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プロジェクト【サハ】  作者: 諸星佑月
【第一章】箱船は終末から

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命の価値

 エリザベスがヒヨリの頼みを聞き入れてから、すでに二日が経っていた。

 彼女は仕事の時間以外、ほとんどすべてをヒヨリとの訓練に費やしていた。彼女の能力の強さは血族の中でも五本の指に入るほどで、多くの血族が通りかかるたびに足を止め、二人の様子を見物したり議論したり、あるいは何かを学び取ろうとしていた。

 基本一方的に殴られるばかりとはいえ、エリザベスも認めざるを得なかった。ヒヨリの動きに、すでに少しずつ追いつけなくなりつつあることを。

 だがそれでも足りなかった。彼は確かに自分に攻撃を当てようと必死に試みていたが、どうにも全力を出していないように感じられたのだ。

 ヒヨリは砂地から立ち上がり、服についた砂を払った。

「……次で最後にする」

 エリザベスはその言葉の意味がよくわからなかった。

 金髪の少年は笑みを浮かべ、青い瞳に自信を輝かせて彼女を見据える。

「そろそろ体術の練習はここまでだ。次は必ずお前を倒して、一秒も早く異能力を覚えたいんだ!」

 エリザベスは呆気にとられた。

「は……?あなたまだ一度も私に触れてないじゃ……」

 その時、彼女は気づいた。

 ヒヨリは確かに覚悟を持っていたのに、なぜこれまで全力を出さなかったのか。

 彼はずっと観察していたのだ。

 自分の動き、反撃の癖や手段を、一度一度の試行を通して探っていたのだ。

「……いいわ、やってみなさい」

 言葉が終わるや否や、目の前の少年が一瞬で距離を詰めてきた。超人な速さで繰り出された右拳が彼女の顔面を狙う。

 エリザベスは慌てて頭を左に逸らし、拳が起こした風で長い髪が舞った。すかさず体をひねり、足を上げて彼の脇腹を蹴りにかかる。

 しかしヒヨリはすぐさま左手でその蹴りを受け止め、足首をつかんで拘束しようとした。

 ところがエリザベスは突然身を倒し、両手を地面につけて逆さに支えると、もう片方の脚でヒヨリの手を蹴り払った。

「っ……!」

 ヒヨリは思わず声を漏らす。エリザベスは数度の空中回転で彼から距離を取った。

 惜しい。ヒヨリは内心悔しそうに思った。

 だがエリザベスの方は違っていた。目を見張り、驚愕を隠せなかった。たった二日でここまで成長するとは思ってもみなかったからだ。

「……見縊ったね、あなたを」

 最初、エリザベスは六割の力で相手をしていた。だが今は違う。

 彼の潜在力をもっと引き出してみたくなった。

「さあ、続けるわよ!」

 二人は距離を一気に詰め、途切れぬ攻防を繰り広げた。荒い息遣いに混じって、拳が掌に叩きつけられる鈍い音や、腕で蹴りを受ける音が響く。跳躍、回転、エリザベスはほとんど死角のない連撃を繰り出し続けた。見物人はますます増え、「おおっ」と歓声を上げた。

 攻撃は激しく密度が高く、ヒヨリは防戦に追われた。

 ――強い。本当に強い。

 身体の柔軟性を最大限に活かし、戦闘経験も豊富。これほど連続した攻撃は、何十年もの鍛錬を積んだ者にしか不可能だろう。

 異能を使わずともこれだけの体術ができるとは、まさに過酷な環境で培われた強さだった。

 だが、これほどの連撃も永遠には続かない。隙は必ず生まれる。防御を続けていれば、必ず機会は来る。

 ヒヨリは押されて後退し続け、目も身体も追いつけず数発を食らった。

 その瞬間――彼の手に伝わる拳の重みが、ほんの少し軽くなった。

 来た!

 エリザベスもそれを感じているはずだ。この状況で彼女が選ぶ攻撃は――

 視線を下に移す。案の定、彼女の右脚が上がっていた。

 ヒヨリは即座に彼女の右膝をつかんだ。エリザベスの重心がこれで崩れる。すぐさまヒヨリは脚を振り抜き、彼女の脇腹を横蹴りした。

 ドンッと重い音とともに、エリザベスは倒れ込み、地面を二度転がって白い砂埃を巻き上げた。

 勝負がついた。周囲の血族たちは呆然になるしかなかった。

「あっ、わるい!大丈夫か?」

 ヒヨリは慌てて駆け寄り、彼女を助け起こそうとした。

「平気よ。これくらいじゃ傷つかないわ」

 彼女は身を起こし、砂を払い、腰に手を当ててヒヨリを厳しい表情で見据えた。

 ――まだ全力じゃない。

 エリザベスは内心、そう感じて悔しさを覚えていた。本気の最後の一撃だったなら、自分は無事ではいられなかったはずだ。

 ハルカにしても、フクロにしても、そして今目の前にいるヒヨリにしても。三人がここへ来てから、不思議な出来事が次々と起こっている。

 ため息をつき、しかし少しだけ安堵したように笑う。エリザベスは力を抜いて、ヒヨリの横を通り過ぎた。

「突っ立ってないでよ、ばか」

 振り返らずとも、金髪の少年が戸惑って立ち尽くしているのがわかる。

「異能力、学びたいんでしょ」

 その言葉に、少年の瞳は輝き、飛び跳ねるように喜んだ。

「やっっった!またよろしくな、エリザベス!」

「エリィでいいわ」


遺産(ヘリテージ)……」

 ハルカは目の前のロボットをじっと見据えた。その全身はフランケンシュタインに似ているようでいるが、多くの部分がまるで異なっていた。両肩の推進器、分厚い胸甲、そして一回りも二回りも太い鋼鉄の四肢。

「駆逐だと?追い落とすつもりか」

「きみ以外は残すべき重要目標だ、トランスグレッサー」

 自らをネモと名乗ったロボットは腰を沈め、力を溜める姿勢を取った。そして顔を上げ、紫髪の少女をロックオンした。

「……きみも逃走するつもりか。我々にどう処置しても構わないと、確かにきみは発言したが」

「わ、私は巻き込まれたっていうか……」

「させるっかよ!」

 ハルカは両手を動かし、拳を鳴らして挑発する。

「せっかく来たんだ、まだ私はここで遊び足りないぞ!この間全然体を動けないし、遠慮せず来いよ!」

「ちょっ、何を勝手に……」

 ハルカが視線を前へ戻した刹那、ネモの全力の突撃が直撃する。推進器がまばゆい光を放ち、衝撃が押し寄せる。ハルカはその肩と腕を両手でがっちり掴み、身体を前に押し込むようにして必死に食い止め、背後に向けて叫んだ。

「あんた、暇だったらリリスを連れて橋を渡れ!あっちに仲間がいるんだ!」

「何が暇だったらよ!全部あなたがやりたい放題じゃない!っきゃぁあ!」

 ネモは両手をハルカに押さえられていたが、小腿部から砲口を展開し、数発の弾丸を少女とリリスへ向けて撃ち放った。その刹那、ハルカは即座にそれを察知し、力ずくでネモを弾き飛ばして弾道を逸らせた。少女はリリスを強く抱き締め、身を挺して娘を守ろうとした。幸いにも弾丸は彼女たちには命中しなかった。

「……おい、重要目標じゃなかったの?撃ち殺したらどうする」

 ハルカは怒り立ててロボットに怒鳴る。

「計算した上の弾道だ、命は保証できる」

「そういえば聞いていなかったな、なんでこいつらをここに閉じ込めた」

「……ブルーハーの娘に関して、オレにも知る権限がない」

「は?」

「もう一人は、研究価値が高いと、ソロが言った」

「誰だそれ」

「ここの研究所の所長だ。でもどうやら、二人共きみが持って行かれるつもりか」

「いや、だから私は……」

 紫髪の少女はまだ弁解したかったのようだ。

「上等だ!」

 ハルカは拳を思いっきりぶつけ合う。

「こっちはこの宇宙の人間最強だ!全力でかかって来い!」


「計算外だ。フランケンシュタインが戻ってくるとは。それ以上に計算外のは、ブルーハーが追いついてきたことだ」

 アルジャーノンと名乗る機械は、上から見下ろすように言った。

「きみたちは、群れをなして地上で生き延びているはずだろう」

「……何が言いたい」

 ヴラドは拳を握りしめた。

「ボクは天空城で無駄な戦闘を起こすつもりはない。建造物に損傷が出るからな。慌る必要はない、環境と歴史あわせて少し分析すれば、きみたちの繁衍システムが分かるのだ。地上での暮らしは相当困難であろう、取引をしないか、ブルーハー。きみの背後にある温室の産物を提供しよう。我々には不要だが、きみたちには必要だろう」

「……は?」

 予想もしなかった提案だ。戦うのではなく、いきなり贈り物を差し出すなど――

「取引、ね……じゃあお前は何を望む」

「単純なことだ。そのフランケンシュタインを我々に引き渡せ。それとそのブルーハーの娘も置いていけ。フランケンシュタインとはもともと我々の所有物だ。そいつと娘一人を差し出せば、きみたちが数百年も解決できなかった問題を我々の技術で完全に解決できる。食糧不足に悩む必要は二度とないと保証できる。食糧だけでなく、資源も労働力も提供できる。悪くない取引だろう」

 ヴラドは言葉を失った。

 アルジャーノンは完璧に見抜いていた。ブルーハー血族、およそ百人分の食糧不足。数百年の間、どうにもならなかった問題を、この機械は一瞬で把握し、解決策を提示してきたのだ。

 理想的な環境で作物や家畜を育てられる技術。長きにわたり皆を苦しめてきた食糧難が、今ここで解消できるかもしれない。もう誰も飢えることはない――エリザベスが聞いたら、きっと喜ぶだろう。

 フランケンシュタインが視線を向けると、ヴラドはうつむき、虚ろな目で地面を見つめていた。

 次の瞬間、彼は吹き出した。

 フランケンシュタインにも分かるほど、それは皮肉に満ちた笑いだった。

「ハハハ! こいつと娘一人で、百人が飢えから救われる。確かにお得すぎる話だな!」

 笑いながらヴラドは腰を折り、片手で目を覆った。

 だが次の言葉は鋭く冷たかった。

「……命惜しさに空へ逃げた臆病者どもが造り出したのが、テメェのような鉄屑か。救いようがないな」

「……不可解」

 アルジャーノンは無機質な声を返す。

「保証を示さなかったから、そんな答えになったのか」

「ひとつ教えてやるよ、スクラップ」

 ヴラドは地面に張られたクローバー兵の包囲網へと歩を進める。

「命は数で価値が決まるもんじゃねえんだ。命を取引の道具にするなんぞ、とっとと炉に戻って作り直してこい!」

 広場に響くその声は力強かった。

 アルジャーノンは目を閉じ、そしてまた開いた。

「交渉失敗。やはり――愚かだな、人間は」

咲血(サンジェ)――ソーンズ・カタストロフ!」

 ヴラドの右足が地を踏み鳴らす。瞬時に血の結晶が地面から溢れ、包囲網に広がっていく。甲高いひび割れの音を響かせながら結晶が駆け巡り、機械兵たちの足元を覆い尽くすと、一斉に鋭い棘を突き上げ、無数の機体を貫いた。

 クローバー兵の警報が狂ったように鳴り響き、やがて黄の光は一つずつ消えていく。三重もの包囲網は、ただ一撃で全滅した。

 静寂の中に残ったのは、血紅の荊棘に串刺しにされた残骸の山。壮観ですらあった。

「これが最終通告だ、天空城」

 青年は宙のアルジャーノンを睨みつける。

「リリスを返せ。そして目的を余さず吐け。さもなくば、ここは一片残らず壊してやる!」

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