暴走
「――ッ!」
刀と鋭い爪がぶつかり合い、甲高い衝撃音が境内へ轟いた。凄まじい音圧に、傍らの巨大な桜の木から無数の花弁がはらはらと舞い落ちる。
数度の打ち合いの末、源ヨリミツは軽やかに後方へ飛び退いた。その動きに合わせるように、渡辺ツナと碓井サダミツもすぐ両脇へ並ぶ。
「この辺りの鬼は片付きました、大将」
渡辺ツナが短く報告する。
「スエタケとキントキもそろそろ来る頃だな。……おや。見慣れない連中まで一緒みたいだ」
碓井サダミツは青い大鎌をくるりと回しながら後方を振り返った。
「大将!」
直後、坂田キントキの声が響く。彼は卜部スエタケと共に駆け込んできて、その後ろにはヒヨリたち三人の姿もあった。
そこは大きな寺院の前だった。朱塗りの柱に、重厚な黒い屋根。咲き乱れる桜が視界を覆い、ただ立っているだけでも息を呑むほど美しい場所だと分かる。もし平時なら、もっとゆっくり見て回りたいと思ったかもしれない。
もっとも、今はそんな余裕など欠片も無かった。
「大将」
坂田キントキは源ヨリミツの前へ膝をつく。
「このトランスグレッサーども、無理やりついて来やがって……悪い、止め切れなかった」
「……え?」
ハルカはその言葉に目を丸くした。坂田キントキを見て、次に大将と呼ばれた人物を見る。
「あんたが源ヨリミツ!?え、ちっちゃ!?子供じゃん!」
「貴様、無礼にも程があるぞ!どこの馬の骨だ——」
渡辺ツナが怒鳴る。
だが言い終わるより早く、源ヨリミツは地を蹴っていた。
一直線に飛び込んでいく先にいるのは、自分より遥かに大柄の鬼。成人用の太刀を、源ヨリミツは信じられないほど自在に振るっていた。斬撃と刺突が絶え間なく繰り出され、そのたび鋼と爪が激しく火花を散らす。
鬼の爪が空を裂き、そのまま地面へ叩き付けられる。石畳が一メートル以上も割れ砕ける中、源ヨリミツは軽やかに跳び上がり、鬼の首筋を踏み台にして後方宙返りを決めた。着地と同時に再び構え直す姿は、まるで舞うようだった。
だが、その鬼の姿を見た瞬間、ヒヨリの呼吸が止まる。
「……シュテン?」
その双眼は以前暴走した時と同じ禍々しい色に染まり、さらに全身へ黒い紋様が浮かび上がっていた。顔にまで侵食したそれは、生き物というより呪いそのもののように見える。
「なんで……なんでシュテンがまたこんなことになってるんだ?しかも京の中に……イバラキは?」
「グォォォォオオオオッ!!」
その瞬間、どこからか飛来した紫色の光矢がシュテンの右肩へ突き刺さった。鮮血が噴き出し、矢は光の粒となって消える。しかしその一撃は逆にシュテンを激昂させたらしく、人のものとは思えない咆哮が境内を揺らした。桜吹雪がさらに激しく舞い散る。
源ヨリミツは刀を構えたまま鋭く命じる。
「キントキ、先に仕掛ける。ツナとサダミツは待機」
「応ッ!」
三つの返答がほぼ同時に重なった。坂田キントキは源ヨリミツと並び、一気にシュテンへ突撃する。
戦い方も体格もまるで違う二人だったが、その連携は異様なほど噛み合っていた。坂田キントキが圧倒的な怪力でシュテンの体勢を崩し、その一瞬の隙へ源ヨリミツの斬撃が滑り込む。源ヨリミツが坂田キントキの肩を踏み台に跳躍し、鋭い突きを放つ。その直後には巨大な斧が叩き込まれ、シュテンは次々と傷を増やしながら後退を強いられていく。
フクロがふと後方を見ると、遠くの屋根の上に卜部スエタケの姿があった。手には赤い弓、それに紫色の紋様が淡く輝いている。先ほどの矢を放ったのは間違いなく彼だ。
「――トランスグレッサー」
低い声に振り向くと、いつの間にか渡辺ツナの刀がヒヨリの喉元へ突き付けられていた。
「貴様ら、目的はなんだ。答えろ」
ヒヨリは敵意を剥き出しにした渡辺ツナを見つめ、それから押し込まれていくシュテンへ視線を移す。
「……あいつは、俺たちを助けてくれたんだ。短い間だったけど、それでも助けてくれた。あいつ自身も、俺たちを傷付けるのを心配で、離れさせたんだ」
「質問に答えろと言ったはずだ」
渡辺ツナは冷たく言い放つ。
しかし鋭い金属音が弾け、渡辺ツナの刀が、別の刃によって弾き上げられる。驚愕した彼の前に立っていたのは、黒髪紅眼の少年――フクロだった。
「まずはこっちに説明しろ」
フクロは薄緑を真っ直ぐ向ける。
「ここで、何が起きてる」
「……身の程知らずが!」
渡辺ツナは激昂し、そのまま斬り掛かった。フクロも即座に迎え撃つ。二本の刀がぶつかり合い、赤い火花と黒い稲妻が巻き起こった。
「やめろツナ!」
碓井サダミツが声を張る。
「説明なら俺がする!」
「何を馬鹿なことを!こいつらは鬼と関わったトランスグレッサーだぞ!今ここで始末すれば済む話だ!」
「今、本当に敵に回すべき相手が誰か見えてないのか!敵作るにも状況考えろよ、ツナ!」
激しく競り合っていた二人の刀が、同時に逆方向へ弾かれる。耳障りな摩擦音を残しながら刃が離れても、互いの殺気だけは消えなかった。
「……チッ」
渡辺ツナは忌々しげに舌打ちし、顔を背ける。
碓井サダミツはそのまま三人の方へ歩み寄った。ヒヨリたちは無意識に半歩下がる。
「京の結界は、さっきシュテンに破壊された。だから魑魅魍魎が一気に流れ込んできたんだ。まったく……こんな早く百鬼夜行をまた見る羽目になるとはな。話を聞く限り、あんたらはシュテンに助けられたらしい。俺は正気がある時のシュテン何か全くを知らないが……少なくとも今のあれは完全の化け物だ」
「……あんたたち、シュテンをどうするつもりだ」
ハルカが重い声で問う。
碓井サダミツはあっさり答えた。
「決まってるだろ。殺す」
そして少しだけ皮肉っぽく笑う。
「もっとも、今度こそ本当に死ぬのかは分からんがな。あいつ、一度俺たちが苦労して殺したはずの鬼だからな」
「どけ!」
左腕が空を切り、そのまま木造の壁へ叩き付けられる。壁は粉々に砕け散り、建物そのものが轟音と共に崩れ落ちた。中にいた人々は悲鳴を上げて頭を抱えるが、落ちてきた木材は青い結界に弾かれ、彼らへ傷一つ付けられない。
イバラキは怒りで目を赤く染め、攻撃を躱して飛び退いたホシグマを睨み付けた。
「どけ、だぁ?簡単に言ってくれるじゃねぇか。ずっと我慢してたんだぜ?やっと面倒な結界が壊れて好き放題暴れられるようになったのに、お前の一言でやめろってか?」
イバラキは殴り掛かった。しかしホシグマは避けようともしない。正面からその一撃を受け止め、逆に膝を思い切りイバラキの腹へ叩き込む。
衝撃でイバラキの身体が十メートル近く吹き飛んだ。巨木へ激突した瞬間、三人で抱えなければ届かないほど太い幹が嫌な音を立てて折れ、轟音と共に倒れていく。地面へ崩れ落ちながらも、イバラキはなお立ち上がろうとしていた。
「両腕もありゃ、もう少しマシだったかもな」
ホシグマはゆっくり近付いていく。右腕へ黒い紋様が這い上がっていった。
「なぁイバラキ。お前、何のためにそんな必死なんだ?」
「……オマエには、話すことなんてない」
イバラキは身体を丸めたまま、ゆっくり立ち上がる。
「だろうな。だからもう遠慮もしねぇ。お前の能力が便利だから今まで生かしてやってたが……もう必要ねぇんだよ!」
【あっ――そうだ!】
突然、アルテミスの声が響いた。
【前にここへ来た時、大江山最強の鬼王っというのが、源氏によって討伐が成功したって話を聞いた覚えがある……!】
「大江山最強って……シュテンのことじゃない?!なんで今まで言わなかったんだよ!」
ハルカは剣を握ったまま言葉を返した。
【だ、だって……シュテン、生きてるし!聞き間違いかなって思ってたんだもん!】
「……で、どうするつもりだ?トランスグレッサー。……お、おい!?」
ヒヨリは拳を握り締めたまま飛び出していた故、碓井サダミツが驚きの声を上げる。源ヨリミツと坂田キントキも、突然自分たちの前へ飛び込んできたヒヨリに目を見張った。
「ははっ、あいつこういう時、私より無謀だな!」
「シュテンのやつに借りを作っちまったし、しょうがない」
ハルカは逆に楽しそうに笑って駆け出し、フクロも後に続いた。
「……あいつら、頭おかしいんじゃねぇか。何でわざわざ私たちの助力に」
渡辺ツナが呆れたように呟き、碓井サダミツも口を開けたまま固まっている。
遠くの屋根にいた卜部スエタケだけが、不思議な顔で見下ろしていた。
「審判」
「――落雷!」
黒い雷がシュテンの足元へ炸裂する。シュテンが本能的に一歩下がった瞬間、ヒヨリの炎を纏った拳が突き込まれた。シュテンは左腕で受け止める。炎が半身を焼いても、まるで怯む気配がない。
「シュテンッ!目を覚ませ!もうやめろ!」
だがシュテンは答えない。ヒヨリの拳を握り潰す勢いで掴み、そのまま右拳を振り上げた。至近距離から放たれる一撃。
「アルテミス!アレースだ!」
【了解!】
シュテンの拳がヒヨリの顔へ届く寸前、真紅の矛がその拳を貫いた。鮮血が飛び散り、ヒヨリの頬まで赤く染める。
ハルカが嗜血の無敗矛を両手で握り、シュテンの腕を止めていた。
「できれば傷付けたくないんだけどな。うちのヒヨリの顔殴るわけには――ん?」
矛で貫いたシュテンの腕。その黒い紋様が、僅かに薄くなっていたのだ。
しかし、その一瞬の隙をシュテンは逃さない。怪力でヒヨリをそのままハルカへ叩き付け、痛みなど感じないように無理矢理矛を引き抜く。二人はまとめて吹き飛ばされた。
フクロがすぐ前へ出て薄緑を構えた。
「何やってんだお前ら」
「いてて……でも今、矛が効いてた気がする!もう一回やれば、もしかして――」
「ツナ、サダミツ。行くぞ」
源ヨリミツの声と共に、三人が再びシュテンへ斬り掛かった。先程よりもさらに苛烈な連携。刀光が幾重にも交差し、三人ですら目で追えないほど速い。
「トランスグレッサー!」
シュテンと斬り結びながら、渡辺ツナが怒鳴った。
「殺せもしないなら邪魔をするな!そこで引っ込んでろ!」
地面へ座り込んだヒヨリの指が、無意識に石畳へ深い爪痕を刻んでいた。
渡辺ツナの刀がシュテンの首を押さえ込み、碓井サダミツの鎌が逆方向から身体を絡め取る。どちらの残刻器も凄まじい切れ味を誇るが、それでもシュテンを断ち切れない。だがこれで二人は完璧にその動きを封じていた。シュテンは両手で刃を掴み、血を流しながら抵抗する。
源ヨリミツが刀を構え直す。狙いは心臓。
「これで最後だ。大江山の鬼王よ」
小さな身体だが、その墨色の瞳には一瞬だけ黄金の光が宿った。
次には疾風のごとく踏み込み、刃がシュテンの胸元へ迫る。
「やめろォっ!!」
ヒヨリの叫びは届かない――はずだった。
咄嗟に、シュテンと源ヨリミツの間に、白く眩い円形の門が突如として開く。源ヨリミツの刀が門へ触れた瞬間、その中から伸びた手が彼の顔を掴み、乱暴に横へ投げ飛ばす。
「大将!」
同時に、シュテンを押さえていた渡辺ツナと碓井サダミツも弾き飛ばされた。
三人は呆然と、その見覚えのある門を見つめる。
光門はすぐ消え去り、イバラキがシュテンの前へ立つ。
渡辺ツナが、イバラキを目にした時に、顔も憎悪に染まる。
「イバラキ……!貴様、まだ私の前に現れる度胸があったか!」
イバラキは横目で渡辺ツナを見た。その表情は何とも言えない複雑だった。
「……今はオマエに構ってる暇はない」
「――イバラキ、後ろ!!」
ハルカの叫びは間に合わなかった。
シュテンの爪が、背後からイバラキの身体を引き裂く。鮮血が飛び散り、その場にいた全員が息を呑んだ。
「っ……!」
イバラキは苦痛に震えながらも倒れない。目の前の、もはや自分すら認識していないシュテンを見つめる。
「……わるい、シュテン。……今、助ける……」
前にもやったように、左手をゆっくり伸ばす。
なのにぱしっと、シュテンがその手首を掴んだ。
「……逃げろ……」
理性がないはずのシュテンが、急に言葉を発した。
イバラキですら、こんなことは初めてだ。反応する暇もなく、シュテンは凄まじい力でイバラキを突き飛ばした。
「早く逃げろっ……!」
直後に。黒赤の光柱が再び天から降り注ぎ、シュテンの身体を丸ごと呑み込んだ。




