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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第一章】箱船は終末から

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20/27

名前

「フクロ」

 背後からの声に、黒髪の少年は歩みを止た。

「……本当に大事なことは隠すなよ。オレに言うまでもないんだが」

 フクロには、セトが何を指しているのかすぐに分かっている。

 さっき頭を襲った混乱した記憶の断片。それはまるで自分を引き裂くかのように唐突だった。フクロは思わず無名の刀を投げ捨て、地面に膝をつき苦しみに耐えた。自分の悲鳴さえ聞こえず、気づけば声は枯れ果てていた。

 今はもう帰り道だ。フクロは刀をそのまま放置することもできず、兎に角持ち帰っている。あの蜘蛛のような怪物を倒したからか、この刀が抜かれたからか、戻る途中で遭遇するグールは明らかに半分以下に減り、攻撃も弱々しいものばかりになっていた。

「……分かってる。けど……」

 彼は左手の刀を見下ろした。

「ハタのことは俺もまだよくわかっていないが、たったこの一本の武器で、本当に世界を丸ごと変えることなんてできるのか」

 セトは何も答えなかった。帰り道も二人は相変わらずレーダーを追い、枯木が散乱した地面をぎしぎし踏みながら進む。

「……待て」

 セトが突然止まり、フクロも足を止められる。

「グールか?」

「……違う。少し迂回しよう。生き物じゃないが……何かがある」


「……かなり手こずっているね」

 エリザベスは地面に座り込んで苦悩している少年の隣に立ち、じっと見つめた。まさか自分が離れてからずっとこのまま動いていなかったんじゃ、と彼女は心の中で呆れる。

「んぐ……」

 ヒヨリは苦しそうな声を漏らす。

「なんか……もーーちょっとヒントさえあれば……」

「ヒントなんてあるわけないでしょ。これは全部、あなた自身に頼るものなんだから」

 ヒヨリは眉間に深く皺を刻んだまま。全く動いていないのに、汗が滝のように流れている。

「もう。手がかりがないならいくらやっても無駄よ。焦っちゃダメって言ったのに」

「でも……」

 金髪の少年の顔には悔しさがありありと浮かんでいた。

「こういう時は切り替えた方がいいわよ」

 エリザベスも隣に腰を下ろした。

「ちょっと話そう。あなたのことを。もしかしたらヒントが見つかるかもしれないし」

「あ、うん……」

「名前とか、やりたいこととか、何でもいいから。ちなみに私はね、みんなを飢えさせないことが、今のやりたいことなの。それを叶えるために頑張って強くなってるし、できることは全部やってる。あなたは?」

 金髪の少年は俯き、しばらく黙ってから口を開いた。

「将来のことは特に考えたことない……今は、強くなりたいんだ。そして……いつか、どうして自分がこんな体質なのかも、知りたい」

「あなたも分からないの?自分のことなのに?」

「全然。信じられないかもしれないが、俺、記憶がある時点で一人のままで、ずっとこうだ。けど……名前だけは、この発音だけは、昔から頭の中にずっと残ってた」

 エリザベスは不思議そうに見つめる。

「変だよね?聞いたことも呼ばれたこともないのに、俺はヒヨリだって、どうしても確信してるんだ」

「……ヒヨリ、か。誰かが付けてあげたじゃないの?」

「分からないな……最近まで俺の名前を知ってるのは、自分だけだったし」

「でももし、もしこれは、誰かが考えた名前だとしたら、その人はきっと、あなたを大事に思ってたはずよ。だってヒヨリって、なんだか太陽みたいに暖かくて、炎みたいに熱いっと思うの。あなたにぴったりの名前だよ」

 最後の言葉を口にした瞬間、エリザベスはハッとして口を押さえた。ヒヨリが真剣な顔で何かを考え込んでいるのを見て、慌てて弁解しようとした。

「いやっ、違う。誤解しないで!別に私、あなたにそういう意味じゃなく……」

「エリィ」

 ヒヨリは突然顔を上げ、真剣な眼差しで彼女を見つめた。青い瞳は宝石のように輝き、エリザベスの視線を突き刺す。彼女は思わず身構えた。さっきの自分の発言を心底後悔し、時間を巻き戻したくなる。

「ありがとう!エリィ!」

 金髪の少年は彼女の手をがしっと掴み、そのまま勢いよく立ち上がった。

「すごいよ!ヒントが見えた!」

「えっ?」

咲血(サンジェ)だよ!分かったぞ!見てろよエリィ、ゆっくりでやるつもりだが、絶対すぐにマスターしてみせるっから!」

 金髪の少年は夜の帳が降りる中、自分の世界に没頭して走り去っていく。エリザベスは呆然と立ち尽くし、両手をヒヨリに振り回されたままの姿勢で固まっていた。


擬録(ディスガイス)ーー」

 ハルカは両腕を合わせ、両手で円を作った。

 腕の装甲が自動で分離・再構築され、彼女の両手の上に長い砲筒が組み上がる。

「ーーエンバーノヴァ!」

 下方のネモへ向けて、恐るべき高温の光束を放つ。

 背後の機翼で支えられているとはいえ、強烈な反動はハルカの体を大きく後方に押しやった。

「ーーサプレッション・ロック」

 ネモが右手を掲げる。五枚の花弁のような赤く透明な防御障壁が即座に展開し、光束を寸分違わずすべて受け止める。

 ハルカはもちろん隙を逃さない。光束を受け止めきったネモの側面へ一気に突進し、振り抜いた足が彼の頭部を直撃した。

 鈍い衝撃音とともにネモの体が弾き飛ぶ。しかしその武装のせいで、大きく吹き飛ばされはしなかった。噴射した機翼の推進で空中に留まり、大橋の外、ようやく空中に安定して停まる。

 電流が弾ける音が走り、ハルカが再び瞬時にネモへ迫る。拳が防御障壁へ叩きつけられるが、至近距離でも彼女の攻撃は通らない。

 障壁が消えた瞬間、ネモはハルカの右腕を掴んだ。同時に肩と膝から、鋭い先端をもつ四本の鎖が射出され、ハルカの機翼、両脚、右腕を絡め取る。

 彼女は必死に引き剥がそうとするが、動けば動くほど鎖は締まりを増した。

「終わりだ。アルテミスを解除させろ。オレがきみを下へ送る」

「ちっ……」

 ハルカは露骨に不満げに顔を背ける。長い沈黙の末、しぶしぶ吐き捨てた。

 装甲が粒子となって次第に消えていく。

 ネモは彼女を離さず、鎖も解かない。ハルカの四肢と機翼の装甲がすべて消失したのを確認してから、ようやく鎖を収めた。

 その時だった。

 散った粒子が淡い紫色に光を帯び始め、ネモがハルカを大橋に戻そうとした瞬間、粒子は急速に集まりだした。

 アルテミスが人の姿に戻らないことに気づいたネモは、罠だと悟った。

 だがもう遅かった。

 ハルカは勝ち誇った笑みを浮かべる。

「引っかかったな」

【アーマーアクセス:アレース!】

 紫の輝きを放つ粒子がハルカの左手に凝縮し、やがて血のように紅い金属の矛へと変わる。彼女はそれを力強く握りしめた。

嗜血の無敗矛(フロガドーリュ)!】

 甲高い音が響き、矛先がネモの金属の右腕を貫いた。

 ハルカは踏み台のように彼の体を蹴り、華麗に橋上へと舞い戻る。矛を軽やかに回して背に収め、空中のネモを見上げて勝者のように微笑んだ。

「さあ、続けようじゃないか!」


 アルジャーノンは鉄柱を操り、フランケンシュタインへ叩きつけた。

 回避できず直撃を受けた彼は大きな衝撃音と共に墜落し、重い音を二度響かせて地に転がる。

 その体を辛うじて支えたのは、駆けつけて来たヴラドだった。

「どうだ」

「……成功です。私の擬録(ディスガイス)には、ハッキングに長けています。根印(ねしるし)まで改変するのは無理だったが、アルジャーノンの飛行能力はしばらく封じられました」

「お前のこと聞いてんだが」

「……あ、私は……」

 そこへ再び激しい衝撃音。

 アルジャーノンが金属の床へ叩き落とされ、白い霧が一帯を覆った。

 けたたましい警報が響き渡る。アルジャーノンの脳内で、パーツが止まりなく作動している。

「……そこのブルーハー、その残刻器(ざんこっき)はなんだ」

「……何だと」

「サプレッション・ロックはキャノンやレーザーまでも余裕で防御できる。なぜきみは……」

 サプレッション・ロックが破壊されるとき、必ず外縁から内へ崩れていくはずだった。だが先ほど肩を貫いた一撃は、その防御を無視して突き抜けてきた。

 破壊ではなく、無視……いや、一番硬い中心部分の防御を分解、分裂した。

 ――この人の残刻器(ざんこっき)、或いは能力には、何かがある。

 霧が晴れると、ヴラドが目の前に迫っていた。

 防御が効かないと知ったアルジャーノンは、地面を識転させて彼を突き上げる。

「ちっ……それしかできないのか!」

 ヴラドは翻り、紅の光を纏う長槍を手に突進する。

 投げ放たれた槍をアルジャーノンは辛うじて避けるが、ヴラドはすぐ傍に迫り、地に突き立った槍を引き抜きながら左手にも新たな血の槍を生成する。

 両手に異なる槍を構え、紅い瞳で睨みつける。

「……なるほど。これがきみの切り札か、フランケンシュタイン」

「ヴラドはきみの演算以上に強いです、アルジャーノン」

 青年がはゆっくりと背後から歩み寄る。

「――リリスはどこだ」

 アルジャーノンはただ沈黙する。

 次の瞬間、紅の荊棘が全身の関節を貫き、動きを完全に封じた。脚、腕、指先に至るまで、一本残らず突き刺さる。

「もう一度だけ訊く。スクラップ」

 警告表示が視界を埋め尽くす中でも、血族の怒りが最も鮮明だった。

「リリスはどこだ」

 猩紅の槍先はまっすぐにアルジャーノンを指し、広場には息が詰まるような死の静寂が広がっていた。

「アルジャーノン」

 低く老いた、聞き覚えのない声が耳に届く。ヴラドは瞬時に警戒し、その声の方へ右手の槍先で指した。

 そこに立っていたのは白衣を纏った老人だった。白髪はやや乱れ、両手を背に組み、背を曲げたまま近くに佇んでいる。

 ヴラドに槍を向けられても、老人はまるで動じる様子がなかった。天空城に機械以外の存在がいることにヴラドが訝しんでいると、背後からフランケンシュタインの声がした。

「……ソロ」

 老人は細めた目でフランケンシュタインを見据える。

 ヴラドの記憶が正しければ、この人物こそ現在の天空城研究所の所長、唯一天空城に残っている人類のはずだ。そして、すべてを企んでいる人物だ。

「フランケンシュタイン……なぜまだ破棄されていない。なあ、アルジャーノン」

 その質問にアルジャーノンは全身に電流を浴びたかのようにびくりと震え、刺し貫かれたままの姿勢で応答する。

「報告。67.89%の可能性に、フランケンシュタインは血族の拠点とぶつかり、廃棄失敗となった。現在、この血族をアドミニストレーターと認定、その者の命令に従い、我らが捕縛した血族の娘を取り戻しに参上」

 老人は眉をひそめたが、何も言わず背を向け歩き出した。

「……おい!お前がリリスを捕らえるよう命じたんだろう!目的は何だ、はっきり言え!」

 ヴラドは数歩踏み出して叫ぶ。

「目的……ふん。天に選ばれたあんたたちと語ることなど何もない。アルジャーノン、識転の制限は解除だ。やつらを落とせ」

 機械の頭部にある感応器が赤く点滅する。

「命令、承認」

 直後、ヴラドは足元の地面が大きく揺れ始めたのを感じ、慌てて槍を地面に突き立てて体を支えた。轟音が連続して響き、ようやく踏みとどまった次の瞬間、足下の大地が一気に崩れ落ちた。

 まるで無底の穴が唐突に出現したかのようだった。ヴラドは空中で身を翻し、自分がどこへ落ちていくのか確かめようとした。しかし無限の闇を抜けた先に広がっていたのは、天空城の下に浮かぶ雲海だった。

 アルジャーノンは居住区全体を、掘り抜いてしまったのだ。

「ヴラド!」

 フランケンシュタインが追いつき、ヴラドを抱えて飛翔する。だが飛び上がって間もなく、ヴラドが後方に目を向け、慌てて叫んでしまった。

「後ろだ!避けろ!」

 天空城の底部が無数の粒子となって拡散し、瞬く間に巨大な機械の手のひらへと収束した。それは二人を真っ直ぐに追い、暗く覆いかぶさるように迫る。まるでちっぽけな彼らを捕まえような掌が頭上に迫り、鯨が唸るかのごとき壮大な轟音を響かせていた。

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