最強と最強
周囲の兵が壊滅しても、アルジャーノンは一瞥しただけで驚く素振りも見せなかった。ただ冷静に浮かび続けている。
「……先ほどの行動により、脅威と判定。判断を変更する。フランケンシュタイン含め、共同で破壊処理に移行」
アルジャーノンは右手をゆっくりとヴラドに向けた。
その瞬間、フランケンシュタインが危険を察知し、背後からヴラドを抱え込んで跳び出す。
「おい!何を……」
「逃げて!」
背に三枚の翼が展開し、二人を宙へ舞い上げる。ほとんど同時に、足元の地面が凄まじい勢いで隆起し、危うく直撃するところだった。
ヴラドが状況を理解する間もなく、アルジャーノンは再び手を振る。隆起した地面はまるで命を持つ蛇のように歪み、先端が変形を始めた。
次の瞬間、それは巨大な砲口へと姿を変え、こちらへとねじ曲がりながら狙いを定める。砲口の奥に白光が集束し、鋭い音と共に閃光が放たれた。
フランケンシュタインは必死に回避を繰り返す。背後から追尾してくる光線は、熱と轟音を伴い、逃れられぬかのように追いすがった。
「ちっ……降りろ、フランケンシュタイン!地上の建物群に潜り込め!やつが余計な破壊をしたくないと言った、隠ればやつも手出しにくい!」
「はい!」
ロボットは即座に降下し、密集した建造物の中へと身を隠す。
光線の射撃は止んだ。アルジャーノンが左手を横に振ると、砲口はゆっくりと霧散し、地面も元の姿へと戻っていった。
緑に光るモノアイが、二人が消えた方角を冷たく見据える。
建物の間に降り立ったヴラドは、監視のない死角を見つけて身を隠し、空を見上げた。追撃してこないのを確認して息を吐く。
「……あいつ、何者だ」
フランケンシュタインは翼を畳みながら答える。
「アルジャーノン。遺産の中で最も演算能力に優れる一体です。天空城の状況を完全に把握しています。さらに、城のあらゆる部分をハタ粒子に分解し、再構成することーーつまり識転可能……戦闘機ではないが、最も厄介な存在です」
ヴラドは眉をひそめて問う。
「じゃあ、カインやハルカもすでに見つかっているのか?」
「可能性は95.54%以上です。おそらくアルジャーノンは他の遺産を差し向けています」
「ちっ……」
ヴラドは壁を拳で叩きつけた。
そうなると、二人のうち誰かが本格的な戦闘機型に襲われるかもしれない。合流できる前に倒れてしまう恐れすらある。
自分に回されたのがアルジャーノンである以上、決して勝てないとは思わない。しかし空中戦を強いられるのはあまりに不利だ。
「……ヴラド。アルジャーノンが飛べなければっと思っていますね」
ヴラドは驚いて振り返る。
「不可能ではありません。もし捕らえることができれば、戦闘中に飛行を封じることは可能です。ただし……」
「……ただし、接近する機会を作る必要があるわけだな」
フランケンシュタインは一拍置き、うなずいた。
「そうです」
ヴラドは再び空を仰ぐ。距離はあるが、すでにアルジャーノンの姿は視界に入っていた。
「なら、試そう。フランケンシュタイン、協力できるか」
「承知しました、お任せください」
紫髪の少女はもともと体格も小さく、ある日を境に成長が止まってしまったため、リリスを引っ張って門の外まで走り、橋を渡り始めたものの、もう疲れが出てしまった。
外は相変わらず濃い霧に覆われ、どのくらい走れば向こう側に着くのか、まったく見えなかった。
「あの……!」
リリスは心配そうに振り返り
「ハルカ姉さんを、本当に置いていいの?」
「……私だってわからないわ。あのネモっていうロボット、遺産の中で、本当の戦闘機体で、一番強いみたいだけど……」
「えっ?!それってすごく危ないじゃ……」
「ドーン!」
言葉を言い終える前に、二人の前方で轟音が響き、灰塵が舞い上がった。少女は慌てて立ち止まり、リリスを引き寄せて背後に隠れ、煙が消えるまで見守った。
二人は口を大きく開け、ハルカを見つめた。彼女はすっぽりと道の穴中に埋まっていたが、なんとか体を支えて起き上がろうとしていた。
「……あなた……!」
「抵抗しない方がいい」
ハルカの前に現れたのは、ネモだった。
「やるな……」
ハルカは穴の中から立ち上がり、右手で左肩を揉んだ。
「いままではルキウスにしか負けたことないんだけど、出ててよかったよ。やっぱり宇宙が広い」
「いまの出力はまだ50%も出してない。抵抗をやめな。オレの任務はきみをここから追い払うことだけ。直接下へ送り届けるのも許容範囲だ」
「さっきも言っただろ!断る!私こそ三割の本気でもまかったからな!さあ来い!」
ネモは頭を下げ、一気にこちらへ突進してきた。
右の鋼の拳が額に向かって振り下ろされ、ハルカはそのまま倒れて回避した。両手を地面につけ、躊躇なく倒立の姿勢を取る。ネモの拳は空を切り、そのまま前に突っ込む。その瞬間、ハルカは右膝の内側でちょうど彼の頭を引っかけ、次の瞬間、ネモは地面に激しく叩きつけられた。
しかし、事はそんなに簡単ではなかった。
ネモの顔は地面についたが、ハルカのこと見えないはずなのに、右手が突然伸び、ハルカの手首を掴んで地面に押さえつけたまま、無情にも前方へ投げ飛ばした。
少女は地面に何度もぶつかり、三度の衝撃音を立て、ようやく転がって止まった。
「……なによ……」
リリスは声を聞いて顔を上げ、何か呟く少女を見た。
ジジッと電流音が響き、ネモも立ち上がった。
立ち上がった瞬間、視界にハルカが一瞬で戻ってくる。さっきの攻撃を受けたにもかかわらず、この速度。ネモは反応する間もなく、ハルカの拳をまともに受けた。
鈍い衝撃音が橋の上に響く。
力はかなり強い。ネモの頭の中でそう判断された。もし彼女が第一空間の住人でなく、根印持つ者なら状況は大きく変わるだろう。
惜しい。ネモはハルカの手首を掴み、再び地面に叩きつけた。鋼鉄の床は歪み、耳が痛くなる鋭い音を立てた。
リリスは震えを止められなかった。声を出そうとしても、まったく出せない。走って助けに行こうとしても、足が動かない。
ネモの青い瞳が突然光った。地面に半身埋まったハルカが足を横に振り、自分の重心を奪おうとする。ネモは敏感にその動きを察知し、後方に跳び退いて距離を取った。
ツインテールの少女は両手で地面を押し、体を引き上げる。前よりもさらに埃と傷が増えていたが、再び立ち上がり、変形した床を蹴飛ばした。
ハルカは逆に笑っていた。顔の血をさっと拭いながら。
「そうこなくっちゃな。続け……」
「いい加減にして!」
二人は突然の叫び声に遮られた。
リリスは彼女の声に驚き、かえって恐怖が消えた。
紫髪の少女の肩は、震えが止まらない。
「……何してるのよ、根印もないくせに!全然勝てない相手じゃない!」
「は?あんた……」
「勝てない敵に何を頑張ってるの!誰も勝たせようとなんてしてないのに……死ぬわよ!」
「うるさい!何様なんだよあんたは!見てるだけのくせに何がわかる!」
「見れば分かるでしょ!あなたもうボロボロじゃない!」
「そんなんで勝ち負けを決めつけるな!やられたなんて、傷ついたなんて言い訳だけだ!勝ちたいってどこまでも思っている以上、決して負けじゃない!」
ハルカは振り返らず、ネモの方へ進む。
「怖いなら横に行ってろ、リリスを連れて逃げな」
その言葉は、少女の心を突いた。
遠い昔、必死に忘れたい言葉を呼び覚ました。
「逃げなさいよ。君の程度の識転なら、ブリットンスを避けるくらいは造作もないだろう?」
「ふざ……けないて……私は残る!逃げるもんか……!」
「うわぁ、図々しい。振られたってまだわかんないのか?」
「……違う……」
「ねえ知ってる?僕はね、最初から君のことが大嫌いだ」
「……」
「だって君は憎たらしいからね。いつも愛されてる君が憎い。だから孤独にしてやりたいんだよ。世界から切り離される絶望を、君にも味わわせてやりたいんだ」
「……そんな……」
「心配いらないさ!無価値な役立たずでも、臆病者でも、逃げば恐れる必要なんてなくなるんだよ。だーれも君のこと知らないところに行けば、すべてただの悪夢さ、そして悪夢ならば、ただ忘ればいい、簡単だろう?」
「……」
「さあ、逃げな。そして二度と、帰ってくるなよ」
「ぐっ……!くそっ……まだだ!」
ハルカが再び二人の目の前に叩きつけられた。身体の傷は増え、服も至る所で裂けていた。それでも彼女は素早く立ち上がり、再びネモへと突っ込んでいく。
やはりこんなの理解できない。ハルカが何を言おうと、この一方的な戦況を覆すことはできないのは、紛れもなく事実だ。それでも彼女は倒れては立ち上がり、また倒れては立ち上がる。
何度も、何度も。傷だらけでも、勝ち目なんか知らなくっても。
その姿がまるで、自分に問いかけているのようだ。
あんたは、一度でもこんな風に生きたことはあるか、と。
「……リリス」
「な、なに……?」
「この橋をまっすぐ行けば、別の区域に着く。そこにきっと、あなたを助けてくれる人がいる。一人で行ける?」
リリスは驚いて、ためらった末に、真剣にうなずいた。そして迷いを振り切るように一人で走り出す。小さな背中はすぐに濃霧に飲まれ、足音だけが遠ざかっていった。
ネモがまたハルカを吹き飛ばし、地面に激しく叩きつけられた。
「……逃げれば、どんな痛みだって味わわずに済んだのに」
背後から近づいてくる少女の言葉に、ハルカは怒りながら振り返った。
「あんた、まだ……ん?リリスは?」
「一人で行かせた。私は、ちゃんと残るから」
「あ?」
少女は地に伏すハルカの傍に立った。
「……助けてくれた時はごめんなさい。もう一度、あなたの名前を教えてくれるか?」
「……ハルカ」
少女は複雑な表情で彼女を見つめ、目を閉じ深く息を吸った。
「手を組もう、ハルカ」
「は?組む?あんたと?何するつもりだよ」
「私は……残刻器よ。今は人の姿だが、私は武器になれる」
「え……?」
「本気でここから出ようとしているな」
ロボットは攻撃するつもりはない。本当にただ人を送り出したいだけで、無闇に武力を使わないようだ。
「前にきみの発言とは、不一致な行動だ」
「……私はあなたたちロボットじゃないから、バカなことを知ってもなお、一回ぐらいするさ」
「……」
珍しくネモの思考時間が長い。
「愚かなことだと知ってもするのか。不可解だ。なぜ」
「私だってわかんないのよ!こんなバカにうつったと思え!」
「目の前で悪口言うのかよ!殴るぞチビ!」
隣のハルカは思わず叫んでしまった。
ネモは、間をおいて、そしてハルカの発言も無視して言葉を発した。
「……そう。ソロが、きみはかなり強い、高い研究価値があるから、なるべく傷つくなと……」
「違う。強いじゃない」
少女は決意をして反論した。
「私は、宇宙で最強の残刻器、名前は、アルテミス!」
そうだ。その一点だけは、揺るぎない真実だった。
「ハルカ、あなたが私の代わりに戦うんだ」
「はあ?あんた手を組むの意味を……」
「同時に、私はあなたの剣であり、盾もあり、鎧でもあり。あなたにできないことは私が補い、私にできないことはあなたが手伝う。それが、手を組む条件で、約束だ。できないなら、それでお終い」
紫髪の少女、アルテミスは、澄んだ瞳でハルカを見つめる。
ハルカは予想外の言葉に呆気にとられたが、ネモの様子を横目で伺う。攻め込む気はなく、言った通り追い払うだけらしい。リリスが逃げたのに追わないのは、ヴラドやカイン側にも何かあったのだろう。
ここで躊躇っている場合じゃない。
「……いいだろう、乗った」
アルテミスはゆっくりとうなずき、体から淡い紫の光を放ち始めた。全身が目に見える速度で粒子化し、頭部も髪も四肢も次々と消えていく。
「擬録」
どこからともなく声が響き、粒子は意思を持つように舞い上がり、ハルカの身体を包み込む。
銀色の粒子がハルカの手足や背にまとわりつき、やがて形を固定する。
それは、白い機械装甲。接合部には黄金の光が流れ、肘までを覆う手甲、大腿までを覆う脚甲、そして背には六枚の金翼が展開した。
あまりにも似ている。あの遺産たちの構造と。
ネモの瞳にある歯車も強烈に回っている。
「うわぁ……!」
ハルカの瞳は輝き、背後や全身を何度も見直す。
「なんだこれ、超カッコいいじゃん!」
【ふん、当然だ。こんなの、私にとって余裕さ】
「うわっ、喋った?!どこにいるんだよ!」
【私だけの特別な識転さ。物体を不可視のエネルギー粒子に変換するのは、根印持つ者が残刻器を隠すのによく使う技だ。でも私は、私の身体全ては自由に再構成できる。今あなたが纏っているの装備は……ちょっと、聞いてるの?!】
「すごい、マジかっけぇ!なぁなぁ他には?まだあるだろう?全部見せて……」
「ドンッ!」
言い終える前に、ネモの拳が迫る。もう少しで頭を直撃するところだった。
【敵に集中して、このバカ!もうあなたと組むのを後悔するところだよ!】




