源氏
二人の足音が、長い廊下に小さく軋みを響かせる。
白髪の男に案内され、カドワロナは幾度も角を曲がり、渡り廊下を進み続けた末、とある御簾の前で足を止めた。
「失礼いたします、大将」
そう告げて御簾を上げる。
その先には、陽光に照らされた広い庭園があった。花々の上では色とりどりの蝶が舞い、穏やかな風が室内へ吹き込んでくる。
すでに四人の人物が座しており、中央には茶器が整えられていた。
その中で最も幼い少年が、二人の姿を見るなりぱっと立ち上がる。十二、三ほどだろうか。長めの黒髪を後ろで結い、淡緑の衣を纏った少年は、軽やかにこちらへ駆け寄ると、大きな黒い瞳でカドワロナを見上げた。
「こうして正式に会うのは初めてだね」
少年はにこやかに笑う。
カドワロナも笑みを浮かべ、箱を差し出した。
「ええ、初めまして。源ヨリミツの大将。こちらをどうぞ、菓子が好きだと聞いているので」
――源ヨリミツ。
平安京を統べる将軍、このまだ十を少し越えたばかりの少年だとは。
「おお、美味そうだなあ!気を遣わせちゃったね。さ、座って座って。あ、スエタケもご苦労!」
スエタケと呼ばれる白髪の男は静かに一礼し、皆の傍へ端正に腰を下ろした。
「卜部スエタケとは、我がブリットンスの協定騎士として昔から面識があるが……他の皆とは初対面だ。紹介お願いできるかい?」
カドワロナが和菓子の箱を脇へ置きながらそう言うと、源ヨリミツはさっそく箱を開け始める。
「じゃあまずはこっち!渡辺ツナだよ!」
紹介されたのは、二十代ほどの若い武人だった。臙脂色の長髪を後ろで束ね、黒を基調とした装束を纏っている。彼は静かに茶を注ぎながら、ため息混じりに口を開いた。
「初めまして、カドワロナ様。……大将、和菓子は後でにしてください」
「あう……」
源ヨリミツは名残惜しそうに大福へ伸ばしかけた手を引っ込める。
「それで、こっちがキントキ!」
次に紹介されたのは、圧倒的な体格を誇る大男だった。土色の浴衣を無造作に着崩し、鍛え抜かれた肉体が覗いている。逆立った金髪もまた豪快だったが、なぜかカドワロナを前にすると妙に落ち着かない様子で、頬まで赤い。
「さ、坂田キントキっス!よ、よろしくお願いします……!」
「最後は、碓井サダミツ!」
短い茶髪に青い瞳、淡青の山伏装束を纏い、首には数珠を提げた青年が、柔らかな笑みを浮かべた。
「初めまして、カドワロナ様。かねてよりそのご高名は耳にしておりましたが……これはこれは、まさに傾国の麗人ですね」
――これが、第三空間、最強の武人たち。
十年にわたり平安京を守護してきた、源氏の将とその配下。
カドワロナは静かに茶杯へ目を落とし、やがて表情を引き締めた。
「……では、本題に入ろう」
源ヨリミツもまた姿勢を正した。
「おう。普通の連絡事項ならスエタケ経由で済むはずだ。君が直々に来たってことは、相当な話なんだろ?」
カドワロナは重々しく頷いた。
「ええ。ドミネーター殲滅戦、その準備を開始することが決定した。近いうちに総攻撃へ移れるよう、ここの皆にも備えて欲しい」
その瞬間、広間に沈黙が落ちた。
源ヨリミツは静かに茶を口へ運ぶ。
「……ついに決断したか。つまり、この宇宙は限界に近いんだね」
「はい。本来なら、まだ時間をかけたかった。前の戦いでこちらの損耗も激しく、敵戦力は想像を遥かに超えていた。しかし宇宙の現状を踏まえて、これ以上待つ余裕はない」
「他の世界はどうですか?」
渡辺ツナが問いかける。
「第二空間にはまだ私は赴いていない。あちらは人形使いに頼む予定だ。問題は、第五空間だが……彼らを待つ余裕も、もはや」
「自分たちの問題も片付けられねぇ奴らなんざ、当てにするだけ無駄だろ」
坂田キントキが鼻を鳴らした。
「相変わらず短気だねぇキントキ」
発言したのは碓井サダミツだった。
「ここにいる全員、実際にドミネーターと交戦したのはカドワロナ様だけ。軽々しく口は挟めないよ。すみませんねカドワロナ様」
その言葉を聞いて、卜部スエタケの手がわずかに強く握られた。
「……やはりドミネーターとの直接交渉は、不可能なのですか?」
カドワロナは首を横に振る。
「ありとあらゆる方法を試した。だが向こうは一貫して接触を拒絶している。ならば、強引にでも引きずり出すしかない」
「共に閉じ込められているあのモニターの行方は?戦力として期待できるはずですが」
それにも、彼女は静かに首を振った。
重苦しい沈黙が続く。誰もが情報を整理し、同時に突破口を探していた。
「お待ちなさい」
不意に、御簾また上げられた。
源ヨリミツほどの立場の者の会話へ、断りなく割って入る者などいないはず。だが、入ってきた人物を見た瞬間、カドワロナ以外は即座に立ち上がった。
現れたのは、艶やかな紫紺の長髪を腰どころか足元近くまで編み下ろした、神秘的な雰囲気を纏う女性。頭には高く尖った濃紫の烏帽子を被り、その両脇には淡い藤色と水色の花飾りが添えられている。陰陽師を思わせる白基調の装束は、袖や裾に紫や薄青の差し色が施されており、静謐さの中にどこか妖艶な美しさを感じさせた。
ゆったりとした衣装に包まれていても、彼女の体つきが驚くほど均整の取れたものだと分かる。細く引き締まった腰から胸元、すらりと脚へ至るまで、その立ち姿だけで目を奪われるほど完成されていた。
だが本人には、むしろ禁欲的な所作がその色香をより際立たせている。湖面のように静かな紫の瞳が、その場の全員を順に見渡していく。
そして最後に、カドワロナへ視線を向けた。
「お久しぶりです、カドワロナ様」
「ええ。お久しぶり、安倍セイメイさん」
――安倍セイメイ。
平安京に彼女を知らぬ者はいない、名高い陰陽師。
「あなた様のお考えは理解しております。しかし……私たちは、まだその殲滅戦には乗れません。十年前のあの大災害が――近日中に、再び起ころうとしているのです」
「協定騎士?」
大江山の山頂では、ハルカが買ってきた食べ物を囲んで話をしている。周囲に他の者はいないため、アルテミスも人の姿を取って一緒に菓子を口にしている。
彼女が普通に食事をしていることにハルカがしばらく驚いていたものの、その後はアルテミスが知っている情報を共有し始めた。
フクロは「協定騎士」という言葉に眉をひそめる。
「ブリットンスは今、各世界の連絡役を担っている。そして各世界を代表して、本部へ赴く者が、協定騎士だよ。この平安京の協定騎士は、たしか卜部スエタケっていう幻惑使いだったはず。平安京の将軍――源ヨリミツの部下だね」
「へえ……ここの将軍って、源ヨリミツっていうんだ」
ヒヨリが感心したように頷いた。フクロはただ腕を組み、低く呟く。
「この世界について、まだ情報が少なすぎる。大江山に籠もり続けるわけにもいかない。街へ出て情報を集める必要があるな」
「うーん……」
ハルカは団子を頬張りながら考え込む。
「でもここってヴラドたちの世界と違って人が多すぎるし、どうやってあんたら二人のことを調べればいいんだろ」
「一番単純で、一番難しい方法がある。源ヨリミツに聞くことだ」
「おおっ!」
ヒヨリがぱっと顔を上げる。
「一番偉い奴が、一番色々知ってるってことか!」
「ま、待って待って!それは駄目に決まってるよ!」
アルテミスが慌てて立ち上がった。
「相手はブリットンス側なんだから!捕まったら、多分そのまま元の世界へ強制送還されちゃう……!」
「……それなら、事情をもっと知ってそうなのは、シュテンしかいないな」
フクロは肩をすくめた。
「だよね!」
ハルカが勢いよく頷いた。
「シュテンってブリットンスのことも知ってるし、私たちを見ただけでトランスグレッサーだって見抜いたし!絶対いっぱい知ってるって!早速シュテンに会いに行こう!」
ハルカに続き皆も立ち上がり、林の奥へ向かおうとした、その時だった。
不意にヒヨリが足を止める。後ろを歩いていたフクロは、その背中にぶつかりかけた。
「……どうした」
隣へ回った瞬間、ヒヨリの顔が真っ青になっていたのだ。額には汗が浮かび、青い瞳には露骨な恐怖が宿っている。
「何か……来る……!」
彼は震える声で呟く。
「真っ直ぐ、こっちに――ハルカ!避けろッ!!」
「ドン!!」
ハルカが振り返るより早く、上空から黒い影が凄まじい速度で落下した。次の瞬間、彼女のいた場所が巨大な爆発に飲み込まれる。
爆煙が巻き上がる中、白い光が閃いた。全身を金属装甲で覆ったハルカはヒヨリたちの元へ飛び退く。
「助かった、アルテミス!」
【礼は後だよ。この人、かなり危険だわ!】
「――ッ!」
突風が一気に爆煙を吹き飛ばした。その向こうから、小柄な人影がゆっくり歩いてくる。
三人はそこで初めて、突然襲いかかってきた侵入者の姿をはっきり視認した。
十歳前後の小柄な少年。深緑の髪を左右で丸く結い上げ、そのまま腰近くまで届く長いツインテールのように垂らしている。髪飾りには淡い桃色のリボンが結ばれており、幼さの中にどこか妖しい華やかさがあった。
ぱっちりとした紫色の瞳は人形めいて整っているが、視線だけは妙に鋭い。額には小さな紅の印があり、そのせいか、愛らしい顔立ちにもどこか近寄りがたい雰囲気が漂っている。
衣装は翡翠色を基調にした軽装で、肩を大胆に露出した異国風の意匠。胸元には淡紫の文様が描かれ、腰から伸びる花びらのような布が風に揺れるたび、まるで舞う蝶の羽のように広がった。腕には左右非対称の袖飾りを付け、細い足には白い脚衣を纏っているが、足先は裸足のままだ。
その右の上腕には、文字のような淡い紅の模様があり、左手に大きな黄金の輪を握っていた。
だが、その視線は幼い外見とまるで噛み合っていない。一切の情けも無いような冷たい視線だった。
「鬼の縄張りに逃げ込めば安全だとでも思ったか?トランスグレッサー」
凛とした声が山頂へ響く。
「……ブリットンス!?」
三人共目を見開いた。
少年は鼻で笑い、その輪を軽く振るっただけで、周囲に風が巻き起こる。
「その様子じゃ、そこまで無知な奴らじゃないんだな。残念、オレはブリットンスの王に尽くす気は全くないさ。第四空間――紫微天宮、中壇元帥、ナタ!」
彼は誇らしげに名乗り、黄金の輪が、三人へ向けられる。
「貴様ら賊徒をここで捕縛する!」




