果し合い……34
顔面を蹴られた彼女は、しかし身軽に宙で態勢を立て直し再度飛び掛かる。
口から血を流しながらも、まだ狂笑を浮かべた彼女は、次は中段から切りかかる。
胴を袈裟に凪にするはずが、阜雫はわすかに抜いた刀身の腹で厄神を受け止めると、髪の毛を鷲掴みにした。
解かれようと刀身を振りあげようとした刹那、どすんと重い音が道場にこだました。
阜雫の膝が、座禅の腹に突き立てられていた。
「が、か、ハッ」
衝撃で胃の中身をすべて吐き出した彼女。そこへさらにもう一度。
「ご、がは!」
残りもさらに吐き出すが、さらに膝で蹴り上げる。
四度目についてだらんと彼女の体から力が抜けて、阜雫は手を離した。
白目を向いて倒れ込んだ座漸は、完全に失神し虚脱していた。下腹部から水たまりが広がっていく。
「こい」
踵を返した阜雫。
決して手ぬるくない剣客である座漸ですら、彼を前にしては刃を抜かせることなく、徒手だけで終わらせられた。
力量が違うのは、誰の目にもたしかだった。
彼が去った道場で、鋼が呼吸を思い出したように深く息を吐いた。
「大丈夫でしたか? 総史郎殿は、ここで待っていてください」
本当に恐ろしいのはこれから彼と戦う鋼のはずなのに、それでも彼女は総史郎を気遣い僅かに微笑むと、座り込んだまま動けないでいた頭を撫でた。
それに甘えてしまいたい。あんな恐ろしいものと同じ場所にはいたくない。
総史郎は、肯いてしまった。鋼はもう一度微笑み、外へ行ってしまう。
完全に鋼の小さな背中が見えなくなると、総史郎は道場の端で蹲ってしまう。
そして外から鍔迫り合い悲鳴が聞こえると、総史郎は肩を震わせて、耳を塞いでしまう。
いったいどれだけの時間が経ったか。
伸びていた、座禅がよろけながら起き上がった。
吐き気が止まないのだろう、何度も嗚咽を漏らす。
「おい、てめえ……!」
顔を青ざめさせた狂犬と恐れられた少女は、力のこもらない手足で何とか立ち上がると、総史郎の元へ近づいた。
隻眼隻腕の剣客は総史郎の胸倉を鷲づかみにして、壁に押し付けて立ち上がらせる。
総史郎は喉を引き攣らせて悲鳴を漏らすと両手で頭を覆う。膝が笑ってまともに立っていられない。
「なんで、独りで行かせた!」
「ひッ!」
顔を覗き込みながら吼える座漸が恐ろしくて、身を強張らせてぼろぼろと大粒の涙を流し続ける。
その無様が無性に腹が立つ。鋼からは口止めされていたが、構うものか。全部この情けない腰抜けに、教えてやることにする。
「あいつは育ての親に殺しを依頼されたんだぞッ!」
「……え?」
その言葉が一瞬分からなくて、そして分かった時には顔を覆っていた腕を退けて、今にも噛み付かんばかりに顔を迫る座漸の顔を見つめ返した。
「野郎の依頼主は、あいつの育ての親なんだよ。そいつは財閥の金が欲しいから、第一後継者の鋼を殺そうとしてんだ!」
総史郎が眠っていた間に語られた事実。それを知るには、間が悪かったか。
「な、そんな……」
「そんな時でも、あいつはお前にどうした?!」
かたかたと震えていた肩は収まらない。それでも座漸は総史郎の胸倉をもう一度強く引き寄せる。
「答えろ、腰抜け笹木総史郎ッ!」
最後に渇を入れられた。
総史郎は俯き固く目を閉じる。震えは治まる気配がないし、阜雫の事を思い出すとまだ心が折れてしまいそうなほど怖い。それでも腰抜けではいられない。
深く深呼吸して、目を開いて座漸の力強い眼を見つめ返した。
「……私は、逃げ腰です。さっきまでは確かに腰抜けでしたが」
彼女の腕を振り解き、総史郎はゆっくりと腰に富重を差す。
「ありがとうございました」
「おう……」
隻眼隻腕の剣客は、もう一度大の字に横たわり、また意識を失った。