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夢と人と星空と

 酷使し尽くした左脚はほとんど機能を失い、本当に棒のようになってしまった。だが、そのことに気がついたのは、宙を舞い始めてから。もう、ほとんどそんなことは関係ない。どんな結果になるにしろ、この戦いの片はこれでつく。

 重力に捕らわた体はやがて重力に捕らわれ上昇力を失う。予測通りだ。

 そのまま手を伸ばし──『それ』の背中に飛び乗った。岩肌の様にごつごつとした手触りが触れた部分に浸透する。上手く載れたようだった。

 首を上げて『それ』の様態を窺うと、首を目まぐるしく動かしていた。どうやら、遼太が背中に乗っていることに気付いていないようだ。……意外だったが、気付いていないのであれば、無理に気付かせる必要も無いだろう。

 とはいっても、既に両脚には限界が訪れていた。気付かれるのも時間の問題。結局のところ、チャンスは一回しかないのだ。

 遼太は背中の外皮をきつく握り締めると、深く息を吸い込んで──、再び跳んだ。今度は脚力ではなく、腕力で跳んだ。──いくら身体強化しているとはいえ、腕だけで身体を跳ばすのには、相当の負担が掛かる。こちらも限界といったところか。

 軌道の修正が利かない世界で、遼太は身の線に沿って伸ばされた腕を無理矢理前方に伸ばすと、新たなる足がかりを求め、そして。

 大きな衝撃が遼太の身体を襲った。

 頭蓋が気持ち悪くなるほど振動し、内臓も容赦なく揺るがされる。

 その衝撃の数瞬の後、遼太は自分が目標としていた場所にたどり着いたことを悟った。

 景色がドラマのカメラワークの様に、目まぐるしく客観的に回転している。そして、その激動にあわせて体に圧力が掛かる。

 今、遼太が腹ばいになって乗っているのは、『それ』の頭部。

 流石にここまできたら『それ』も遼太の存在に気付いたらしく、抵抗するように首を振り回す。脳が飛び出しそうになるほどの圧力が、四方から襲ってくる。

 それでも遼太は最後の意地を見せて、頭頂部までよじ登ると、その外皮を撫でて眼窩を探し始めた。

 『それ』は火が体についたかのように暴れると、やがて頭を思い切り地面に叩きつけた。

 遼太はその衝撃に頭から弾き飛ばされそうになるが、どうにか持ちこたえ、ひたすら頭を撫で回す。

 全身が油を注いだかの様に熱い。それに比例し内部からエネルギーが抽出されるように、どんどん体が重くなっていく。腕も義手の本来の重さを思い出したかの様に、動かすのもだるくなっていく。

 何故、自分はここまで頑張っているんだろうか。

 いきなり襲われたかと思ったら、変なところに拉致されて、妙な怪物退治に付き合わされて、毎晩命を晒して……何も報われない。報酬など何も無い。

 そんな利害も何も存在しない中で、ひたすら存在しないものと戦っている。

 何故?

 『それ』の頭が跳ね上がり、顎に思い切りぶつかった。岩で殴られたのと同じ鈍い痛みが、水に溶かした塩の様にさっと顔全体に広がる。視界が歪む。

 そんな満身創痍の最中、指が何かに引っ掛かった。外皮の凸凹とは違う、明らかに何か特殊な粘膜が張っている、重要な部分だ──。

 遼太は一瞬の躊躇いも見せずに左手で頭頂部を抑えると、思い切り身体を押し上げた。そして、右手を限界まで伸ばして、その眼窩のなかに指を押し込んだ。

 『それ』が甲高い咆哮を上げる。

 遼太はそれをも無視。取り憑かれるかのように、腕を振るって眼窩に指をねじ込む。

 義手の指の腹が、網膜に触れると、遼太は爪を立ててその網膜を引っかき、抉った。その奥に転がっていると思しき視神経の群れをおもむろに握り締めると──引っこ抜いた。

 言葉では形容できない、地球の悲鳴の様な音が轟いた。重力に束縛された遼太が『それ』が発した鳴き声だということに気付くまでには、少し時間を要した。

 背中が地面に衝突する。ほぼ平行で着地したために、その衝撃は相当なものとなって全身を駆け巡り、その苦痛に遼太は堰込む。

 だが、そんな苦痛を遥かに凌駕する激痛に打ちひしがれているのは、他でもない『それ』だった。

 目から石油の様に黒い液体を噴出し、その場をぐるぐるとあても無く彷徨している。この世のものとは思えぬ咆哮を上げながら。

「──うわっ!」

 遼太は『それ』の醜態を確認すると、手に不快感を覚え思い切り振った。

 指から跳んだそれは、弧を描きペチャッと地面に不時着する。そして、そこを中心に黒い池が溜まり始めた。

 精緻な神経の集まっていると思しき、細い管の集合体だった。初めて遭遇した<レッド>の胴体を彷彿させるそれは、中途半端なところから管が伸び、その管は荒々しく引きちぎられている。

 その集合体の中に、掌大の目玉があった。中枢を削ぎ取られ、指令と生命を受け取れなくなったそれは、死を湛えていて開いた瞳孔を遼太に向けている。

 遼太はそれを踏み潰そうと立ち上がろうとして……、自分の体が限界なのに気付き、項垂れるように地面に足をつく。

 それと同時に『それ』の咆哮が徐々に収まってきた。黒い血液の逆流も収まっていく。

 そして──、ゆっくりと首を傾けると、黒い涙を流しているようにも見える薄暗い眼窩で遼太を見据えた。

 片方の眼窩の奥に目玉が一つ入っていた。となると、『それ』を見る限りは必然的にもう一つの眼窩にも目玉が。否、『これ』のことだから、もっとあるかもしれない。

 結果的には、賭けも何も、物理的に既に遼太の負けが決まっていのだ。

 こんなボロボロの状態で、そう幾つも眼球を抉り出すことが出来る筈がない。

 唇を噛み締めると、口の中に鉄の味が染みてきた。手をついた地面の冷たさが、どんな誹謗よりも酷薄に思える。

 俄然吹っ切れたように、『それ』が襲い掛かってきた。

 もはや完全に物理的常識を逸脱した瞬発力であっという間に間を詰められたかと思ったら、丸太の様な足で腹を思い切り蹴られる。

 口から蛙の鳴き声の様なひしゃげた音が漏れ、なす(すべ)もなく空を裂き、管理棟の壁に背中を叩きつけられた。地面に落ちると同時、口から血塊が漏れる。

 皮の内部から何かが飛び出してきそうなほど、全身が熱い。視界がチラつく。

 そして、思考が安定しない。

 蹴られた拍子に、何かが漏れてきた。檻から放たれた大量のネズミの様に、不快な感情が流れ込んできたのだ。

 悔恨、嫉妬、憎悪、嫌忌──負の感情が嵐の様に脳内を吹き乱れ奔流している。

 これが、『あれ』の感情なのか? <レッド>は感情を懐くのか? 先ほどの笑みはこれへの布石だったのか……?

 混沌が視界を飲み込み、混乱が脳内を牛耳り、混迷が肉体に多大な負担をかける。要らない考えが浮かんでは消え、理解できない情報が水蒸気の如く噴出し焦燥を煽ってくる。

 ──そんな錯雑の果て、忽然と視界が明瞭になった。

 そこに映るのは、生命を絶望の淵へと誘う、最期の光景。

 憤怒の形相でこちらに突進してくる『それ』の姿が。

 悲鳴も上げられなかった。体も全く動かなかった。

 なんか死刑囚みたいだな……と、遼太は危篤にある意識の中で苦笑いした。

 こうも死なんてものは、簡単なものなんだ。



 もし、誰かが嘘をついていたとしたら。

 もし、誰かが嘘で固めた鎧を着込んで何気なく毎日を過ごしていたら。

 もし、そのままその嘘が本当のことだと思い込んでいったら。

 僕の中の世界は長さと高さだけでは縛り切れなくなる。

 宇宙の時間は恒久ではない。ただ、長すぎるが故に恒久と勘違いされる。

 万事に限りはある。

 宇宙が何だか僕には分からないが、もしそれが嘘だったとしたら。どこかで僕たちのことを俯瞰しているモノの気まぐれの嘘だったとしたら。

 懐疑すればするほど、疑懼は深い溝を構築していく。

 昔の僕はもっと単純だった。

 目に入るもの耳にするもの触るもの舌に触れるもの全てが正しいと愚直に信じ込んで、ただ前だけを見て時間のされるがままにされてきた。一切の存在意義を疑わず、流されていけば何か意義のある場所にたどり着く、と考えて。

 それを嘘だと教えてくれたのが、<それ>だった。

 世界とはなにか、宇宙とは何か、今ここに僕たちがいるのはどうしてなのか。

 全て教えてくれた。

 そして、その全てが架空のものだ、とも。

 そして、<それ>が僕をここに呼び込んだ。否、産み落とした。

 嘘が蔓延り恒常化する世界から、正悪がはっきりとした清潔な世界へと転生した。

 そして、悟った。

 嘘じゃない世界なんて存在しない、と。

 ──嘘だったんだ。全部。

 でも<それ>はそんな僕に、救いの手を差し伸べてくれた。

『嘘が嫌いなら、正しい世界を作ってしまえばいい……』

 これこそ神の詔だ、と僕は思った。

『新しい、清く正しい真っ直ぐな、お前だけの世界』

 そうして、僕の世界作りが始まった。

 最初は順調だった。

 それでも、いつの世だって、邪魔者は居る。意見の食い違いとかいう、些細な理由で、大きな計画が破綻することだって、頻繁にある。

 裏切り者の存在を軽視していた僕だったが、いきなり謀反を喰らうとは思わなかった。

 人間の世界に置いておいた偵察役だった<レッド>が、いきなり僕との疎通を遮断すると、姿をくらましたのだ。

 それから一気に部下達が減っていった。

 おかしい。人間が彼らに太刀打ちできる筈などない。

 そして、気がついた。『力』を得てしまった者が居るのだ。人間の中に。そしてその人間たちはご丁寧にも、部下殺しに身を呈しているのだ。

 こちらとしても、人間の顰蹙を買うのは御免だったので、極力人間に暴力を振るうことは避けてきた。

 それでも状況は変わった。あちらが牙を剥くつもりならば、こちらだって剣を構えてもいいではないか、と。

 あれから大分経ったが、彼らは大したことはなかった。ちょいと力を出せば、あっというまに天に召すことができるだろう。

 最終段階。新世界の融合は、近い。



 暗澹とした、自我の無い視界を塗り潰す漆黒が支配する狭間。漠然とそこに意識があることを黙認している。

 それが突如、震撼しだした。酷い揺れだ。

「──っ!」

 誰かの悲痛な声が聞こえる。全身が釜にくべられているように熱い。

 そして──遼太は覚醒した。

 前の様に半身を跳ね上げる気力も無く、ただゆっくりと瞼を開く。

 満天の星空──と表現するのにその星の数は足りないが、汚れた夜空が目に映りこんでくる。……夢を見ていたようだ。

 それを何かが視界を遮った。

「だ、大丈夫っ?」

 全くをもって大丈夫じゃない。満身創痍だ。内臓の一つくらい潰れていてもおかしくないだろう。

 ──とはいっても、そんなでたらめに不安を煽る言葉など言えるはずが無い。

 何故かここに居る凛には。

 彼女に嘘をついてこんな怪我を負ったのだ。そんな経緯を持った上で、そんなことを言うのは無粋すぎる。無責任にも程がある。

 遼太は凛を押し退けるようによろよろと半身を起こすと、身体を捩って両手を地面についた。

 そして、目の前にある地面に向けて溜飲を吐き出した。血が混じった胃酸やらがアスファルトの地面に叩きつけられる。全てを吐き出して、ようやく喉が開通する。

 それから、凛の方に向き直すように、身体を戻した。いちいち体を動かすのがだるい。気絶したからか、腕の『発動』は解除されてしまったらしい。

「な、なんでここに……?」

 気持ち悪さに涙目になりつつも、そう訊ねる。遼太としては、当然の疑問だったのだが──それを聞いた凛の顔が強張った。

「何でって……本当にそう思うわけ?」

「──え?」

 抑揚が無いだけに少しばかり怒気が感じられる。

 遼太が絶句していると、凛は痺れを切らしたように腕を伸ばし遼太の両肩を鷲づかみにした。

「あんな嘘で! 私を騙せたと思ったの!」

 そして、ガタガタと身体を揺らしてくる。──感じた怒気は実在したと裏付けられた瞬間だった。

「えええ……っ?」

 体内で折れた骨が滅茶苦茶に揺るがされ、それでも痛覚はとっくに効果は失っているのか痛みはなく、体内で蛭が暴れまわっているような不快感が全身に蔓延る。

 だが、そんなことが気にならないほど、凛の顔は悲痛なものだった。

「あんな騙す気も無さそうな嘘ついてまで……っ! 何でボロボロになってくるの! あんたマゾなのっ!?」

 ──全く労わりの無い言葉。しかし、その貧弱さゆえ、遼太に対する配慮の大きさが分かる。

 もちろん、絶叫マシンの数千倍の危険とスリルの最中にある遼太にそんなことが気付けるはずも無く。

「あぁああ……吐く……」

「ちょっと! 吐くなら私のいないところで吐いて! もう二度とそんな汚物見せないで!」

 顔面蒼白になって呻く遼太を、凛は悲鳴を上げて突き放す。

 ──もちろん、そんな凛の痛切な要求に応えられるはずも無く(直接的な原因を作ったのは凛だが)、遼太はその場で血塊を吐き出した。更にとどまらず、肺が飛び出しそうになるまで、咳き込む。

 流石にその様態を見せ付けられた凛もようやく自分のしたことを省みて、慌てて遼太に近寄った。

「ご、ごめん……つ、つい……」

 遼太は死ぬ思いで肺を鎮めると、凛の顔を見上げた。

 下手したら、もう二度と拝めなくなっていたかもしれない、その清楚な表情。固く歪んだ口にハの字に傾いた眉に、今にも死にそうな小動物を見るような目──、今の状況で言うと、その小動物は遼太なのだが。

 ようやく直視できて、更にようやくそれを実感した。

「生きてる……」

 言葉を発すると喉が焼けるように痛い──実際に焼けているだろうが。

 それを聞いて安堵したのか、凛は口元を緩めて言った。

「……生きてるんじゃなくて、私達が助けたの」

「助けた……あ、ありがと……」

 建前は見事にバレていた。なら、別に助けてくれたことに不思議はないが……。

「ん」

「うん?」

 気がつくと、凛の顔が不機嫌になっていた。

「……他に何か言うことは?」

「あ……う、ごめん……」

「よろしい」

 また表情を戻す。

「こっちだって早く助けてあげたかったんだからね。でも、気付いたときにはもうやり始めてたみたいだし、警備員の足止めだって大変で……」

 ──なるほど、確かにあれほどの咆哮が轟いて、少ししか離れていない凛が気付かない筈が無い。明らかに時間が経ったのに、人がこなかったのも凛のお陰か。

「彼が居なかったらどうなってたことか……」

 ひとしきり納得したところで、凛が呟いたのを遼太は聞き逃さなかった。

「彼?」

「うん、間に合ったみたい」

 それと同時に、どこからか爆音が響いてきた。<レッド>の咆哮の様なものも聞こえる。

「相性は抜群みたい」




いよいよ作者も忘れていたあの人が帰ってきます^^;

最期のシーンが内定したんで、もうラストに向かって一直線です。

ニ月中に完結する予定なので、最期までお付き合いできればと思います……って何か毎回同じこと言ってるな……。

えぇと、それでは。

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