月の少女
そして、武器製造区域に――爆発のような音が響いた。
ハルカは分厚さが人の腕の半分ほどもある鉄の扉に、いきなり拳を叩きつけた。何度も殴り続け、歪んになったら、一蹴りして蹴破る。警報がけたたましく鳴り響くが、ハルカはうるさいとばかりにそれも叩き壊した。哀れな鉄扉は、部屋の中にあった巨大なガラス柱にぶつかり、いくつものひびを入れてしまう。
中に足を踏み入れ、周囲を見回そうとした。数歩進んだところで、聞き覚えのある声が耳に入る。
「……え、ハルカ……姉さん?」
声の方を見やると、扉のそばの隅に、ピンク色の髪をした娘がしゃがみ込み、両腕で膝を抱えていた。迷ったような目でハルカを見上げていたが、すぐにぱっと笑顔になり、立ち上がって駆け寄ってくる。
「リリス!なんだ、ここにいたのか!無事だったか?」
「うん!……うぅ……よかった……」
娘はハルカに頭を預けて、顔を見せない。さっきまでよほど怖かったのか、声がまだ震えていた。
「ヴラドもフランも、カインも来てるんだよ。無事でよかった。まさかこんなに早く見つかるとは思わなかったな」
「みんなきてる?ありがとう!……あ、そうだ、あの……!」
ハルカが立ち上がって戻ろうとすると、リリスが手を掴んで引き止めた。
「まだ、ここに閉じ込められてる人がいるの。助けてあげられないのかな……?」
ハルカは振り返って、自分が蹴破った扉の向こう、ガラス柱を見やる。
部屋自体はそう広くはないが、天井が高く、壁には乱雑に貼られた設計図、床には大小のパーツと電線が散乱している。中央のガラス柱は白く微かに光り、リリスが指差す方向を辿って上を見上げたとき——ハルカの目が大きく見開かれた。
ガラス柱の中に、少女が一人、固定されていたのだ。
正確には、頭部から肩までだけが外に出ており、身体は前屈みになって両腕を後ろに拘束され、柱の中に収まっている。
しかも、柱の中の身体ほとんどは、壊れかけた機械の部品で構成されていた。十五歳ほどに見える紫髪の少女は、瞳を閉じ、微動だにしない。
ハルカの口がぽかんと開く。
「……助けるって、これ……どうやって?本当に生きてるのか、あの人?」
「生きてるよ!わたしがここに放り込まれたとき、目を開けたもん」
ハルカはしばらく悩んでため息をついた。そして、散らかった部品の中から、先ほどの変形した鉄扉を両手で持ち上げた。
視界は悪く、床にはガラス片や金属片が散乱している。何度もバランスを崩しそうになりながら、彼女はガラス柱のひび割れた部分に向かって慎重に歩みを進める。
リリスは呆気に取られたようにその様子を見つめていた。さっきの大音量に死ぬほど驚いたが、それがハルカだったとは。エリザベスからハルカがすごいって聞いたことはあったけれど、まさかあんな細い腕で、あんな重たい鉄の塊を持ち上げるなんて。
「リリス、外に出て」
ハルカの一言で、リリスは素直に外へ走っていった。
深呼吸一つ、ハルカは扉を振りかぶり、ガラス柱に叩きつける。
バリィィィィン!
瞬間、ガラスが派手に砕け散る。ハルカは力が足りないと感じたのか、さらに何度も叩きつけた。飛び散る破片から身を守るために、鉄扉を盾にもしている。
扉の外でも、飛び出すガラス片が見えるほどだった。リリスは耳をふさぎながら扉の影で震えていた。
しばらくして、破壊音が止む。
リリスはそっと立ち上がり、中を覗く。
ガラス柱は完全に破壊され、その中から少女が崩れ落ちていた。床一面に散った破片の中、ハルカは慌てて彼女を抱き留める。
紫髪の少女の体はとても小さく、ハルカは両手で容易に抱えられる。
そのとき、奇妙なことが起きた。
破損していた少女の身体が、目の前で少しずつ再生、いや、再構築されていくのだ。
金属のパーツが肌へと変化し、ちぎれていた四肢は指先まで再構築される。ほんの数秒で、少女の身体はまるで普通の人のように整ってしまった。
「な……何なんだこれは……」
ハルカが呆気に取られていると、少女がゆっくりと目を開いた。
淡い桜色、水晶のような瞳。ぼんやりとハルカを見て、それから周囲を見渡す。
ばしっ!
突如放たれた一発のビンタが、ハルカを吹っ飛ばした。
「ぎゃっ!」
少女が床に落ちた音と、ハルカが吹き飛ばされた音が続く。
「い、痛たた……なによ……」
紫髪の少女は背中をさすりながら、よろよろと立ち上がる。すると、彼女の身体から奇妙な粒子が現れ、それがまるで魔法のように服となって纏われていく。
立ち上がった彼女は、すでに白いドレス姿になっていた。
「……あんた……どういうつもりだ……」
瓦礫からハルカが怒り溢れてで立ち上がる。
「リリスが言ったから助けてやったぞ!あんた誰なんだよ!」
少女は怯みながらも立ち上がり、ハルカを見つめて、それからそっと目を逸らした。
「び、びっくりしたんだから、仕方ないでしょう!……それに、助けてなんて頼んでないし……」
「はぁ!?なんだその態度は!」
「え、えっと……」
リリスが慌てて割って入ろうとする。
「まって、喧嘩はよくないよ?わたしたち……早くここから逃げた方がいいと思う……」
少女はやっとリリスのことを思い出した。
「あなたは……いま連れてこられた……あれ、まさか、あなたは下の住民?」
「え?えっと、確かに、天空城の下に住んでるだけど」
「嘘……あんな地上にまだ人が住んでいる?あんな有り得ない環境なのに……」
「っつうか、あんた誰だよ、さっきも聞いたんだが!人に助けられて礼も言わない偉そうなチビが」
少女はむっとしてハルカに反論する。
「だから、びっくりしたって言ってるの!それに私は、ここに閉じ込められたほうがいいのよ!あなたこそ余計なお世話……」
少女の話が止まった。
桜色の目が、ハルカの胸にある金色のペンダントをじっと見ているからだ。
「なにこれ……なんであなたが、これを持っているの?ていうか、あれ?ええ?あなた、根印無き者じゃない?しかも、トランスグレッサー?!」
連続の問にハルカはなおさら腹が立った。
「なんだよ、これは私の大事な人からもらったんだけど」
「……これ、かなりの残刻器だよ。誰がこんなものを……」
「残刻器?」
リリスもハルカも、同時にこの発音を振り返った。
「これも知らない?もう……根印持つ者たちが戦うと、どうしても武器が必要になる。しかし、ハタを大量に受け入れられる物質は極めて少ない。よって、異能力と合わせて力を発揮できる特別な、根印持つ者の専用武器が、残刻器だ」
「これが武器?」
ハルカは疑っている様子で、馴染みすぎるはずのペンダントを観察し始めた。
「少なくとも、中に凄まじいハタがあるに違えないわ。一体あなた……」
急に、ハルカの全身が警戒し始める。次の瞬間、反射的に両腕でリリスと少女を強く押さえ込む。
「伏せろ!」
その叫びと同時に、何かが三人の頭上を一瞬の閃光のように駆け抜け、部屋の向こう側の壁に激突した。鈍い衝撃音が響き、壁に貼られていた大量の設計図が宙に舞う。
ハルカは素早く立ち上がり、二人の前に立ちはだかった。舞い上がった図面が静かに落ちてくる中、視線の先に、ひとりの人影が現れる。
それは「人」ではなかった。
姿形こそ人に近いが、細部を見れば明らかに異質。構造はどこか、フランケンシュタインを思わせるような、機械的な金属の体。
真っ赤な短髪、そして、両目からは青白い光が発せられているロボットだ。
「座標に到達」
少年のように力強い声。しかし、その言葉の内容は不気味なほどに冷たい。
「遺産、当機識別名ネモ。目標の駆逐を開始する」
ヴラドとフランケンシュタインが向かったのは、住民区域だった。
長い連絡通路を素早く抜け、この区域に足を踏み入れる。だが、そこはやはり不気味なほど静まり返っていた。
「静かすぎる……人影全くないな」
「ええ。この天空城はいま、所長一人しか生きていませんので」
「なんだと?」
それを聞いてヴラドは信じられない顔でロボットへ向く。
「故に、気をつけるのは、クローバーだけです」
フランケンシュタインが言った通り、人が暮らしていた痕跡は、ほとんど何もない。
代わりに、先ほど話に出ていたクローバーの巡回機が目に入る。深い緑色のボディ、丸い肩が二つと球状の頭部を持ち、短い脚で律儀に道路を行き来している。
生身の人は誰も見かけないのに、こいつら機械だけは妙に多い。
もっとも、フランケンシュタインが一緒にいるおかげで、ヴラドにとってはその回避も容易だった。
「ヴラド」
クローバーに遭遇する心配のない空白地帯に入り、二人はがらんどうの鉄の街路を歩いていた。その時、フランケンシュタインが口を開く。
「私のアドミニストレーターにはヴラドです。この権限は強制的に変更されることありません。それなのに、なぜ私を単独行動させないのでしょう?」
「信用してないからだ」
ヴラドは振り返りもせず、短く答える。
「信用?しかし、私は……」
「いくらお前は機械でも、俺はお前の扱い方全く知らない。それに……どこか妙だ。今回リリスが誘拐されたことが……」
「……そうですか。前方、温室に到着いたします」
フランケンシュタインの提示に、ヴラドは慎重に、しかしどうやら興味津々のようで、すこしだけ、鉄の建築の中にある部屋を覗いた。
ひと目だけで、驚いた。
「……これ……」
ヴラドにとって、見るのはまったくの初めてだった。
まるで床一面に翡翠を敷き詰めたかのような畑だ。こんなにも鮮やかで美しい色、こんなにも生命力に満ちた環境を、彼はこれまで見たことがなかった。
たとえ人工的に造られたものであっても、彼には十分すぎるほど幻想的だ。
滴るほどの露、鬱蒼とした緑葉、清らかな空気――まるで別世界に来たような心地さえ覚える。
天空城は誕生以来、当時の良質な土壌と大量の穀物、家畜を保ち続けてきた。需要が減った今では温室も次第に数を減らしているが、残された機械は依然として温度や湿度、果ては空気の質まで調整し、可能な限り最良の環境を再現していた。
「ここは農場で、牧場は隣です。天空城の人々はかつて、ここで採れる食糧に頼って生きていました。品質は保証されています。今は、人も少ないため、余りが多いですが」
――もし、こんな場所を血族に分け与えることができたなら……
「ヴラド」
フランケンシュタインの頭部の金属が突然、数回きらめく。
「敵が全速で接近中です」
ヴラドは声を聞くや否や、温室から街路へ飛び出した。
だが外に出た瞬間、すでに大量のクローバー型巡回機が一帯を包囲していることに気づく。少なく見積もっても三重の包囲網だ。
無数の黄色いアイランプが点滅し、その明滅は不快なほど目障りだった。
「どういうことだ、お前は気づかなかったのか?」
「たった今、クローバーの信号波長が一時的に変更されていた……恐らく、私がここにいることを知ってのことです」
フランケンシュタインの声が重くなる。
「こんなことができるのは……」
頭上から、風を切る音が響いた。
ヴラドが見上げると、やはりそこにいたのはクローバーとはまったく異なる、フランケンシュタインによく似たロボットだった。
背の三枚の機翼はフランケンシュタインと同じ。黒緑い短髪、左目には金属枠のレンズ、右目だけは通常の造形だが、淡い緑光を放っている。
地面に降り立つ気配もなく、上空に留まったまま二人を見下ろした。
「座標到達。遺産、当機識別名アルジャーノン。侵入者排除を開始する」




