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黒焔に咲く薄桜  作者: 日ノ澤しの
第一章 黒焔の婚約者

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第八話 禍の気配



第八話です。


今回は、澪が初めて東雲家の”役目”へ触れていきます。




 東雲家へ来てから数日。


 澪はまだ、この屋敷の静けさに慣れきれていなかった。


 誰かの機嫌を窺わなくていい。


 足音に怯えなくていい。


 それなのに、ふとした瞬間に胸がざわつく。


 まるで、”安心すること”に身体が慣れていないみたいだった。


「……変なの」


 庭先で小さく呟く。


 薄曇りの空。


 風に揺れる藤の花。


 今日は朔夜が朝から鎮守局へ向かっていた。


 ”禍”が出たらしい。


 東雲家の役目は、禍を祓うこと。


 黒焔はそのための力。


 そう榊から聞いた。


「澪様」


 後ろから声がする。


 振り返ると、榊が軽く頭を下げた。


「お時間よろしいでしょうか」


「は、はい」


「少し、こちらへ」


 澪は不思議に思いながら後をついていく。


 案内されたのは、本邸の奥にある古い蔵だった。


 黒い札が何枚も貼られている。


 空気が重い。


 澪は無意識に胸元を押さえた。


「……ここは?」


「東雲家が回収した呪具や術具を保管している場所です」


 榊は静かに答える。


「禍に関わるものも多いので、普段は厳重に封じています」


 澪はそっと周囲を見回した。


 薄暗い蔵の中には、古い箱や巻物が並んでいる。


 その中の一つを見た瞬間。


 ぞわり、と背筋が震えた。


「……っ」


 澪は反射的に後退る。


 古びた人形。


 黒ずんだ髪。


 ひび割れた顔。


 それを見た瞬間、胸の奥がざわついた。


「榊様、これ……」


「触れないでください」


 榊の声が少し鋭くなる。


「それは昨日回収された呪具です。人の負の感情を吸って禍へ変える類のものらしく」


 その時だった。


 人形の周囲から黒い靄が漏れ出す。


 澪は息を呑んだ。


 靄はまるで生き物みたいに蠢き、空気を濁らせる。


 息苦しい。


 胸が重い。


 頭の奥で、誰かの声が聞こえた気がした。


『いや』


『苦しい』


『返して』


 澪の顔色が青ざめる。


 榊が眉を寄せた。


「澪様?」


 その瞬間。


 ふわり、と。


 薄桜色の花弁が舞った。


 澪の周囲へ結界が広がる。


 淡い光。


 静かな温もり。


 すると黒い靄がびくりと震えた。


 まるで怯えるように。


「……え?」


 榊が目を見開く。


 黒い靄は次第に薄れ、やがて完全に消えた。


 蔵の空気が軽くなる。


 澪は呆然と自分の手を見下ろした。


「私……何を……」


「今のは、澪様の術ですか」


「わ、分かりません……!」


 澪は困ったように首を振る。


「怖くて、苦しくて……どうにかしなきゃって思ったら……」


 榊はしばらく黙っていた。


 それから静かに息を吐く。


「やはり」


「え?」


「朔夜様の勘は正しかったようですね」


 澪が戸惑っていると、不意に蔵の入り口が開いた。


 低い足音。


 振り返った澪は目を見開く。


「東雲様……」


 朔夜が立っていた。


 黒い外套には、わずかに煤が付いている。


 討伐帰りなのだろう。


 紫紺の瞳が、澪を静かに見つめる。


「何をした」


 榊が簡潔に説明する。


 呪具。


 漏れた禍。


 そして、澪の結界。


 話を聞き終えた朔夜は、黒ずんだ人形へ視線を向けた。


「普通なら、触れた術師ごと浸食される」


「すみません……勝手に」


「違う」


 朔夜は即座に否定した。


「お前は抑えた」


 低い声。


 けれどそこには、確かな驚きが混じっていた。


 朔夜はゆっくり澪へ近づく。


「気分は悪いか」


「だ、大丈夫です……」


 本当は少し眩暈がした。


 けれど迷惑をかけたくなかった。


 すると朔夜の眉が僅かに寄る。


「無理をするな」


 その瞬間。


 澪の胸が、少しだけ苦しくなった。


 優しくされることに慣れていない。


 だから、どうしていいか分からない。


 朔夜はそんな澪を見つめた後、人形へ黒焔を向ける。


 一瞬で呪具が焼き尽くされた。


 黒い灰だけが残る。


 澪は思わずその横顔を見つめた。


 恐ろしいと噂される黒焔。


 けれど今の炎は、不思議と怖くなかった。





第八話を読んでくださり、ありがとうございました。


今回は、澪が初めて”禍”へ直接触れる回でした。

少しずつ、澪の力の特異さも見え始めています。


次話では、朔夜の仕事や”黒焔”についてさらに描かれていきます。


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