一人では届かない境
ハルカは砕けた瓦礫の上へ飛び移る。白い雷撃が絶え間なく彼女を追い、まるで意思を持つように襲いかかってくる。
少女は黄金の剣で雷を弾き消し、次の瞬間には別の浮遊する岩へ跳び移る。軽やかに攻撃を捌き、回避を繰り返すものの、反撃へ転じる隙はまるで見当たらない。
【おのれ孫ゴクウめ……!果たしても奴の権能によりこのような有様にまで追い込まれるとは……!】
「はあっ!」
黄金の斬撃が空を裂き、金身へ叩き込まれる。巨大な躯体がゆっくりと身を捩った。
「よそ見してる場合か!」
ハルカは勢いよく跳躍すると、そのまま金身の上へ飛び乗り、剣を思い切り突き立てる。だが、無数の巨岩が四方から一斉に迫る。
「ちっ……!」
彼女は歯を食いしばり、両脚で跳ね上がると、剣へハタを流し込んで一気に爆発させた。黄金の衝撃で包囲を突破し、そのまま別の浮遊岩へ着地する。
【――収め】
その一言とともに、ハルカは突然片膝をついた。
「っ……!」
息ができない。
足元の岩は瞬く間に柔らかな泥へと変貌し、彼女の身体を呑み込んでいく。さらに幾つもの巨岩が容赦なく降り注ぎ、何トンもの質量を伴った衝撃が何度も彼女を押し潰した。
【思い上がるな、無知な小娘】
血を吐きながら、ハルカは昊天の眼前へと叩きつけられる。
【本気で、我に手も足も出せぬと思ったか?たしかにあの猿によって、この世界の霊脈との繋がりは断たれた。だが、それだけで根印無き者ひとり始末できぬほど、我は落ちぶれてはいない。この世の万物はすべて我の一部。天地を覆すことなど、指先一つで足りる】
その瞬間、泥の塊の内側から黄金の光が炸裂した。
飛び出したハルカは勢いそのまま大剣を振り下ろし、再び金身へ斬りかかる。金色の火花が激しく散り、轟きが響いた。
「うるさいなぁ……!だから何だっていうんだ!あんたがどれだけ強かろうが、私があんたを倒して、ドミネーターを倒すこととは何の関係もない!」
【愚かな……!】
金身の一部が突然巨大な黄金の柱へと変形し、ハルカの身体を締め上げる。
「ぐっ……!」
全身の骨が軋み、内臓までも押し潰されそうな激痛が走る。
【ドミネーターを倒すだと?笑わせるな。貴様は根印すら持たぬ、弱者の中の弱者だ。どれほど立派な理屈を並べようと、自らの弱さすら理解できぬ愚か者に過ぎん!】
「……誰が……根印がないからって……弱いなんて決めたんだよ!」
締め上げられながらも、ハルカは昊天を真っ直ぐ睨み返した。
「たとえ腕を失っても、足を失っても、それだけで弱者だなんて誰にも決められない!あんたは他人から貰った力を自分のものみたいに振りかざして、自分ひとりの強さだけを信じて、それで全部自分の力だって思い込んでる!そんなあんたの方こそ、私には弱く見えるさ!」
【……我は世界の頂に立つ者。ゆえに頼るのは己のみ。この身一つで万物を救済するのだ!】
「だから弱いって言ってるんだ!」
紅い光がハルカの身体から溢れ始める。
「私は、自分さえ強くなれば何でもできるって思ってた。でも……!今の私の方が、昔の何倍も何十倍も強いんだ!――そうだよね、アルテミス!」
【ええ。あなたは間違っていないわ、ハルカ】
剣から優しい少女の声が響く。
【あなたがそのままでいてくれる限り、私はいつだってあなたの味方よ】
紅蓮の光が天を貫いた。
昊天の金身はその熱で次々と溶解し、慌ててハルカを拘束していた部分を本体へ引き戻す。
同時に黄金の大剣は無数の金属粒子となって空へ溶けるように消えていった。
【見せてあげる!これが私――宇宙最強の残刻器よ!】
アルテミスの凛とした声が戦場に響き渡る。
【どれほど強大な敵だろうと、私がいる限り、あなたは決して負けない!あなたは恐れず前へ進める!】
二人の少女の声が重なった。
「――アーマーアクセス:アキレウス!」
深紅の装甲がハルカの全身を包み込む。
鋼の脚甲が太腿まで覆い、その上には身体へ密着する重厚な装甲。左手には金属の長槍、左腕には古代を思わせる円盾が現れる。額当てが眩く輝き、紺紫の瞳をさらに鮮烈に映し出していた。
「――不滅たる戦場の魂!」
その姿はまるで――緋色の戦乙女。
その時になって初めて、昊天はハルカの内に宿るもう一つのハタへ気付いた。見覚えのあるその力は、本来なら膨大なハタに耐えられないはずの彼女の身体を支え、淡い緑の光となって全身を静かに包み込んでいる。
【……なるほど。根印無き者が、これほど短期間で傷を癒やし、この域にまで至ったのは君か――東華】
ハクタクは片膝をついたまま目を開き、前方に立つ人物へ嬉しそうに声をかけた。
「東華様。たった今、昊天が霊脈を無理やり支配できなくなりました。これなら僕も、大地からもっと多くのハタを自在に引き出せます!」
その先には、長い銀白色の髪をたなびかせた緑衣の麗人が立っていた。足元では八卦陣が静かに回転を続けている。東華仙姫はゆっくりと目を開き、空高く視線を向けた。
「……どうやら、みんな順調に進んでいるようね。昊天と霊脈との繋がりを断てたということは、大聖も牢から救い出されたのでしょう。彼が昊天との戦いに加わってくれれば心強いが……顕聖真君――楊ゼンが、きっと彼の前に立ちはだかるはず」
「どうしてですか?二人がかつて肩を並べて戦っていたことは知っています。でも、どうして東華様は楊ゼンが必ず孫ゴクウと戦うと、そこまで断言できるんですか?」
東華は根印の運行を止めることなく、小さく息をついた。
「楊ゼンという子は……あの子の歩んできた人生が、彼女をあれほど大人にしてしまった。生まれつき額に第三の目を持っていたせいで人から疎まれ、どれほど優れた才能と武芸を持っていても、ただ孤独な少女として育った」
「そんな……」
「父は病弱で早くに亡くなり、母も長年の苦労がたたって命を落とした。そうして楊ゼンは、幼い頃からたった一人で生き抜いてきた。誰にも頼らず、無理をすることがいつしか当たり前になってしまった。私も、ナタも……あの子にはもう少し肩の力を抜いてほしいと、ずっと願っていた」
ハクタクの記憶にある楊ゼンは、いつも氷のように冷静で近寄り難い存在だった。そんな過去を抱えていたとは思いもしなかった。
「……その後、ちょうど円環の番人となっていた大聖がこの世界へ戻り、当時の昊天と利害が一致したことで、天宮でも役目を担うようになった。それは楊ゼンにとって、とても不思議な出会いだった。私たちは皆、楊ゼンに無理をするなと言い続けたが、大聖だけは違った。たったその程度かと、いつも挑発してばかりだった」
「それは……あの猿が情けがまるでないって話は聞いていましたけど、それにしても……」
東華は首を横に振り、穏やかに微笑む。
「いいえ、ハクタク。実は、大聖の接し方こそが、あの子には必要だったよ。楊ゼンが求めていたのは、同情でも憐れみでもないわ。自分の努力を認めてくれて、自分の強さにも目を向けてくれる人――そんな存在が一番欲しかった」
東華は印を結び直す。足元の八卦陣はさらに強く輝きを放ち始めた。
「だからこそ、あの子はきっと、何があっても自分自身の力で、もう一度大聖に認めてもらいたいと思っているのでしょう……恥ずかしい話だが、私も同じだった。何でも一人で背負い込んで、自分だけで成し遂げようと意地を張っていた」
その言葉を聞いたハクタクは、ようやく納得したように微笑んだ。
「だから今回は、僕を一緒に連れてきてくださったんですね」
「……ごめん、ハクタク。本当は私の独断でトランスグレッサーたちに手を貸したというのに……」
「そんなこと気になさらないでください。命を救っていただいた恩を返したいのはもちろんですが、それ以上に僕自身も興味があるんです。この宇宙で最も弱いはずの人類が、一体どこまで辿り着けるのかを」
ハクタクの周囲に紫色の光が霧のように立ちのぼり、柔らかな輝きとなって彼女と東華の足元を包み込んでいく。
「もう昊天は霊脈を自由に使えません。ならば、この大地の力は僕が遠慮なく預かります。あの二人のトランスグレッサーには、あらかじめ遠隔でも僕たちの能力を発動できる印を施してあります。何があっても、彼らは倒れさせません」
燃え上がる炎が服を焼き尽くし、フクロの服はすでにぼろぼろだった。ほんの少しでも身体を動かせば、そのまま地面へ倒れ込み、二度と立ち上がれないのではないかと思えるほど消耗している。両手にはもう刀を握る力すら残っていない。正直なところ、今の彼に残されているのは、呼吸を続けるだけの力だけだった。
白く煙る瓦礫の中を見渡しても、金髪の少年の姿は見当たらない。
――勝ったのか?
ガラッ。
崩れた瓦礫の奥から、小さな音が響く。まず腕が現れ、続いて見慣れた金色の髪が姿を見せた。
ヒヨリも決して無事ではなかった。ハタによって刻まれた傷は、さすがの彼でもすぐには再生できない。それでも彼は歯を食いしばり、全身を震わせながら、最後の力を振り絞って立ち上がる。
……こうまでしても倒れないのか。お前は。
フクロは目を見開いた。
「……まだ、終わって……ないよな……」
その一言に、フクロの瞳が揺れる。
ヒヨリは荒い息をつきながら、それでもまっすぐ彼を見た。
「お前も……俺も……まだ立ってるだろ、フクロ……!」
その時、フクロの左手から再び黒い雷が弾けた。バチバチという耳障りな音とともに、漆黒の稲妻が荒々しく暴れ始める。
「調子に乗るなよ、ヒヨリ!」
それに応えるように、ヒヨリの右手にも灼熱の炎が燃え上がった。
二人は同時に地を蹴る。互いの名を叫びながら、残されたすべてをぶつけるように一直線に駆け出した。
きっと、この一撃を放てば、二人とも当分は立ち上がれない。
――それでも構わない。
ここで全力をぶつけ合わなければ、きっと一生後悔する。
「――それはいけないな」
穏やかな男の声が、不意に戦場へ割って入った。
「うわっ!?」
ヒヨリは思わず声を上げる。まるで何か見えない壁とぶつかったように、身体はまったく思い通りに動かない。
フクロも同じだった。何が起きたのか理解できないまま、互いに顔を見合わせる。手の中で練り上げていたハタも、強制的に霧散してしまった。
「激情は嫌いではない、私がとやかく言うつもりはないけどね」
のんびりとした声が続く。
「でも、その辺で止めておいた方がいいよ。勝負はほどほどが一番だからさ」
二人は同時に声のした方へ視線を向けた。
いつの間に現れたのか、一人の男が地上に立ち、にこやかな笑みを浮かべながらこちらを見上げていた。
柔らかなベージュ色の長髪は一本の三つ編みにまとめられ、胸元へ流れている。身に纏うのは上質そうな黒いマントで、袖口や襟元には金糸の装飾が施されていた。
そして何より目を引くのは、その瞳だった。一つは紫。もう一つは深紅。左右で異なる色を宿した、不思議な双眸。
「……誰だ」
フクロが鋭く睨みつける。
「お前、この世界の住人じゃないだろう」
「そんなに警戒しないでくれよ」
男は困ったように肩をすくめ、苦笑した。
「君たちが第一空間を抜けられたのだって、私が手を貸したからじゃないか。せめて、もう少しくらい優しくしてくれてもいいだろう?」




