遁走の果てまで
「誰?」
その轟音の方向を見て、遼太が訊ねると、凛はとある名前を口にした。その名前を聞いて──遼太は、全て納得する。全てといはいっても、遼太が理解していることは少ないが。
「竹中……?」
「……もしかして忘れてた?」
瓦礫が落下し、立てる音に慄き、遼太は顔を歪めた。凛はそんな遼太に呆れるように溜息をつく。
「たった二日休んでただけなのに……実質あなたの命の恩人なのに……?」
「わ、忘れてないから……、そう簡単に忘れられる人じゃないし」
「そう?」
慌てて言い繕う遼太に、凛は疑惑の視線を向ける。
そんな二人を岩が落ちる轟音が隔てた。
「た、助けに行かなくていいの?」
ここぞとばかりに遼太は訴える。すると凛はついと視線を逸らした。
「……残念だけど、私達にはどうにもならないの」
「……ん」
どことなくその瞳には、しょんぼりとした落胆の色が浮かんでいるような気がして、遼太も意気消沈する。
凛の攻撃はどうなのか分からないが、遼太の攻撃は一切受け付けなかった。この口ぶりから、凛の攻撃のほとんども効かないのだろう。
「前に部長様から聞いたんだけど、無機物の攻撃を受け付けない奴が居るらしくって。そんで、『あれ』が噂のそれらしいんだよね……」
「無機物……の攻撃?」
「そう。私の剣だって、鉄とかそういうのでできてるから、もちろん効かないし……あなたの腕の攻撃だって全部効かなかったんでしょ?」
「……うん」
凛の質問に、遼太は視線を伏せて腕を見やって答える。そんな反則な存在が在るとは……。
「でも、竹中君は別。ほら、人間の体って身も蓋も無く言っちゃえば、炭素が含まれてるでしょ? 合気道とか空手とか、そういうのが彼、主戦力だから、すんごい効くわけ」
なるほど。さっきからの咆哮やら地響きやらは、効果覿面だということを示唆していたわけか。
やがて凛は、半身だけ起こした遼太を置いてきぼりにするように立ち上がると、周囲を見渡した。
「さっき警備員の人は追い返しておいたから、もう朝までならどれだけ戦ってても問題ないよ。部長様も少佐も呼んである」
「え……でも、僕達何もできないんじゃ……」
地割れでも起きたかの様に、無駄な音エネルギーを受け取りつつ言うと、凛は遼太の顔を凝視してきた。夜風が冷たい。それだけにその凛の瞳は暖かく、安心感が彷彿してくる。
「……だからって、黙ってられないでしょ? 相性は抜群って言ったって、かなり今回の相手は手ごわい、分かってる? 昨日の芋虫なんかとは天地の差があるのに」
「……じゃあ、どうする?」
小さくなる遼太に、凛は眉根を寄せた。
「……有機物が無機物になっているとき……、つまり、燃焼中なら効果は抜群……って言ってた様な気がする。知らないんだって、そういうこと。地球に来て間もないから」
「……燃焼中?」
「ライターとかマッチとかのしょぼい炎じゃ、電気マッサージ程度にしかならないかな。もっと、こう、打ち上げ花火を打ち上げるときみたいな爆発力が欲しい」
「打ち上げ花火の破裂したときの爆発力じゃないのか……」
「……いいの! そんなことは! とにかく、そんなような心当たりない?」
心当たりを問われて、遼太は首を傾げる。……生憎と、腕の変化の種類の中にバーナーなんてものは無いし、ダイナマイトを量産できるような便利な機能も持ち合わせていない。そんな考えが浮かぶごとに、腕が呆れるようにしおれるのが分かる。
──腕が駄目なら、やっぱりアレかなぁ……。
「……どうしたの?」
凛が目を瞬かせて、遼太を覗き込んだ。その顔を真っ直ぐ見据えて、遼太は言った。
「先輩来るっていったっけ?」
「うん? 少佐のこと? ──うん、来るって言ってたけど」
──どのみち、腕がダイナマイトを作れようが、花火打ち上げ機の代用になろうが、彼女の協力は必要不可欠だったのだが。
熱波はフェイク。疲弊しているのか、実質範囲内に居た水を含む物質が高温になるのは、刹那だけだ。刹那だけなら、大して温度も上がらない。
相手もそれを理解しているのか、牽制として熱波を使ってくることは無かった。──あいつが、体力を削ってくれていたのは僥倖だったのかもしれない。遼太とは顔を合わせていないが、凛によれば相当頑張っていたらしい。後で奢ってやっても良いか。借りた恩が多すぎる。
祥吾は撓る『それ』の右腕を易々と躱すばかりか、そのまま引っかく右腕に乗った。空を切った腕が制止した一瞬を衝いて祥吾は腕を蹴り、すぐ目の前にある頭部に跳ぶと、力が有り余る拳をぶち当てた。
頬が凹み、眼窩から黒い液体を散らし、首を反らす。
勢いがなくならないうちに、その反った首にしがみつくと、頭突きを頸にかました。
これはかなり効いたらしく、『それ』は激しく身を捩る。煽られる前に祥吾は地面へとダイブ、受身を取って衝撃を殺した。
かなり硬かった。眩暈がする。
「竹中君!」
そこで見計らったかのように、凛の声がした。こめかみを抑えて振り向くと、本人が居た。
「お前、危ないから下がってろって──」
「あいつのこと、吹っ飛ばせる?」
なんの脈略も無く、叫んでくる。焦っているのか。
「吹っ飛ばす? もっと具体的に頼む!」
「……花火を打ち上げる大砲から撃ったみたいに、飛んだりする!?」
「……はぁ、花火?」
「とにかく! 『あれ』を地面に平行に飛ばせる!?」
祥吾は凛の叫ぶ言葉に混乱させられつつも、苦悶している『それ』を一瞥すると、難しい顔で首を振った。
「無理だな……」
「……おっけ。そんじゃ、あいつをサッカーコートんとこまで連れてっておいて! その後は、合図するから。そしたら、逃げて! それと! この校舎は絶ッ対に壊させないで!」
「はぁ……!? ちょっと待てっ! ……行っちまった」
凛が校舎の陰に消えると同時に、持ち直した『それ』が突進を仕掛けてきた。祥吾の背後には管理棟=凛曰く破壊を許さない建造物。早速校舎存命の危機である。
──しかし、跳び蹴りをかましたところで軌道修正が精一杯だろうし、跳び蹴りが今のところ祥吾の持ち合わせている最高級の技である。いわゆる、万事休す。
少し分は悪いが、直接的な停止を狙うとする。跳び蹴りも十分物理的な妨害法だが。
祥吾は思い切り踵を返すと、校舎の壁に向けて駆け、その壁の一メートルほど前で地面を蹴った。
そのまま、上手く最小限に衝撃を抑えつつ壁に手を添えると、コンマ数秒で遅れて壁に張り付いた脚を跳ね上げた。バネの要領で祥吾の体が弾け飛ぶ。
高さは作らない。やはり、足止めはその名の通り、足を狙うに限る。
『それ』の巨体を視界に捉えた瞬間、祥吾は足を突き出した。空気を擦る勢いで突き出された脚は、欠片の躊躇も無く『それ』の丸太足に叩きつけられ、『それ』の巨体を揺るがせた。
そして、転んだ。
祥吾の体数センチ上を跳び越えて、自制を失った『それ』は止めるすべなく地面を滑っていく。校舎に向かって。賭けというのは、こちらの方だ。転ばせるのは難儀ではない。その後の、制動距離が問題なのだ。
祥吾は祈る気持ちで『それ』の尻尾を見る。
派手に砂埃を舞いたてながら、『それ』の体は屈託なく滑っていく。すぐさま走り出してその不精な尻尾を引っ張って止めたかったが、生憎とそこまで機転は利かない。
そんな祥吾を尻目に、『それ』は腹を転がしていく。
校舎の五メートルほど前で、『それ』の体が捩れた。そのまま、仰向けになるように転倒する。
──そして、校舎の数十センチ付近でその体は停まった。
祥吾は胸を撫で下ろし、飛び蹴りのまま横たわっていた身体を起こす。
<レッド>に言葉がわかるかは分からないが、凛とのやりとりは聞かれていなかった……と思いたい。もし聞いていなかったのであれば、このまま愚直に祥吾へ攻撃を続けるだろう。それならば、背後にある校舎などに攻撃が及ぶはずが無い。
と、思ったのも刹那。
仰向けになった『それ』は四つんばいの生物として当然の起き方をした。即ち、肢体をばたつかせて勢いをつけて、その勢いを利用して立ち上がろうと試みるものである。
あれだけの巨大な生物が、そんな起き上がり方を実践しようものであるのならば。
思い切り振りかぶった脚が校舎の壁に激突した。丸太脚の前では、強固なコンクリートの壁もさながら焼く前の粘土である。
更に悪いことに、起き上がったと思ったら、身体を預けたのは校舎側だった。お陰で跳ね上げられた翼が校舎に衝突。瓦礫が四散する。
「くそっ……」
祥吾は悪態を吐いて、地面を蹴った。
校舎に抉り込むように佇む『それ』は祥吾を一瞥すると、──熱波を放った。正確には熱波ではなく、空気を振動させた摩擦で熱を起こしているだけなのだが、それが引き金となった。一瞬で十分だった。
ガスタンクが破裂したような轟音。弾け飛ぶ校舎の壁。しかも、瓦解した壁を中心に窓ガラスが四散し、壁が飛礫となって地面に落ちていく。
──そして、校舎は上段の自重で崩れていった。『それ』がその土石流に巻き込まれたのは僥倖だったが、そんなのあまり関係ない。あくまで無機物による攻撃は通用しないのだ。
砂埃が目に入らぬように、目を眇めて校舎を見上げると、どうやら崩れ落ちたのは校舎の一部だけらしい。まだ半分以上の歩行できる形を留めている屋上がある。及第点だろう。
「ん……?」
それでも危険極まり無い屋上に、人影が見えたような気がした。
見間違えかと思ったが──違う。確実に居るようだ。見間違いとも思える服装をしているのだ。
黒コートに身を包んだ、遼太と凛だ。
祥吾に背中を向けて、一心不乱にどこかを目指しているようである。
「……なるほどな……」
そこで彼らの目論見を把握した。
奴の論が正しければ、必中の一撃必殺となり得るだろう、その策を。
<レッド>は、義手を執拗に追いかける。
その説が正しいことは、徹底的に何度も説明されていた。例が少なく、全てそうなのかと問われれば、首を傾げるほか無いが、少なくともあのドラゴンタイプの<レッド>はそれに当て嵌まる。凛曰く、遼太を『あれ』の前から連れ去るのに、相当難儀したらしい。
「現状、奴の視界は狭い」
凛に支えられた右腕が唸る。
「その上、眼下に敵が居るとなると、尚更上への注意は温くなる」
そう言った直後に、背後の地面が崩れ出したのだから、油断は出来ない。遼太は背筋を凍らせて校庭を見やった。祥吾が佇んで、この校舎の一階を見やっている。
「……本当に大丈夫なの?」
ボロ雑巾さながらの遼太を運ぶ凛が問い掛けてきた。
「──そこまでたどり着けば、こいつが何とかしてくれると思う」
「……そ」
遼太曰く『そいつ』が再び唸った。
『あれ』にも祥吾にも気付かれず、屋上に転移することができたのは、他でもないこの義手のお陰である。『発動』を解除した方が、作戦的なコマンドが増えるのだ。
端的に言ってしまえば、瞬間移動というものである。
「発動後、八十時間以内の再使用は不可」
という、制限付きだが。そんな熟考する余裕もなかったので、即断で使用を要求して、此処に至った次第である。
「──やっぱり、校舎を壊しちゃ駄目っていうの、無茶だったかな……」
凛が背後の瓦解した屋上を見やって、そう呟く。
「……どうだろう。ついでの要求としては適切だったんじゃない?」
「……」
要求三分以内にこれである。確かに不安を感じるのに無理は無いだろう。
力なく垂れ下がっている遼太の体は、少なくとも全快時より重いのに、凛は苦もなく運んでいるように見える。とはいっても、担いでいるというよりは、肩を貸しているような形なので、凛の力が全てではないが、それにしてもテンポが速い。
サッカーコートが見えてきたところで、先ほど瓦解した校舎の瓦礫が爆発した。埋まっていた『それ』が瓦礫を押し退けたらしい。瓦礫は飛礫となって、八方に散っていく。
その一部が、遼太達に牙を向ける。
真横に、『それ』の頭大の瓦礫が落ちてきた。耳が割れそうな、岩の割れる甲高い音。
「危な……っ」
凛がそれを見て、顔を強張らせる。もちろん、災害は現在進行形で続く。今、回避したからといって、今後千載命中しないとも限らない。
雨の如く、大きな岩石(元は壁だが)が屋上に降り注ぐ。先が尖ったものは床に突き刺さり、大きいものは鈍い音を撒き散らし床に罅を作ってその場に鎮座する。そんなとんでもないドラマが、周囲十メートル以内で頻発しているのだ。
「後ろ!」
「分かってる!」
遼太が叫ぶと、凛は即答して、遼太を引き摺るように横に跳んだ。そして数瞬後、遼太の頭があった位置に、巨大な岩が突っ込んでいった。
凛はそれを見て安堵する。遼太も一瞬体の痛みも忘れていた。しかし、そんな安寧の時はつかの間。
「っ!」
すぐ近くで嫌な音がした。轟音とともに。
その音の直後、左腕の感覚が無くなった。肩に掛かる激痛とともに。
添付物とともに、異常を感じて左腕を見ると、大男並の大きさを持った岩が横たわった遼太の左腕を潰していた。
「だ、大丈夫っ!?」
凛が悲鳴に近い声を上げて、駆け寄るとその岩を蹴飛ばす。
蹴飛ばされた岩は、あっけないほどに倒れて遼太の腕から退くと、屋上を転がっていった。
「…………っ」
潰された腕は、見るからにぐしゃぐしゃになっていた。
皮膚は裂かれて筋肉が露見しているのはまだよく、悪い部分だと筋肉さえもが剥がれ骨が露わになっている部分もあった。出血量など、常人が一生に見る血量を凌駕しているだろう。
凛は顔面蒼白になって、その腕を観察した。
「だ、大丈夫……」
「──駄目っぽいね」
しかし、そんな凛とは打って変わって、遼太のその声は素っ気無く、まるで他人事のようだった。
その遼太の言葉を、諦念の言葉と受け取ったのか、凛は絶句して遼太の顔を見た。
「……そ、そんな駄目って……」
「ち、違っ……だ、だ、大丈夫だって! こんくらい! あ、あれを倒せれば、もう全部片がつく!」
悲痛な顔をする凛に、遼太は慌てて言い繕う。
「こ、ここは危ないから! 早く行こ!」
「……う、うん」
こんな状況にもなれているのか、凛は頷くと立ち上がって、遼太の腕──無論、右腕を取って立ち上がらせ、再び屋上を走り出した。
──遼太は先ほど居た場所を見やりながら、胸が潰れそうになるほどの焦燥を感じていた。凛は遼太の腕に夢中で、気付かなかったようだ。
凛が蹴飛ばした岩は、フェンスを突き破って下に落ちていたのだ。そして、その後に、凄まじい咆哮も聞こえていた……。
本来なら、このドラゴンも今回で終わる筈だったんですが、予想以上に出来事が膨らんでしまいました。
……プロット上だと、このシーンの指定も一行なんですが。芋虫と同様の泥沼に入り込んだらしいです。
……今月中に終わるのかな、これ……。
本日公立高校前期試験二日目だった作者でした。




