守りたいものは
マントを纏った、左右で色の異なる瞳を持つ男が、まるで最初からそこにいたかのように、二人の少年の間へと不意に姿を現した。
ヒヨリにとっても、フクロにとっても、この男を見るのはこれが初めてだった。
「……あの時、貫通トンネルを開いた奴……お前だったのか?いったい、お前は……」
「え?」
ヒヨリは完全に置いてけぼりにされていた。目の前で話が勝手に進んでいくのを、ただ呆然と見つめる。
「君たちが聞きたいことは、それこそ山ほどあるんでしょうね。でも、今はそんな場合じゃない、君たちも分かっているんでしょう?」
男は穏やかな笑みを浮かべた。その態度には、目の前で殺し合いが繰り広げられていたことなど、まるで気にしていないような余裕があった。
「……人の戦いに勝手に割り込んでおいて、次は自分に矛先が向くとは思わないのか」
フクロが鋭く睨みつける。
「お前のせいで、今の俺の気分は最悪だ」
「ははは、それは悪かったね」
男は肩をすくめると、どこか楽しそうに笑った。
「それじゃあ、お詫びに少しばかり埋め合わせをしようか」
そう言って、男は両手を伸ばし、それぞれの手を二人の少年の肩へと置いた。
フクロは反射的に身構えた。だが、次の瞬間には、その警戒が必要ないことに気づく。
男の手から、柔らかく、それでいて驚くほど強靭なハタが絶え間なく二人の身体へと流れ込んでくる。その力は傷ついた肉体を包み込み、疲弊した身体を癒やしていった。
「私は治療の術式にも少しばかり心得があってね。せっかくだから、遠慮なく受け取ってくれ」
「……」
フクロは黙ったまま、自分の身体を見下ろした。
さっきまで軋んでいた身体から、痛みが少しずつ引いていく。ヒヨリも驚いたように自分の腕を動かし、何度か握ったり開いたりしている。
やがて男が二人の肩から手を離すと、二人はようやく自分の足で地面を踏みしめることができるようになった。
「さて」
男は二人から視線を外し、遠くへと目を向ける。
「向こうのポラリスも、君たちの仲間と全力で戦っているみたいだね……いや、今は昊天と呼ぶべきかな?」
ヒヨリは頭を掻きながら、困惑したように眉を寄せた。
「あの、俺、ずっと分からなかったんだ。モニターっていうのは、宇宙をドミネーターから守る存在なんだろ?でも、昊天はもうモニターじゃないって言われてる。それなのに、今あいつがやってることって、結局ドミネーターと戦うことじゃないのか?……なんかもう、わけがわからないよ」
まるで、その質問を待っていたかのように、男はニヤリと口角を上げた。
「群星の守護者――モニター。宇宙を守り、星々を守護する者……」
男はゆっくりと言葉を区切り、遠くで激突する二つの力へと視線を向ける。
「そう考えると、昊天が今やっていることとは……少しばかり違わないかい?」
そしてフクロも、男の言葉の意味を理解したように、目を細めた。
「……あいつが守っているのは、宇宙全体じゃない。この第四空間……この世界だけ、なのか」
「うん。その通りだよ」
男はあっさりと頷いた。
「目的そのものは、今でもドミネーターを倒すこと。そこに変わりはない。ただし――彼が守る対象は、この一つの世界だけだ。だからこそ、ブリットンスと手を組むことにも、まったく興味を示さない。やれやれ……彼のサハが、まさかこんな錯誤を生み出すとはね」
「エラー……?」
ヒヨリが首を傾げる。
だが男は、その疑問には答えず、くすりと笑った。
「まあ、私としては実に面白いけどね。さて、お二人さん。君たちはもう、お互いに最強の一撃をぶつけ合ったんでしょう?なのにそれでも勝負がつかない。そして本当の敵は、まだこの先にいるのに……ここで睨み合っていいのかい?」
ヒヨリはフクロの横顔を見つめた。ここでフクロがどういう答えを出すのか。それだけを、じっと待つ。
やがてフクロは、小さく息を吐いた。
「……興が冷めた」
その声には、さっきまでの殺気がわずかに薄れていた。
「お前との決着は、後回しにする」
「それじゃあ……」
「……俺も勝ったわけじゃない。だから……お前の言葉を、一度信じてみる」
その瞬間、ヒヨリの張り詰めていた表情がようやく緩んだ。そして、ほっとしたように笑う。
「うんうん」
男は満足そうに何度も頷いた。
「賢明な判断だね」
「……お前はいったい何者なんだ」
フクロは改めて男を睨みつけた。
「お前も、トランスグレッサーなのか?一体なぜあの時、俺たちにトンネルを開いた」
「うーん……この戦いが終わったら、教えてあげるよ――勝てたら、の話だけどね」
「……」
「安心して。私は一度約束したことを破ったりはしない。ちゃんと約束は果たすよ」
――ドンッ!
瑶池の方角から、空気そのものを震わせるような轟音が響き渡った。三人がほぼ同時に振り返る。遠くで巨大な爆発が巻き起こり、光と衝撃波が空間を染め上げていた。
男はそれを眺めると、楽しそうに目を細める。
「向こうもずいぶん盛り上がっているみたいだね。それじゃあ――頑張っておいで」
次にそこは、もう誰もいなかった。
まるで最初から存在していなかったかのように。
二人の少年の間に立っていた異色の瞳の男は、幻だったのではないかと思わせるほど、跡形もなく消え去っていた。
たとえ金身が砕け散ろうとも、その内部に仕込まれた砲身はなおも稼働し続けていた。まるで巨大な砲台そのものだ。白色のレーザーが次々とハルカを撃ち抜き、絶え間ない爆発音が瑶池一帯に轟き渡る。もうもうと煙が立ち込め、視界をすべて覆い尽くしていく。
やがて、その煙の中からハルカが左腕の円盾を一閃した。
風圧が煙幕を切り裂く。
そこに、ハルカは無傷のまま立っていた。
そして少女は何事もなかったかのように、一歩、また一歩と、昊天へ向かって歩き始める。
【……なんだと……あり得ない……!】
昊天の声に驚愕が滲む。
次の瞬間、空中に浮かんでいた無数の巨石が一斉に動き出した。さらに天から幾筋もの雷が落ち、白色のレーザーとともに、すべての攻撃が一点――ハルカへと集中する。
池の水が爆ぜ、天宮そのものが震えた。直径百メートルにも及ぶ巨大なクレーターが穿たれる。
しかし――
「……ふっ!」
ハルカが拳を振り抜く。襲い来る瓦礫が一撃で粉砕され、無数の破片が宙へと弾け飛んだ。その向こうから、少女は再び歩き出す。
その足取りには、焦りも恐怖もない。
「不滅たる戦場の魂?」
聞き慣れない言葉を、確かめるように繰り返す。
「そうよ」
アルテミスがハルカに答えた。
「この残刻器は、全身を覆う一式の装備。能力を一言で説明するなら――無敵ね」
「……え?」
「疑う必要はないわ。これを使っている限り、どれほど強力な攻撃を受けても、あなたには傷一つつけられない」
アルテミスは淡々と説明を続ける。
「私の知る限り、これを破壊できる可能性があるのは、ドミネーター級の存在だけ。だから、昊天の攻撃なら基本的には全部防げるわ」
「そんなに凄いの?だったら、もっと早く教えてよ!」
「あなたって、本当に喉元過ぎれば熱さを忘れるわね」
アルテミスは呆れたようにため息をついた。
「あなたは根印無き者。普通の人があなたと同じことをしたら、身体の過負荷で何度命を落としているか分からない。それに、この残刻器は膨大な量のハタを必要とする。そんなものを、簡単に使わせられるわけがないでしょう」
ハルカは黙って聞いていた。
「今回は東華仙姫があなたの身体を強化して、反動を軽減してくれた。そして……昊天は間違いなく強敵だから、特別にあなたに教えたわ」
「ふーん……」
ハルカはしばらく考えたあと、その場で足を組んで座り込んだ。
「あんたの残刻器って、本当に種類が多いよね。前からずっと聞きたかったんだけど、アーマーアクセスの残刻器――あれって、いったい何なの?どうして異能力まで使えるの?」
返事はなかった。しばらくして、アルテミスはゆっくりと視線を落とした。
「……」
ハルカはその横顔を見て、何かを察したように小さく笑う。
「……そっか。話したくないなら、いいよ」
「え?」
ハルカは立ち上がると、服についた灰をぱんぱんと払った。
「あんたが私の味方でいてくれてることは、ちゃんと分かってる。それで十分だから」
アルテミスはそんなハルカを見つめた――先ほどまで自分が抱いていた考えを、心の中で自嘲する。
「……ありがとう」
「ん?何か言った?」
「な、何でもないわよ!」
赤い閃光が空を走り、猛烈な風圧が巻き起こった。
ハルカは左腕に装備していた円盾を、勢いよく放り投げる。
「――行くよ!」
少女は大きく跳躍した。長槍を両手で握り締め、そのまま巨大な金身へと突き出す。
「――ッ!」
ガァンッ!!
凄まじい衝撃音が響いた。
槍の一撃が金身を正面から貫き、あまりにも巨大なその身体が、まるで重量など存在しないかのように宙へと跳ね上がる。
だが、まだ終わらない。ハルカはそのまま追いつき、脚を振り抜いた。
「――はぁっ!」
ドォン!!
細く、華奢な少女の脚から放たれたとは到底思えない一撃。巨体がさらに吹き飛び、雲を突き抜けて天空へと舞い上がっていく。
ハルカは空中で長槍をくるりと旋回させ、その切っ先を昊天へと向けた。
「不敗伝説!」
赤い光が槍の先端へと収束し、一直線に放たれた。爆裂する光が厚い白雲を貫き、空に巨大な穴を穿つ。
【小癪な……!】
昊天の声と同時に、金身の正面が高速で変形する。装甲の一部が開き、無数の砲口が姿を現した。白熱したレーザーが一斉に放たれ、ハルカの攻撃を真正面から迎え撃つ。
ドンッ!!
【思い上がるな!我が持つのは、この世界そのもののハタだ!貴様のような小娘に、我が負けるはずがない!】
白色のレーザーが圧倒的な出力で赤い光を呑み込んでいく。
だがハルカの表情に、焦りはなかった。
「私だって、一人で勝てるなんて思ってないよ。一人で戦ってたら、とっくに何回負けてるか分からないしね」
その時、ハルカが最初に投げ捨てた円盾が、まるで意志を持っているかのように空中を旋回しながら戻ってくる。
そして――正確に、昊天とハルカの攻撃の間へと割り込んだ。円盾が展開し、巨大な赤い光の障壁が広がり、昊天の凄まじいハタの奔流を正面から受け止めた。
ハルカは一瞬の隙を逃さない。
一気に距離を詰めると、左手を盾へと押し当て、そのまま両脚に力を込める。
「――ッ!」
爆発的な加速。盾ごと巨大な金身へと突進し、その巨体を再び遥か彼方へと吹き飛ばした。
「これは……ルキウスの分!」
ハルカの瞳に、鋭い光が宿る。今度は相手が反撃できない、その一瞬を逃さない。
「不敗伝説!――メテオラ・スパルガー!」
ハルカの身体そのものが槍と一体化した。赤い火輪となって高速回転し、巨大な金身へと激突する。
ガァァンッ!!
金剛不壊を誇った金身の表面に、鋭い傷跡が刻み込まれていく。火花が空に散った。
「これは――前にあんたにやられた分!」
槍の先を装甲の一点へと食い込ませ、そのまま全身の力を込める。
「不敗伝説!――アウローラ・ニグマ!!」
ガギィィンッ!!
ついに。あれほど圧倒的な存在感を放っていた金身に、大きな穴が穿たれた。金色の破片が砕け、カラカラと音を立てながら蒼穹へ散っていく。
「まだ……!」
ハルカはさらに槍を握り締めた。
「これは――ナタの分だ!!」
一つ。二つ。三つ。
三本の赤光がそれぞれ異なる方向から昊天へと殺到する。
「不敗伝説!――タキュス・ハルマ!」
残像でもない。幻でもない。それは紛れもなく実体を伴った、三方向からの同時攻撃だった。三度の突撃が巨大な金身を相次いで貫き、天空で無数の雷光が炸裂する。
飛び散る金色の破片。そのすべてが、少女の怒りを代弁するかのように、天宮の空を荒々しく駆け巡っていた。
「これは――協定であり、誓約であり、そして呪いでもある」
「これより皆様の肉体は、ロザリオによって錬成されたものとなります」
「そして皆様のサハは、二度とシャカの円環へと帰ることはない。以後は、オリンポス山のヘラによって管理されることとなります」
「我々は、数え切れないほどの実験を経て、ようやく選び出された成果なのです」
「このようやく手に入れた宇宙を守り、その正しい運行を維持しなければならない」
「そのために、我々は多くのものを捧げなければなりません」
「ここに、皆様へ感謝を。この銀河のために、己自身を捧げることを選んでくださったことに。そして――モニターとなることを受け入れてくださったことに」
「どうか、かつての名を捨ててください。これよりは、あなた方に力を与える星々を、その名に代えてお名乗りなさい」
「あなた方こそが、宇宙の意志」
「願わくば――宇宙が、あなた方を守らんことを」
――モニターは、生きているというよりも、記憶と人格、そして思考する能力だけを残した、データに近い存在なのかもしれない。
自らの魂を捧げると決めた、その瞬間から。我らは、宇宙のために歩き続ける存在となった。世界破壊者や銀河創造者と似ている。
世界というものは――誰かの犠牲があったからこそ、秩序を保つことができる。
あるいは。秩序の下には、必ず犠牲が存在する。
分かっている。そんなことは、痛いほど分かっている。だからこそ、我は自分自身を犠牲にした。
この世界が、より正しく動き続けるために。他の生命が、少しでも穏やかに生きられるように。
……だけど。
我は、自分の意志で犠牲になった。それでも――この世には、自ら望んでいないのに、犠牲になるしかなかった人が、あまりにも多すぎる。
生まれた時から貧しかった者。生まれながらに身体の一部を失っていた者。生まれた瞬間から病に苦しめられていた者。
彼らは、何も悪くない。何一つ間違ってなどいない。
それなのに、何の理由もなく、数え切れないほどの不公平を背負わされている。
たとえ彼らが、もう「平等」なんてものを求めることすら諦めていたとしても。
我には、見過ごすことなんてできなかった。
こんな宇宙で、本当にいいのか。
こんな世界は――本当に、守る価値があるのか。
「……あっ!よかった、仙人様が目を開けた!ママ――!仙人様が起きたよ!」
――ああ。
そうだ。
我が守りたかったもの。
何があっても、どうしても守りたかったものは――




