星の彼方を目指す者
ソロは顔を上げ、作業机の前に座るルークが目に入った。
「……アリスを渡したのか?」
ルークは静かに頷いた。
ソロは力が抜けるように腰を落とし、両手を膝に置いた。
「ボクだったら……あの女の要求なんて、適当に作って押しつけてたな。なんで、そんなに真面目に作るんだよ……」
「ソロ、君は、ロボットが好きか?」
「は?……好きに決まってるだろ」
「じゃあ好きなことを、やりたいことを絶対に裏切るなよ」
ルークはそう言って、未完成のネモを見やった。
「……また武装を追加したのか」
「駄目だったか?」
「いいや。君がやりたいようにやればいい。私も、他の工程を進めないといけないからな、ブリットンスの注文が多いし」
「……よくも本気であいつらなんかのために……」
「さっき言ったろう?やりたいことを裏切るなって……自分自身を、否定するな。これを忘れないてほしい」
ソロは、手にしたドライバーを強く握りしめた。
ブリットンスの女は天空城の縁に立ち、下方に広がる黒紅の森をじっと見つめていた。
「下には何かあるのですか?第二空間に来るたび、そんなに気にされているようですが」
問いかけたのはケイだった。
「……距離が遠すぎて断定はできないわ。でも、確かに何かがある……とある凄まじい残刻器が……もしかすると、滅世残刻器かもしれない」
「何ですって?滅世残刻器?それって、王が持っているのと同じ……こんな場所に?」
「だから断定はできないと言っている。……ちっ、今の私たちには、この世界を隅々まで調べる余裕もないな」
「おい」
不機嫌そのものの声で、ソロが二人の会話を遮った。
ケイはその様子を見て、礼を保ちながら問い返す。
「どうされましたか、ソロさん?もし擬似根印の原材料の件でしたら、先ほどはもう――」
「あんたたちが初めて天空城に来てから、もう十年だ。十年だぞ。この十年間、ルークは寝る間もなく機械兵士を作り続けてきた。……まだ終わらないのか?」
ケイは言葉を失った。
隣にいた女は、ゆっくりと振り返る。その瞳には、ソロの詰問に揺らぐ気配は微塵もない。
「ええ、まだまだ終わらないわ。むしろ聞きたいくらいね。これほどの数が必要だと分かっていて、しかも天空城の全住民の命がかかっているというのに、どうして他の者に手伝わせないの?」
「ふざけるな!他の連中は関わるのも嫌がってる!もともとルークは疎まれていたんだ、あんたたちが来てからはなおさらだ!ルークのせいで自分たちの命が危険に晒されているってな!ルークは……もう限界なんだ!一万以上の兵を、どうしても一体一体自分で確認して……もうルークを解放してやれよ!」
女はただ何の感情もなくソロを見据える。
その視線に、ソロは思わず一歩後ずさった。
「……まだ言わせる気?君たちに、こちらと条件を交渉する力も資格もない。それが現実でしょう。ルーク・インヘリットに務まらないというのなら、君が代わりにやればいい」
「……どうして。力があるからって、好き勝手にボクたちを踏みにじっていいのか!」
「どうやら、この天空城はあまりに平和すぎたようね。そんな単純な理すら理解できないなんて。確かに、力だけですべてが解決するわけではない。でも、力がなければ何一つ成し遂げられない、それもまた事実よ――最後の警告だ。命が惜しいか?それとも、私に逆らってここで死ぬ?」
女は一拍置いて、そして言い足した。
「君が死ぬと、ルーク・インヘリットの面倒を見る者もいなくなるけれど」
ソロは唇を噛みしめ、何も言えずにいた。やがて女を睨みつけると、踵を返してその場を去る。
「……そこまで彼らを追い詰める必要があるのですか」
ケイがためらいがちに口を開く。
「無駄な同情は早く捨てなさい、ケイ。彼らが犠牲にならなければ、これから数えきれない者が犠牲になるだけよ」
ときおり、ルークの住まいの外壁に、目を覆いたくなるほど不快な落書きがされているのを見つける。
もともと彼は周囲から好かれてはいなかった。ブリットンスの者たちが来てからは、それが何度目かすら分からないほど繰り返されている。
最初のうちは眉をひそめ、ため息をつくだけだった。だが今ではもう慣れてしまっていた。
「私がきれいにましょうか」
背後から、フランケンシュタインが声をかける。
「……ああ、頼む、フラン」
ロボットは外壁に付着した塗料を丁寧に除去し、その後、室内へ戻って清掃用具を元の場所へと戻した。
ルークはベッドの縁に腰掛けたまま、ふと口を開く。
「フラン。機械と人の違いって、何だと思う?」
フランケンシュタインは数秒、思考を巡らせる。
「……違いは、あまりに多すぎます。機械は人によって作られた道具です。たとえ外見を人に近づけたとしても、本質的にはレンチやボルトと変わりありません。私たちは人とは、比較にならない存在です」
「そうか……じゃあさ。人に限りなく近い機械を作ろうとするのって、やっぱり愚かなことなのかな」
「……いいえ」
即答ではなかった。だが、迷いはなかったような声だった。
「それは、ルーク自身の挑戦です。それが善であれ悪であれ、愚かだとは思いません。むしろ、そのような挑戦を志すこと自体が――人間が持つ長所だと、私は考えます」
「……ありがとう、フラン。長所、か……しかし、私にはそんな長所は多くないな。フランに組み込んだ擬似根印は、観察と理解能力に力を入れているんだ。もし、もっと人間らしい長所を持った誰かがいれば……きっと、君はもっと成長できるんだろうな」
そして、彼はぽつりと呟く。
「……見てみたいな、そんな人の傍に立つの君を」
ルークの死は、やがて訪れた。
彼の最期には、ソロと、自ら造り出した数多の兵士たちが傍にいた。
ルークはもう、ほとんど声も耳も利かなかった。特別な椅子に半ば身を預け、ソロに手を握られている。
ソロは強く握りしめていた、まるで、ルークに自分の温もりを感じさせるかのように。
言葉を発することはずっと前にできなくなっていた。脳波を読み取り、思考を画面に映す機械で会話していたのだ。しかし今では、その便利な機械ですら役に立たない。ルークの脳が、もう言葉を紡ぐ力を失いかけていたからだ。
まるで鉄の森の中で営まれる葬儀のようだった。だが息苦しさはなく、むしろどこか温かで、美しかった。
《ki89ou...ありがとう》
スクリーンに浮かんだ文字に、ソロは両手で彼の老いた手を包み込んだ。
《du720o...私はほとんどdi892ue...大半の人生を...d8uw9孤独に過ごした》
《情熱を注いでie99u829誰にも必要とされないiw9uq研究をして、誰もd89eu私を正しいとは思わなかった》
瞬きする字幕が、そこにいる全ての機械たちの瞳に映っていた。
《でも今は……iwjq私は満たされている》
ルークのまぶたは、今にも落ちてしまいそうに揺れていた。
《理解してくれる人がいる……e89ur……ずっと傍にいてくれる者がi0ek0いる》
《私の短い人生に……こんなにも多くの宝物があった》
《私はi90p……心から感謝している》
そしてゆっくりと――安らかに、老人は永遠に瞳を閉じた。
《君たちが9diq0edq私の人生にきてくれて……k09i8》
《……ありがとう》
人類は、なんて弱いのだろう。
結局、ルークのような人でさえ、こんな取るに足らない結末。
……まだ、残っている。
彼を理解する唯一のボクが。
「やめろ……やめてくれ!俺は、俺はお前に何の恨みもない!エターニティ!」
もしも立ち塞がるのが根印持つ者ならば――ボクはそれを超える存在を造り出すだけだ。
「や、やめろ!頼む!何でも言うことを聞く!だから――あああああああっ!」
ボクが証明してみせる。世界に。宇宙に。
「ごめんなさい!ごめんなさい!ルーク・インヘリットのことはごめんなさい!許して……お願いだから許して……」
人類は、自らの力で、自らの意志で――永遠の何かへと辿り着けるのだと。
そのためなら、何だってやる。何だって利用する。
ボクの、やりたいことのために。
冷たい死体が、血溜まりに沈んでいた。右手には、壊れ果てた金属の欠片を握りしめたまま。
カインはソロの亡骸を一瞥することもなく言った。
「片付いたよ、ヴラド。もう大丈夫だ」
「……カイン……お前、いったい……」
「全部計画通りだ。理由があって、直接は話せなかった。仕方なく今になった」
血の跡を残した顔で、カインは笑みを浮かべながらヴラドの前に歩み寄る。
「ずっと前に、地上の廃棄処理をしていたスペードを利用して、上まで来たんだ。ソロのやり方はちょっと過激だったな。でも彼がいなくても、遺産には、レイチェルが人格をコピーできる。思考パターンなら、アルジャーノンが複製できる」
「……は?」
カインは彼を見つめ――ふっと笑った。
「永生は当然、君に与えるんだよ、ヴラド」
「……ぐっ……くそ……」
まったく動けない。これほどの痛みは、ハルカが昔受けたときの十倍……いや、数十倍だ。全身が焼けるように熱く、無理にでも動かそうとすれば、さらに激しい痺れと痛みが全身を襲う。指一本すら動かせない。ここまで痛みに蝕まれながら、それでも意識を失っていないのは奇跡に近かった。
「だから言ったでしょう……無理するなって」
アルテミスが膝をついてハルカの隣に座り込む。
「根印を持たない体で、能力まで使うなんて……電路のない配線板に直接、強制的に電撃を流し込むようなものよ。神経が焼き切れなかっただけでも幸運と思いなさい」
「……でも、まだ終わってない……」
地面に伏したまま、ハルカは歯を食いしばって言葉を絞り出した。
「……どうして、そこまで必死になるの?ここは……あなたの世界じゃないでしょう」
「ここでやつらを倒さなきゃ、私は強くなれないし……前に進めない」
紫髪の少女は、震えながら立ち上がろうとするハルカを黙って見つめた。
「……変な人ね。わざわざ自分から苦しもうとするなんて、バカじゃないの」
「分かってもらおうなんて思ってない。私は……やりたいことのために全力を尽くしてるだけだ」
その言葉に、アルテミは自分のスカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「……あなた、あのマッドサイエンティストと同じね」
「は?」
「無力で、弱くて……それでも星の彼方を目指そうとする。私はずっと、それを根拠のない驕りだと思ってた……でも、今は……」
言葉を続けようとしたとき、突如、前方からエンジン音が響いた。アルテミスが慌てて顔を上げると、半壊状態だったはずのレイチェルが背中の翼を広げ、風を巻き起こして飛び去っていくのが見えた。
「なっ、あいつ……!」
ハルカは必死に体を起こそうとするが、頭すら持ち上げられない。
アルテミスには、今にも崩れ落ちそうな機体でなぜ飛び立ったのか理解できなかった。だが確かに見た――片腕の機械は千切れ落ち、金属片をばら撒きながら、それでもレイチェルは研究所の奥へと飛び去っていった。
「何をするつもりなの……」
「分からない……でも、絶対よくない!アルテミス!あんたが追って!」
「はぁ?!今のあなたを一人にしたら――」
ドォン!
突如、地面が大きく揺れ、傾斜に沿ってハルカの体が転がり落ちていく。アルテミスが慌てて抱きとめ、近くの角に彼女を引き寄せた。
「だから言ったのよ!遺産と他の兵士も残ってる、今のあなたじゃ、遭遇したら終わりなんだから!」
悔しそうに歯を噛むハルは反論できなかった。
「……仲間がいるでしょう、彼らを信じなさい。だから――」
そう告げかけて、アルテミスの視線はハルカの胸元へ吸い寄せられた。
そこにあったのは、金色のペンダント。
目の形をした残刻器が淡く光を放ち、周囲のハタを吸い寄せるようにハルカの体へ流し込み、根印無き者も受け入れる速度で麻痺した神経を修復していく。
「――これは、一体……」




