った。
「鬼は鬼だ!貴様らは、この京でどれだけ人が鬼に殺されたかも知らない余所者のくせに!」
「ツナ」
源ヨリミツの声が響く。
「君の怒りは分かる。だが今、我々も、窮地に追い詰められているよ」
渡辺ツナは唇を噛み、黙り込んだ。
「――では、改めて問おう。シュテンを取り戻したいなら、あの蘆屋ドウマンを倒すしかない。君たち、その覚悟はあるか?」
「もちろん!」
ハルカが即答した。
「さっきは途中で終わったけど、次は本気でぶっ飛ばしてやる!」
「……はぁ」
フクロが呆れたように息を吐く。
「まあ、俺もあいつがどこまで強いのか興味はある」
「俺も戦う!」
ヒヨリも拳を握った。
「絶対、蘆屋ドウマンを止める!」
源ヨリミツは腕を組み、満足そうに笑った。
「よかろう。ならば一時休戦だ。蘆屋ドウマンを討つまで、共に戦いましょう。よろしく頼むぞ、ハルカ、ヒヨリ、フクロ」
その発言でようやく場の空気が和らいだ。
――はずだった。
ヒヨリが突然、気まずそうに手を挙げる。
「あ、えっと……ごめん。俺、那須野に戻らないと」
「はぁ!?」
坂田キントキが不満の声を上げた。
「オマエ、今大口を叩いたばかりで何逃げろうとしてんだよ!」
「いや違うんだって!もちろん蘆屋ドウマンは倒す!シュテンは助ける!でも俺戻らないと平安京が燃えてしまうんだよ!違う大災害になってしまう!」
「はああ?!」




