全ての破片
地面に足をつけ、遼太は毅然として立つ。憎むべき敵はそこに姿を見せておらず、ただ殺風景な夜の校庭だけが、寂寥を誘う風と共にそこにある。
「……奴の言っていたことの大半は正解だが、そのほとんどはあからさまな誇張だ。主が存在する理由はゴマンとあるし、俺は利用しているわけじゃねえ。全てお前の意志で決めたことだ。その危険性もきちんと了承した上での了解だ。それほどまでに、五体満足に憧れていたってことだ。後悔は無いだろう。どっちにしろ、奴の配下に収まった時点で俺達は終りだ。ついてくるなら、利害が一致するほうを選ぶのが人間だが……奴を葬る気はあるか?」
何かと思えばそんなこと。
遼太は筋肉を鳴らすように頷く。
先ほどの肉を抉った感覚が克明にこの手に残っている。命令を下した意思は違えど、感覚は共有されている。相当な痛みだった筈なのに、あの憎たらしい笑顔。
最後まであの人のままだった。
「……最初から考えてたんだろうな。裏切った時から、こうなるであろうことを」
「……それで、僕はどうすればいい?」
痒い鼻頭を擦りながら、遼太は訊ねる。それに応えるように『遼太』が鼻に爪を立てる。
「──最初脚と頭は俺が担う。頭以外の上半身は任せる。あいつを出来る限り煽っていく」
「……解った」
頭というのは、脳という意味ではなく、神経系のことだろう。必然的に、喉も牛耳られることになるので、会話等は右腕に委ねることになる。
それを承知の上で応えたのは、目の前が暗いから。
まだ信じきれていていない自分がいるのかも知れないが、この世界を救う狭間、自分の意志が尊重されるかといえば、確実に世界を守るのが定石。土壇場で逃げ出す人間など見たこと無い。
そんなプライドの上に、この信頼があって、初めてこの態度は実現される。
「裏切り者は死んだらしいね」
不意にそんな声が前方から響いてきた。
『遼太』は肩を竦めて意識に語りかけてくる。
『あいつのことだから、恐らくのところ俺と主の意識がごっちゃになる術……っぽいもんを使って来る前提で策を練っていたんだろう。つまり、俺と主が共立していることが奴を倒す上では最も尾重要だ。俺は力を提供させていただけで、こういう身体を動かすのは得意じゃないんだ。右腕の変形機能は一応使えるが、最後の最後、あいつが消滅する前に戻しておかないと、もう右腕が元の形に戻らないからな。その辺、注意しろ』
最後の警告よろしく、直後右腕との意識が遮断されて、視線が自分のものではなくなった。
気付けば目の前にいる。首と肩をだらりと下げ、ライトの様に光った片目をぎょろりと回し──、何かに取り憑かれたフェネクスの姿が。
「ざまぁ見ろ……」
そう短く呟くと、右手を一閃。
舌が勝手に動き音を鳴らす。脚は驚くほど俊敏に動き、その右手の射程範囲外へと身を翻す。
空を切った右腕は、派手な音を立てて地面を穿ち、尚もフェネクスは遼太に追いすがろうと引き抜きつつ走行に身を呈す。
悪魔の腕が伸ばされる。
遼太はその高速で飛来する鈍器を一瞥すると、素早く屈み反撥力で空に舞う。
『頼んだ』
短い言葉が通り過ぎる。
同時に右腕を唸らせ変形をさせる。
幼き日、自分が望んだこの子供じみた演出──今はそれが生命線となっている。
重さに乗じるようにして、変形させた剣を振り翳す。そして、追い立てるようにそれを真下へと向けた。
鉄を切ったような感覚が右腕を駆け巡る。伸ばされた腕は尚も勢いを余らせて、空間を掴んだまま邁進している。
刺さった右腕を支えにするようにして脚をつくと、今度は腕を腕から引き抜きつつ、極太の腕の上を走り始める。
『回る』
その言葉とおり、フェネクスはヘッドスライディン直後のような体勢から、寝返りを打つように腕で弧を描き反対側の地面へとたたきつけようと試みている。
その突然な行動に遼太は危ういところで遠心力で腕に噛り付き、思い切り腕で引っ張り上げ腕の裏側へと移動。
その数瞬後、遼太達が居た面が地面の隙間を構成する砂と同化した。
間一髪の危機回避の成功に安堵するも、休む暇など無い。
すぐに腕が空を切裂く勢いで振りかぶられた。
遼太が反応する間もなく、脚が勝手に動き宙へと跳ね上がる。
『ボケッとすんな! コイツ相当切れてやがる!』
なるほど、真下にあるその顔を覗き込めば、その程を窺うことができた。
あの眼光は憎悪の光なのか。
『二つばかり事象にあいつは切れてる。一つは、奴が最後の最後まで裏切って俺達を再生させたこと、もう一つは主が全面的に俺に協力を認めたからだ。──ぶっちゃけ、拒まれてちゃ俺達はどうにもならんかったからな』
『そんな選択肢いつ出されたっけ?』
『──質問なんてしなくても、嫌なら逃げ出すだろうが。とにかく、あいつは本来の目的──というか、冷静さを失ってる。元々あるとは思ってなかったが、ここまで来ると最早餓鬼が切れたみたいだ。だから、怖くはない。だが、処理に色々面倒が生じる』
いまいちつかみ所の無い回答だったが、重力の支配はやがて訪れる。
再びフェネクスを俯瞰すると──その馬鹿みたいに広い掌が目の前に迫っていた。
『これから更に怒りのボルテージを上げていく。主は黙って休息しておけ。じきにその存在のエネルギーを必要とする』
右腕はそれだけ意識で語りかけると、その掌の上に足裏を叩きつけた後、重力なんてないのではないかと疑いたくなるような軽やかな動きで掌から飛翔する。
上手い具合に肩に着地すると、わざとらしくその側頭部を蹴りつけた。
「よう、どうした、そんなカリカリしやがって。不景気だからって落ち込んでんじゃねえよ」
「……」
フェネクスは拗ねているように首を振ると、もう片方の腕で遼太の体に目掛けて拳を振り下ろしてきた。
遼太は素直にそれを躱すと、地面へと落下していき、受身をとって衝撃を押し殺す。
「不条理な世の中だって、なんかしら我慢しなきゃ始まんねぇんだよ! それが気に入らないからって何ムキになってやがる、餓鬼かお前は!」
「死ね」
再び落ちてきた拳が地面を砕く。遼太は鼻で笑ってそれを避けて、尚も言葉を紡いでいく。
「自分で世界を作る、だ? 何言ってやがる! 世界なんてそう簡単に作れて堪るか! お前が言ってるのは、幼稚園で玩具パクられて愚図ってる餓鬼の言うことと背中が粟立つ位酷似してるんだよっ! 馬鹿だろう、お前!」
「……ふーん」
フェネクスはただ無感情に呟く。だが、その短い意味のない言葉の中にも、あからさまな怒気が感じられる。
「そんじゃぁ、039は永遠に何かに縛られてても、我慢できるわけ?」
「モノによるがな、相当理不尽なもんなら、無理だ」
「……ほら」
「そう愚直に思うな。だがな、それでも自分の世界観を人に押し付け様とは思わない。ぶっちゃけ、俺はお前に謀反したあいつは恐ろしい奴だと思った。だが、あいつは気付いたんだ、多少愚欲が交じっていたようだが、お前との考え方の決定的な齟齬にな──それが、お前が無理に連れ出した部下たちを道具としか見て無かった証拠だ」
「……」
「ほーんッと、お前馬鹿だよなー、偵察なんて置いたら、少なからず共生の考えを享受する奴が現れてもおかしくないってわかるだろうが」
「……」
「裏切り者の登場、俺の復活、全てが気に食わないわけか。子供が。さっきまでの勢いはどうした、あの傷ついて動けなくなった小動物を嬲る様な目つきはどこ行った? ──っつーわけで、俺は本気でお前が憎い。主も同感らしいな。少なからず、今の生活は気に入ってるらしいからな。残念ながら、もう内から攻めるのは無駄だ。というわけだ、お前には灰になってもらう」
「……」
『遼太』がそう言い放つと、フェネクスの眼が嘲笑するように歪んだ。
凛は刃をアスファルトに突き立て、直立した刀の柄を両手で握り締めて身体を支え、疲弊した目を周囲に巡らす。
遼太がフェネクスによって、吹き飛ばされたのを目撃し、その追撃を試みようとしたところ、強靭な蹴りで刀が敷地外に飛んでいってしまったのを回収してきたのだった。刀がなければ凛はただの一般人。そのまま追いかけたとしてもすぐに肉片と化していただろう。
相当遠くまで飛ばされていたために、全力疾走で結構な距離を走る羽目になった。このまま相対するのは危険だが──遼太を放っておくわけにも行かない。
──刀を一キロ以上蹴り飛ばすほどの力量を持った相手に、満身創痍の遼太が敵うとは常識的には考えられないが……、ここは非常識をプラス思考として解釈させてもらうとする。きっと、大丈夫だ。
刃を地面から引き抜き、再び蹌踉しつつ校庭へと向かう。
──と、背後から物音が聞こえる。
凛は疲労により四散した気力を瞬時にかき集めると、柄を片手で握りなおして敏速に振り向いた。
そして、そこに居る人物を見て瞠目する。
「……先輩」
佐慧が漆黒の蔓延る周囲の色に同化する服装で、何かを抱きかかえてそこに立ちすくんでいた。
何故──、と疑問が脳裏を掠めていくが、理由を考えるのは後回し。
凛は小走りに佐慧に駆け寄った。
「ど、どうしたんですか……?」
そのこじんまりとした姿に、凛は不安が胸中に芽生えていることを悟りつつ、そう訊ねる。
すると、佐慧はすっと顔を上げた。
その目は赤く充血しており──その頬には赤い液体の様なものがついている。
「……これ……」
佐慧は消え入りそうな声でそう言うと、一枚の紙を差し出してきた。
凛はそれを受け取ると、生唾を飲んでその紙の内容を読んでいく。文章が進むにつれ、段々と長々と積み上げてきた疑問が解消されていき、それに比例して寂寥が喉にせり上げてくる。
部長からの手紙──遺書とでも言うのだろうか。
自分は人間ではない、という書き出しから始まり、宇宙外という概念の真実、今まで討伐してきたクリーチャーの本質、自分たちの目的、あの悪魔の正体、この今は刀の形を持っている物質、そして──遼太の事。
右腕は義手ではない、だが、<レッド>の憑依により変異した細胞が合体して出来上がった、フェネクスにも引けを取らない存在である、と。
『恐らくこの手紙の内容が理解されているであろう頃には、私はとっくに餌となって最期へと向かっているだろう。──と、こうして書いてみると当たり前のようでしょうがないのだが、一応筋通りなのだろうから、書いておく。最後に、だ。今の佐貫は、恐らく精神体の意識とその肉体を共有している。この状態は所謂、毎晩使用していた『発動』の状態と同じようなものだ。全ての片がついたら、そのことを教えてやり、宇宙内から<レッド>の存在を抹消させてくれ。……残りは少佐の指示に従ってくれ』
名前は無い。ずっと、部長だった。
馬鹿だった。狂気の狭間という面目が適確な、それでいて校内での信用を得ている、在る意味恐ろしい人物だった。
──馬鹿だとしか、言い様が無い、人間だったらその命ですら投げ出す聖人のような尊敬に匹敵する人物。
人……。
凛は手紙から顔を上げて、歪む佐慧の顔を見た。
「……どうしますか?」
「……契約がね……、解除が必要なんだって……」
貰泣きしそうな程、不安定なその声色に、漠然と凛はこの様子の直接的な原因を悟った。
彼女には、<レッド>が憑依していないのだ。願望の実現は、厳しい制限が掛けられているとはいえ、唯一存在する異能の持ち主。
それを選んだのは──。
「解除……?」
「……うん」
凛が訊き返すと、変わらずの返事が返ってくる。
気分が沈むことなんて、人間一生に何度も有る。感情がここまで豊かなのは人間だけだし、学習を深い感情の抑揚の辛さからするのも人間だけ。深い悲しみを乗り越えて、自分を見つけていくのも人間。
「……先輩」
「……?」
「どうしてそこまでしょげてるのか知りませんが……今は前を見てください。部長は先輩に残りを託したんです。それを達成できないなんて言ったら、部長がどんな顔をするかどうか。顔は結局見せてもらえませんでしたが……、とにかく! 今は部長の意志を引き継いでください! 悲しみの余韻に浸るのはその後にしてくださいッ! 部長は先輩のこと……信頼して、この手紙を残したんじゃないんですか……ッ!?」
「…………」
凛はほとんど怒鳴るようにして、言葉を全て吐き尽くす。佐慧は、怒鳴り声に驚いたのか、その言葉に衝き動かされたのか、はたや両方か──目を瞠って目の前の凛の顔を凝視していた。
それから、指を目尻に当てて擦ると、頷いた。
「……ご、ごめんね……ちょっと……待ってて……」
そう言って、佐慧は小さく見える背中を凛に向けて、校舎の後ろへと消えていった。
佐慧はそれから数分で戻ってきた。
その顔は、少しばかり青白いものの、いつもの彼女のそれに戻っていて、凛を安心させる。
「……どういうわけか知らないけど……あのデカイのに、直接的な攻撃をするのが私、その起因をつくるのが凛、──皆を守るのが、遼太」
どこか畏まった、後輩を名前呼び捨てで言うその口調に、凛は目新しさを感じつつ、その作戦に耳を傾かせる。
「……だけど、その前に、契約を解除させるのが最初。あの手紙にもかかれてたと思うけど、凛のその剣には、精神体が閉じ込められてるんだけど、色々面倒な契約に縛られてるのん。詳細を話す時間はないから省くけど──、その契約の一部を解除して、持ち主とその精神体の力を最大限まで発揮できるコードがあるのん」
「……コード?」
コードといえば、遼太の肉体強化状態を解除するコードが凛の声だとかなんとか言っていたが、結局使った覚えが無い。いや、昨日の晩に一回言ったか──。
「……契約はそのまま最終段階に向かうから、普段はそのコードは使えないんだけど、今日は最後だし、最初からこの前提での契約だから、ここで解放させてあげて。……コードは口の中で呟いてねん」
「……了解しました」
凛が頷くと、佐慧はうっすらと笑ってみせる。
「肉声コードは、『世界の融合』」
世界の融合。
全ては──何処から始まったのだろうか。誰の目論見から、このような事態が発生し出したのだろうか。
どんな存在が、この様な事件を──二億という気が遠くなるほどの時間を股にかけて……?
それが神の仕業であるのならば、凛は金輪際神は拝まない。
口の中で呟いた言葉が、妙に透き通って聞こえた。
三月三日までには、絶対に完結します。意外と近いことです。
色々自粛していますが……ここまできついのは受験勉強以上かも知れません……。




