死を超えるもの
白いロボットが鉄の床をコツコツと歩いていた。後ろの巨大な人形は、浮いているため音はしないが、奇妙な仕草であたりを見回している。
「来たか?」
声に白いロボットは立ち止まり、人形も視線を向ける。
「はい。定期整備の指令を受け、点検を――」
「必要ない」
老人、ソロ・エターニティが影から姿を現し、その言葉を遮った。ソロの背後には、まだ三体のロボットがそこに立っている。
白いロボットは彼らのハタ反応を感知した。ネモとフランケンシュタインを除けば、残りの遺産は全てそこだ。
ソロの左隣、最も近くに立っていたのはアルジャーノン。
右後方には、青いショートヘアの少女のようなロボット。頭部の両側に金属装置を持ち、両目はバイザーに隠されているが、淡く光っている。
最後方には淡いピンクの長髪の女性型ロボット。しかし体格はネモより大きく、全身を覆う重装甲はさらに厚い。両手を体の前で組み、静かに立っていた。
「あんたを呼んだのは、もっと重要な任務を与えるためだ、アリス」
ソロは白いロボットの横を通り過ぎた。
「前に頂いた指令と矛盾しています。私のアドミニストレーターに、これ以上ここに留まる必要性を確認しなければ――」
「ふん……所詮は機械だ。アドミニストレーターが変われば、制作者なんて気にもしないな」
「反論させてもらいます。私の制作者はルーク・インヘリット、あなたではございません。システム上、制作者の命令は当機行動の最終決定権の――」
「ルークは死んだよ」
冷たい言葉が、鋼鉄の城に重く落とされた。
アリスは沈黙し、抱いた人形をわずかに動かした。
「……そうですか。ならば反論は撤回します。今のアドミニストレーターの命令が、100%で最終決定権となります」
老人は背後の遺産に合図した。
「レイチェル」
「はい」
青髪のロボットが澄んだ声で応答した。バイザーの後ろの両眼から青い光線を放ち、アリスの前に光のスクリーンを展開する。
青いホログラムには動く立体設計図が映し出された。アリスはじっとそれを見つめ、映るすべての情報を記録していった。
「これは……大規模殲滅兵器、ですか?」
老人は笑った。しかしその笑い声は背筋が凍るような不気味さを帯びていた。
「そうだ、ボク一人の力で、何十年もかけて、ついに、このノアの箱船の完成まであと一歩というところまで来たのだ!この天空城全体を、巨大な残刻器へと改造した!高さ千メートル以上、重量一万トン以上!十万基を超える砲台を搭載した人造残刻器!その気になれば、一つの世界全土を平らにできる!」
スクリーンに映ったモデルは無数の砲弾とレーザーを発射し、ただのシミュレーションであるにもかかわらず、周囲の大地をすべて焼き尽くしていた。
「……ブリットンスは欲しがるだろうな?あのドミネーターに対抗するためには」
「確かに、この類の残刻器が必要とするでしょう」
「ハハハハハ!そうだろうとも!」
老人は高らかに笑った。
「根印持つ者だって限界がある!この残刻器……完成した暁には、ボクの人格データと思考パターンをすべて入力する。そうすれば、ボクはそれとして生まれ変わるのだ!」
老人は両腕を広げた。老いさらばえているはずなのに、その姿は子供のように興奮していた。
「ですが、私だけの判断では不十分です。私のアドミニストレーターは実際の成果を要求する可能性が高いです」
「ふん、あの女なら、想像はつく。成果は出すさ。ボクにも実験が必要だからな」
ソロは背を向けて十数歩歩いたところで立ち止まり、右手を振る。
瞬間、暗闇に包まれていた部屋が一気に明るくなった。目の前に広がるのは巨大な透明ガラスで、その向こうの蒼白な空には濃い霧が渦巻いていた。ソロの影は長く地面に伸びる。
彼は足元を見下ろしながら言った。
「この下にはまだブルーハー血族という一族がいる。その中には強力な根印持つ者も少なくない、それに、奴らはアレが持っている」
「……アレは、やはりブルーハー血族に?」
「ああ、既に確認したさ。あんたのアドミニストレーターに伝えろ。もしボクが奴らを排除できたなら、ボクをブリットンス本部へ行かせろと。この箱船さえあれば、あんたもう用済みだな、アリス」
アリスは何も言わなかった。
「……まあいい。要件は以上だ」
「わかりました。すぐに連絡いたします」
作戦会議が終わってからすでに半日。再び出発するのは明後日の朝に決まった。まずハルカが完全に回復するのを待たねばならず、加えて周囲の防衛の整備も必要だ。そしてもう一つ――
「ヴラド」
特訓に疲れベッドに座った途端、フランケンシュタインはドアを軽く押して入ってきた。
「なんだ?」
「……フクロが持ち帰ったあの残刻器を調べましたが、疑問が残っています。確かに危険な残刻器ですし、そしてそれを纏っているハタは、まさにウイルスそのものですが……しかし、一振りの残刻器のハタだけで、世界にこれほどの破滅をもたらすことは不可能です」
青年の眉間に皺が寄る。
「ですから、原因を推測しました。もうすぐ決戦なので、いまきみに、伝える必要があると考えました」
その後フランケンシュタインの推測に、ヴラドは俯き、自分の両手を見つめた。
二人の間に静けさが流れた。フランケンシュタインは動かず、ただ彼を見つめるだけ。
「そうか」
やがてヴラドは、深く息を吸った。
「不思議だ。以前の俺なら、こんなことを知った時点で完全に打ちひしがれていただろう。でもなぜか今は、逆に闘志が湧いてくる」
フランケンシュタインの目が輝いた。
「……どうした?」
「……ヴラド、いま笑ったんですか?」
「え?ない……と思うが」
「そうですか」
本当は、ヴラドも尋ねたかったが、結局質問しなかった。
いまのフランケンシュタインは、あまりに生々しい表情に圧倒され、喉に詰まって出てこなかった。
その無機物は、一瞬だけ何かを宿したかのように見えた。
「休む時間だ、ルーク」
赤髪の少年に見えるようなロボットが扉口に立ち、室内へ声をかけた。
「ん?ああ……もうそんな時間か……」
老いた弱々しい声が返ってきた。
「部屋まで送る」
ネモは老人を抱き上げ、入口で待つ車椅子へ座らせた。車椅子は重量を感知すると、自動でわずかに浮き上がり、ゆっくりと回転して進み始める。
ネモはその背後を静かに歩いた。
「作業室の椅子をもっと便利なものに変えればよろしいのに。そうすればオレが手を貸す必要もなく、そのままルークを部屋まで運べる」
老人は笑った。
「どうした?もう私の世話をしたくないのか?」
「……いえ、誤解を与えたか」
ルークは手を振った。
「冗談だ。あの椅子には慣れている。今さら変えても落ち着かん」
広い廊下の左手には大きな窓が並び、外の灰白色の景色が広がっていた。老人の濁った瞳には深い哀惜が映っていた。
「……ネモ。これから、君たちのアドミニストレータ権限はすべてソロに渡すよ」
「承知。ひとつ伺ってもいいか」
「なんだ?」
「そう決めたのは、ルークの命は長くないと感じだからか?ではなぜこうして無理をする?休息を取られないのは、もう生きたくないからか?」
予想外の問いに老人は目を細めた。
「はは、さすがは私の最高傑作、そんなことまで問うようになったか。心配するな、こんなことで私は死なないよ。ソロのことも、君たちのことも心配だ。身体が限界でも、全力でやらねばならんのだ」
「……理解不能。生物の生存法則に反している」
「今はまだ難しいかもしれん、ネモ。この世には、死を超えるものがある。どんなアルゴリズムでも、どんなロジックでも説明できないものが、この宇宙にはあるのだ」
ネモは彼の言葉を理解可能なデータに変換しようとしたが、解釈はできなかった。
「わるいが、ちょっとロビイを呼んでくれ、やはり心配なんだ……それとネモ、明日、君の武装制限の解除条件を変更したい」
老人は車椅子を操作し、ロボットと正面から向き合った。
「条件は――私が遺産を作った理由を、導き出せ。もし答えにたどり着ければ、私はきっと死なないよ」
……
……
不可解だ。
もう、とっくに死んだじゃないか。
「これが作戦の全部だ」
ヴラドは紙一枚をエリザベスに渡した。
「頼んだぞ、エリィ」
「任せて」
エリザベスは図面を受け取り、爽やかに答えた。
その後、彼女は広げて見ようとしたが、ふと横に座り込んでいる金髪の少年に目が止まった。
「……ヒヨリ」
歩み寄ろうとしたところで、ハルカが肩を叩いて引き止める。
「大丈夫大丈夫。あいつ、今きっと興奮してるだけだから!」
エリザベスはもう一度少年を見やる。
彼は動かずに座っていたが、体全体がはっきりと震えていた。
「本当に……興奮、なのか……?」
「もちろん!今のヒヨリは、私が初めて本気で戦った時と全く同じ顔だよ!」
フランケンシュタインの手が、ネモの擬似根印に触れる。アルジャーノンのときと同じように、紫の光が結晶に広がり、しばらくして消えた。
二体の遺産を除け、まだ四人を空へ運ばなければならない。フランケンシュタイン一体ではとても運びきれないので、まずはネモの行動をコントロールことにした。
ハッキングが終わると、ネモを拘束していた鎖も解けた。
「っあフラン、私はいいよ、自分で飛ぶっから!昨日の夜やっとこいつを説得した、苦労したのよーーほらアルテミス!」
少女はまるで空気と会話しているように見える。
だが、何かの粒子の塊が彼女へと漂い、皆の前で再びあの遺産と似た機械鎧へと変形した。
近くの子供たちの目が輝き、駆け寄ろうとした。
「……おい、まさかあんたが言った残刻器って……」
セトは信じられないように近づいた。
「だから言ったろう、残刻器使ったんだ」
「……なぜ根印無き者がいまの識転ができたかはさておき、ハルカ、またこんなものを使って、前のように熱だけで済まないかもしれないと、分かっているのか?」
ハルカはじーっとセトを見て、微笑んだ。
「わかってるよ、ここでは命より大事なもの一つもない、でしょう?この残刻器、けっこううるさくってね、ちゃんと生きて帰るよ」
「……ちょっと意味がわからんところもあるが、まあ、それなら信じるよ」
「ひぃひぃ、ありがとうな!」
ハルカの遠ざかる背中を見て、セトは急により低い声で隣のロボットに声かけた。
「フラン」
「どうしました?」
「……どうしても伝えておかねばならないことがある」
セトは周囲を確認し、誰も気づいていない隙に低く言った。
「ヴラドのことだ。お前はこれからずっと彼の傍にいるだろうから、知っておくべきだ」
「直接ヴラド本人に言うべきじゃないんですか?」
男は首を横に振った。
「……わかりました」
「さあ、飛ぶぞ!」
少女が元気いっぱいに叫ぶ。
「落ち着け。出発はヴラドの号令を待て」
フクロがため息をつく。ヴラド本人は、気にするところか、むしろ申し訳ない顔をしている。
「すまない、本来お前たちはブルーハー血族のことに絡むまでもないのに」
「何言ってんだ、みんながいなかったら、今ごろ俺たちどうなったかわからないし!」
ヒヨリが笑って返した。
三人の意思を確認し、青年も気を緩めた。
「先に言った通りだ。今回は全力戦。もしソロの目的が我々の推測通りなら、血族全体が危機に陥る。すべての遺産を倒し、ソロを打ち破り、リリスとカインを連れ戻す――それが我々の目標だ!」
機翼が広がり、推進器のエンジン音が次々と鳴り響く。
周囲の血族たちも後ろへ下がりつつ、彼らを声援で送り出した。
「がんばれよ、ヴラド!」
「気をつけろ!」
「無理はするなよ!」
ヴラドが長い息をして、号令を出す。
「出発!」
狂乱の風が黒い木の葉と土埃を巻き上げ、血族たちは思わず吹き飛ばされそうになった。
風が収まって顔を上げたときには、彼らは既に空へと舞い上がっていた。
エリザベスとセトは並んで立ち、姿が見えなくなるまで見送ってから視線を空から外した。
「さて、私も自分の役目を果たさないとね。そういえば、セト。さっきフランに何を話してたの?」
男はゆっくりと手術室の方へ歩き出す。
「……思わぬ敵についてだ」




