ロンギヌス
「ハルカ」
背後からフランケンシュタインが少女に声をかけた。
「ヒヨリって、何者ですか?」
「え?」
「彼のハタの出力量、あまりにも異常です。特に、根印の行使を覚えたばかりの者が、あんな風にハタを使うと、とっくに全身の力が抜けて倒れてるはずです。少なくとも、三日は回復必要ですが」
「確かに」
ヴラドもそれに同意した。
「以前、エリィが初めて能力を使った時は、反動で危うく命を落としかけたのに……ヒヨリは本当に大丈夫か?」
ハルカは笑って答えた。
「大丈夫でしょう!直感だけど……あいつきっと大物になれるよ!」
【ハルカ!下だ!】
アルテミスの突然の叫びに驚き、ハルカは全身をひねって横へ飛んだ。
すぐそばを、青白い光をまとった何かがキィンと音を立てて掠め、火花を散らしながら空へ駆け上がる。そして宙で向きを変え、どこかへ消えていった。
ハルカはすぐに飛行を止めて地上に降り立ち、フランケンシュタインもヴラドを抱えて翼を畳み、着地した。
「惜しかったわね」
軽やかな足音に合わせて、優雅な女の声が近づいてくる。
現れたのは、青いショートヘアに甘い笑みを浮かべた人型機械。
「……レイチェル」
「本当にそっちの血族についているんだ、フランケンシュタイン?確かにそこそこなイケメンだけど、変な好みね」
遺産にもこんな個性の強い者がいるのか、いや、多分おかしな人格データにしているかも。ヴラドは思わずそう感じた。
「あんたがレイチェルか」
ハルカは拳を鳴らしながら一歩前に出る。
「相手は私でいいんだろ?」
「……もしかして、根印すら持たない脆弱な人の身で、私に挑もうっていうの?勇気があるというより、その残刻器を手に入れたせいで現実すら見えなくなったのかしら」
ハルカは黙って片足を後ろに引いた。
「それとも、ネモと打ち合えたからって自分を強いと錯覚してる?まったく、誰がそんな馬鹿を育てたのかしら、よほどの間抜けね」
「ドンッ!」
爆ぜる音が響く。ハルカの脚部から噴射する音に、彼女の蹴りがレイチェルの頭部を捉え、さらに蹴り飛ばした衝撃音が混じっていた。
「ヴラド、フラン。先に行って」
「……無茶するなよ」
ヴラドは肩を軽く叩いて通り過ぎる。
「頑張ってください」
フランケンシュタインも一言だけ残し、二人は走り去った。
「私は馬鹿でけっこうだけど、私の家族を侮辱した以上……無事で済むと思うな」
ハルカの怒りに、瓦礫の中からレイチェルがゆっくりと身を起した。
「……着いたか」
天空城の各区画はすべて円形に作られている。その中央にある研究所の建物こそが、最も重要な施設だった。ソロに会うためには、この建物の地下へ入らなければならない、とフランケンシュタインは言っていた。
巨大な自動扉が左右に開く。
その奥には、とっくに黄色い光眼を点滅させる無数の機械兵が待ち構えていた。
スペード、クローバー、さらに見たことのない土色の機体まで。四角い躯体に、銃口や砲台、盾までも備えて、完全に布陣を敷いている。
【目標確認ーー殲滅】
「ずいぶんと派手な歓迎だな……フラン!」
「ーーサプレッション・ロック!」
水晶のような紫色の円盤が花弁のように展開する。
直後、凄まじい砲火が雨のように降り注いだ。轟音と硝煙が視界を覆い尽くす。
二十秒近く続いた猛攻が止む頃には、入口は煙に閉ざされ何も見えなくなっていた。機械兵たちは眼を光らせ、標的を探す。
その瞬間、煙の中から一つの影が跳び出し、半空で姿を現した。
「ーースカーレット・レイン!」
かつてグールの群れから仲間を救った時と同じ技。
空中のヴラドが腕を振り下ろすと、無数の血紅の槍が嵐のように降り注いだ。
機械兵たちは退避しようとしたが、足元が血の結晶に絡め取られていることに気づく。
次の瞬間、鋭い槍が関節、擬似根印、眼部を正確に貫いた。着地する頃には、敵陣は真紅の森と化していた。
だが――それで終わりではない。
土色の未知の機体だけは形を変え、硬質な殻で攻撃をすべて防ぎ切っていた。
「ヴラド、いまは相手にしないて。防御力はロビイに劣るが、このダイア機体たちは厄介です。今のうちに地下へ向かいましょう」
「ああ」
フランケンシュタインが壁のボタンを押すと、床の一部が円形に開いた。そしてロボットは速やかにヴラドを抱え、翼を広げて一気に下降する。
長い暗いトンネルを抜け、白い光が差し込んだところで速度を落とす。やがて地面が見え、フランケンシュタインはヴラドを下ろし、自身も着地した。
最下層――
そこには、同じくすでに待ち構えていた者がいた。
背後から、不意に拍手が響く。
「見事だ」
一度会った白衣の老人だった。
「さすがは根印の持ち主だ。あの包囲を一瞬でも打ち破るとは、実に見事だ」
ソローー
どうやら先ほどの戦闘も全て見ていたらしい。
彼の背後には淡いピンク色の長髪を持つ機械人形。おそらく彼女がロビイだろう。
奥には巨大な操作台。浮遊する無数の光るキーボード、両翼に延びる支柱、そして数えきれない情報を映すスクリーン。そのさらに奥には、天井まで届く光柱がガラスに包まれ、アルテミスを捕らえていたものと酷似していた。
「単刀直入に言うぞ、ソロ・エターニティ」
ヴラドの手に紅光が走り、二本の異なる槍が現れる。その先を老人に突きつけた。
「リリスとカインを、俺の前に連れてこい」
脅しではない。怒りが一語一句に染み込んでいた。
「……ふ、ははははは……はははははは!」
突如の狂笑に、ヴラドは一層警戒する。フランケンシュタインも彼の傍へ歩み寄った。
「懐かしいな……根印持つ者に命を脅されるなんて、久しいことか……あれもこれも、ボクを塵芥のように扱った……忌まわしい連中め」
明らかに、老人の精神は常軌を逸していた。
「……ヴラドと言ったな。結論を教えてやろう。あのブルーハー血族の娘は返せん。彼女は、ボクの箱船ために、残刻器を完成させる」
その一言に、ヴラドの怒りはさらに燃え上がった。
「……やはりそうか。子供の命まで利用するだと?それでも人間かお前は!」
「仕方あるまい。彼女の根印こそが、ゴフェルの核に最も適している。天空城の人は誰一人使い物にならん。せっかく見つけたのだ、逃すはずがない」
「な……!」
ヴラドは愕然としたが、より驚愕したのはフランケンシュタインだった。
「それで……天空城に他の人一人もいないのか……」
「ふん。ボクの実験に、誰の体でも耐えられなかったとは、役に立たん奴ばかり。ボクの偉業が、こんなところで終わるもんか……」
「ふざけるな!誰もお前に命を捧げる理由などない!」
ヴラドは怒号した。
「生命も世の循環、リソースの一つなんだ。それに……生まれながらに力を持つ者が、持たざる者に口出し資格はない。まさか自分が正義の味方のつもりか?」
老人の声が鋭くなる。
「そうだな、あんたにいいことを教えてあげようか。地上が滅び、あんたらが惨めに生き延びるしかなくなった要因、そして何故あの娘の根印はボクに選ばれるほど優秀なのか、すべて――あんたの身にあるんだぞ、ヴラド・ブルーハー」
青年は呆然と立ち尽くした。
「もうすぐ千年になる――」
ソロは彼の周りを歩きながら語り始めた。
「数百年前、別世界から忌まわしいハタを持つあるモノが、ここでウイルスという形で、全世界に影響をもたらした。それは、この世最大の悲劇と呼べる出来事で、それ故に天空城も作られたが……そのモノ一点で、千年間全世界を影響続くわけない」
依然としてヴラドは何も言えない。
「不思議とは思わないのか?根印持つ者たちの異能力は、人によってそれぞれのはずだ。たとえブリットンスの人でさえ、同じ異能力を持つ人なんて見たことがない。なのに、ブルーハー血族はどういうことだろう」
「……」
「こんな言い伝えが、宇宙にあるらしい。残刻器とは、普通人造の武器だが、ほんの一部宇宙自らできているものも存在する」
ソロはヴラドの両手に握られた血色の長槍を斜めに見つめた。
「ロンギヌス――それは、分裂の特性を持つ、宇宙で伝説級の残刻器の一つだ。長い年月にただ大地の下に潜伏していたが、あの外来のモノに刺激され、特性によってこの土地隅々までウィルスを送った。だから、地上世界があんなに破壊されてしまったんだ」
青年は頭を垂れた。
「ウイルスと共にロンギヌスもずっと地上の生命に潜んでゆく、自ら分裂し、地上に残った者たちに分け与え続け、彼らの体に溶け込みながら、その内奥で根印がゆっくりと進化していく同時に、主を探そうとしていた。そして地上の人々は、ロンギヌスによって起こった奇跡を、咲血と呼んだ。約二十年前、ついにロンギヌスの大半が、適性抜群のある者に宿った。その後しばらく、地上でに咲血目覚める者はいなかった、そしてその時期も、丁度ブルーハー血族の死亡率が最も高い時期だった……では、その者とは、誰なのか?」
ヴラドは唇を引き結び、何も言わなかった。
「この世界をこんな惨状に追い込んだ元凶のひとつは、あんた自身の体の中にあるんだぞ。あの娘があれほど優れた根印を持っているのも、ロンギヌスの主であるあんたが、彼女への罪悪感から無意識に強力な力を与えたからだろう」
老人は歩みを止めた。
静寂な巨大空間には、息が詰まるような沈黙が漂う。
「信じないなら……」
「そんなの、わかっている」
ヴラドはゆっくりと頭を上げ、表情は極めて平静だった。
「お前がこれを言ったからといって、俺が何もかも諦めると思ったか?この程度、フランがとっくに教えてくれた」
「なっ……」
ソロは信じられず、フランケンシュタインを見つめた。
「そんな……あんたが研究資料見る権限はないはず……」
「ロンギヌスまでは分からなくても、血族拠点のハタと、大地のハタを調べば、アルジャーノンのような性能でなくても推測できます。地上で知り得る情報は、天上よりも遥かに多いんです、ソロ」
「逆に考えれば、ロンギヌスが俺に宿ったのは、ちょうどお前の計画を阻止するために用意されたんじゃないのか?ソロ・エターニティ」
老人は舌打ちして振り返り、操作台に手を伸ばそうとした。
アルジャーノンに信号を送れば、識転が即座に始まり、この箱船計画を完了すれば、誰も逃げられない。
そしてすべてをアリスに記録させれば、すべてが変わる――
しかし、ソロの指がボタンに触れた瞬間、鋼鉄の機械の手がそれを握りつぶした。
力強く握られ、痛みがソロの全身に走る。
「ごめんなさい」
非常に落ち着いていて、でも優しい女性の声。
「ソロにはこんなことさせられない。痛かったよね、ごめんなさい、まだ人に向けて力を制御できない」
「……ロビイ……?何を……離せ!命令だ!」
ロボットは浅い緑色に光る瞳を瞬かせ、全く動かない。
「あんた……!どういうことだ!」
「ルークが亡くなられ前に、私に、ソロが過ちを犯したら正せと、アドミニストレーターが変わっても実行する命令をくれた」
「何……だと……」
「私だけだと勝算は低いが、いまなら、好機だと思う。ごめんなさい」
フランケンシュタインが前に出て、ロビイに話をかけた。
「あの時、やっはりきみだったんですか。普通、私の廃棄は、失敗するはずないのに」
「ソロを止めるため、きみを失うわけないと、判断した。結局私にできたことは、ただきみに防御層を付けただけだった、ごめんなさい」
その瞬間、濃烈な殺気が別方向から飛来した。
ヴラドは即座に迎撃態勢を取る。
「危ない!」
フランケンシュタインを引き戻した直後、血のように赤い巨体がロビイとソロを飲み込んだ。
しかしすぐに、ロビイだけは中から飛び出した。
ピンク色の球体状の防護が彼女を包み、フランケンシュタインの側に立った瞬間、その防御も消えた。
血赤の巨体も同時に消え、ソロは無傷で視界に戻った。
「よくやったな、ロビイ、ボクを騙せるとは。だが……あんたがボクが成し遂げようとすることを過ちだと判断したのが、とんだエラーだな!」
ソロは両手を背に回す。
「この箱船計画の、影の功労者に、会おうじゃないか」
足音が、ソロの背後から近づく。
ヴラドの生涯で最も絶望的な瞬間だった。
ロンギヌスの事実が明かされたとしても冷静でいられたのに、今は動揺するしかなかった。
銀髪、赤瞳の青年。黒と赤の迷彩服に身を包み、白い照明の下、無表情にソロの傍へ歩く。
「なん……て……」
両手も肩も、声も震えている。
「……カイン……?」




