人間最強
夜はすっかり更け、町のネオンも届かない小屋間の影に、フード付きのマントを纏った男がベンチにと腰を下ろし、右手を掲げるとそこに一羽の鳩が止まった。
しかし鳩はすぐに羽ばたいて飛び去り、男は少し寂しげに、振り返ることなく歩み寄る人物に声をかけた。
「久しぶりの再会がそんなに不機嫌なのかい、ルキウス」
ルキウスは影の外の一線に立ち、距離はあるものの視線はまるで刃のように鋭い。
「お前、何を企んでいる?こっちの入口には元々あんなロボットを配置するつもりはなかった。お前がここに現れたということは、連れてきたのもお前だろう」
「私のことをよく理解してくれて嬉しいが、そんなに悪印象を持たれているとは悲しいな……安心して、あの人形たちはよくできてる、住民には手を出さないよ。ただあることを確かめに来ただけで、用事が済んだら連れて帰るさ」
「させるか。お前の詭弁にはもう飽きだ、俺がすぐに追い返す」
彼が背を向けたその時、フードの男が大きく嘆息した。
「そんなに焦って、誰かがあのロボットに会うのが怖いのかい、ルキウス?」
ルキウスの足が止まる。
「残念だが……あの少女のことなら、もう会ったよ」
ルキウスが瞬きもせず手を振り下ろすと、ベンチは真っ二つに割れ、地面にも大きな裂け目が走った。しかし男はすでに遠くへと跳び、フードを軽く引き直して、なおも笑顔を絶やさなかった。
「何でハルカを狙う……!何をするつもりだ!」
「何もしないさ、本当に。彼女を”狙う”なんて言われても困るな。せいぜい”観察中”ってところでしょう。私はてっきり、君は彼女の味方だと思ってたんだけど……彼女が世界の外を知ることが、そんなに怖いのかい?」
「知ってどうする。あいつは思いつきで、人の忠告も聞きやしない未熟なガキだ!ここがあいつの世界、ここにいるべきだ!」
「違うね。君が、そうあってほしいだけだ」
その言葉にルキウスは返す言葉を失い、男は背を向けて歩き出す。
「変革の時が来たよ、ルキウス。宇宙にとっても、君自身にとってもね」
そう言い残して、男は闇の中へと姿を消した。ルキウスは舌打ちし、険しい表情で去っていく。
「なーに、私のこと心配してくれるの?はは、フクロっか……口はちょっと悪いけど、やっぱり私見る目あるな〜。好きだよ、フクロ!あ、ヒヨリも好きだよ!」
「はあ?」
フクロはますます彼女が訳の分からない奴だと実感する。
「私はもう一度あのロボットに会いに行きたい!入口の方に行けば会えるね?」
「ハルカ……お前は、何でそんなに他の世界に行きたがるの?」
ヒヨリがふと彼女に尋ねる。
ハルカはうなずき、首からぶら下げた、あの金色のペンダントを手に取った。
「子どもの頃にある人と出会ったの。彼は別の世界から来たのよ、そしていろんな世界にも行った、どこもすごく面白そうでね。最初は、私もただのおとぎ話じゃいないかなーっと、自分とは遠くて関係のない他人事だって思い込んだ。でも……そんなに人をワクワクすることですら信じないと、何を信じるべきだろうね?」
少女の目は、ヒヨリには余りにもまぶしく見えた。
「……とんだ大馬鹿だ。知るか」
フクロはすぐに去ろうとする。
「お!どこに行くの?入口?入口なの?じゃあ私ついて行くね!」
「勝手にしろ」
「……俺も、行きたい」
「おおっ!こいこい!三人一緒じゃない!冒険の仲間がこんなに早くできるなんて、やっぱり私は運がいいな〜!」
フクロはもはや反論する気も起きず、ヒヨリは彼女の調子に合わせて微笑んだ。
入口がある場所は、ハルカにとって意外だった。なんと、それは町からそう遠くない山林の中——ハルカにとってはかなり馴染みのある場所だった。
その山林は野生動物が出没するため、許可なしでは立ち入り禁止になっており、鉄柵に囲まれている。三人は何の苦もなく柵を飛び越えた。辺りには背丈ほどの雑草が生い茂り、視界を妨げ、歩きづらい。
町からすでに三十分ほど歩いていて、あたりには灯りもなく、月明かりだけが頼りだ。
それは周囲の低木に囲まれるようにして立っている、明らかに年季の入った一本の大樹だった。
この大樹を見て、ハルカはとても嬉しそうで、満面の笑みを浮かべている。
「……気持ち悪いぞ、お前」
フクロは遠慮なく率直に言った。
「だって、友達と一緒にこっそり冒険だよ?ドキドキして最高じゃん!」
「友達……?俺がか?」
ヒヨリが驚いたように尋ねる。
「うん、友達だよ!っていうか、彼氏でも大歓迎だけどね!」
まるで口にバラでもくわえているような、得意満面の顔。
「お前とは友達でも仲間でもない。ったく……」
フクロはもうハルカと話すだけで疲れてしまう。
「とにかく、入口はここだ。前に確かにここから誰かが出てくるのを見た。だが、どうやってもう一度開けるかはわからない」
目の前の光景はどう見ても普通の林の一角にしか見えない。それでもハルカはフクロの話に大きくうなずいた。
「……ほんとに信じるのかよ」
「だって、思い出したの。あの人と出会ったのも、まさにここだった。だからフクロはウソついてない」
ハルカは話を変えて、さらに尋ねる。
「あ、そういえばさ、あんたたちってどこから来たの?町の人じゃないよね、見知らない顔だから」
「……」
ヒヨリとフクロは同時に口を閉ざした。
「なんだ?言いづらいことだった?」
「……ううん、ワリィ。わからないんだ」
ヒヨリは苦笑する。
「俺も」
フクロはあっさり答えた。
「えー?わからない?なんか変なやつらだなあ。まあ私もよく変って言われるし、同じかな!」
ハルカはあっけらかんと話を打ち切ったが、次の瞬間にはまた興奮したように叫んだ。
「見て見てフクロ!入口って、あれのことじゃないの!?」
「何を言ってる、そんな都合よく……」
大樹の幹が、まるで布のように揺れ始めた。波紋が広がり、中央にまばゆい光の細い裂け目が出現、それが幕を引くようにぐわっと広がって、巨大なアーチ状の門が姿を現した。強烈な白い光が三人の視界を覆い、思わず手で目を覆う。
フクロにとってはこれが二度目の光景。しかし今回は違っていた。中から誰かが出てきたのではなく、恐らくこっちから開かれたのだ。
「やったじゃん!こんなチャンス、逃すもんか!」
その声が終わるより早く、ハルカは疾風のように駆け出していた。まるで風そのもの。二人が気づいた時には、彼女はもう光の門に迫る勢いだった。
「おいっ!だから前には……!」
ハルカが門に突入しようとした、その一歩手前——突如、地面から這い出たかのように巨大な影が現れた。まるで地底から飛び出した蛇のように、それはハルカの前に立ちふさがり、正面衝突し、少女を何度も芝生に転がした。
「うぐっ……!」
先ほど街中で遭遇した黒いロボットとは明らかに違う。それは一回り大きく、全身が真紅に染まり、異様に盛り上がった肩と胸元に無数の目のようなセンサーを備えていた。胴体には数字が刻まれている。
「ハルカ!大丈夫か!」
ヒヨリが隠れていた場所から飛び出し、急いで彼女のもとへ駆け寄る。
だがその瞬間、周囲四方八方から金属のぶつかる音が響き始める。今度こそ、彼らははっきりとそれを目にした。機械たちは何もない空間から現れたのではない——微細な粒子が集まり、実体を持つ巨体として形成されたのだ。まるで連鎖反応のように、黒い機械兵士が次々と現れ、三人を完全に包囲する。
門から差し込んでいた強い光さえ、機械たちに遮られた。そこにあったのは、機械の森。
【トランスグレッサー、ハタ反応:二名確認】
【対象確定、拘束開始】
電子音が混じった言葉と共に、光る黄色の目が次々と点滅し始めた。
フクロは拳を強く握りしめる。
こうなる可能性は考えていた。しかし、あの光の門がもう一度開いたこと自体が奇跡だった。今逃せば、次がある保証はない。
そんな時、ハルカは前に歩き出していた。
「近くで見ると、やっぱすごいな……」
彼女はそう独り言をつぶやきながら、真っ赤な機兵士に向かって進む。
「ちょっ……!」
ヒヨリとフクロが反応する間もなく、機械の拳が振り下ろされる。
轟音と共に空気がうねり、巨大な金属の拳が少女へと迫る——だがその瞬間、二人が目にしたのは、ハルカがその拳を両手で受け止めている姿だった。
巨大な石のような拳を受け止めた彼女の足元の地面は、衝撃で凹んでいた。それでも、少女は歯を食いしばり、決して引かない。
ハルカは笑っていた。少女は顔を上げ、巨大な敵を見詰める。
「……ははっ、思い返せば、ほんっと情けないよね。何をすべきか分からなくて、結局なに一つも成し遂げない」
「ただ、私にしかできないことがしたかっただけなのに」
「ただ、”私”として生きたかっただけなのに!」
「——はああああああああああっ!」
彼女は三メートルの機械兵士だを頭上まで持ち上げ、そのまま背後に叩きつけた。さらに走りながらその腕に駆け上がり、肩を足場にして跳躍する。
機械兵士が頭を上げるより早く、彼女の踵が勢いよく敵の顔を粉砕した。
その巨体は地に崩れ落ち、目がかろうじて赤の光を点滅していた。
【……報告……ブリットンス……テキシュウ、ッ……】
ヒヨリもフクロも、言葉を失ってその光景を見ていた。
「……キャンサー、まだ起きてる?」
「なに? これ以上起こしても、もうお話はしてあげないよ。子供は早く寝な」
「違うの。あのね、いつか——あんたが話してくれた、あの宇宙を……私、実際に見に行きたいんだ」
「……ハルカ、今僕の怪我はどれだけひどいか、わかってるよね?そんなことを思わせるために、話をしたわけじゃない。宇宙には、悲しいこと、辛いことが、星の数よりある」
「でも……」
「……今のすべて、好きじゃないのか?」
「家族のことは、大好き。家も、好き」
「だったら、別に……」
「でもね、こんなに心惹かれることを、目の前で見過ごしてしまったら、きっといつか、この世に生まれてきたことを、恥じると思うの」
ハルカは立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。
彼女は拳を握りしめ、目前の機械兵士たちを真っ直ぐに見据える。
「ようやくだ、キャンサー。私の、やりたいことが、それができる日がようやく——」
ハルカは指を前方へ、そして空へと掲げた。
「——この宇宙での人間最強、いま私は、その第一歩を踏み出すぞ!!」




