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黒焔に咲く薄桜  作者: 日ノ澤しの
第一章 黒焔の婚約者

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第九話 帰りを待つ灯



第九話です。


今回は、朔夜が背負う”黒焔”の役目と、その孤独へ澪が少し触れていきます。




 東雲家へ来てから、一週間ほどが過ぎていた。


 広い屋敷にも少しずつ慣れ始めた頃だったが、澪は未だに落ち着かない時がある。


 誰かに怯えなくていい。


 失敗を必要以上に責められない。


 それが当たり前ではない人生を、ずっと送ってきたからだ。


 だから時折、今の穏やかさが夢のように思える。


「……静か」


 縁側へ腰を下ろし、澪は庭を見つめた。


 風に揺れる藤。


 池に映る空。


 東雲家の庭は不思議と心が落ち着く。


 九条家では、庭を見る余裕などなかった。


 その時だった。


 廊下の向こうが少し騒がしくなる。


 澪が顔を上げると、術師らしき男たちが慌ただしく歩いていくのが見えた。


「討伐の準備を急げ」


「西区画だそうだ」


 低い声が交わされる。


 澪は胸元を押さえた。


 また、禍が出たのだろうか。


 すると後ろから声がする。


「澪様」


 振り返ると、榊が立っていた。


「榊様」


「申し訳ありません。少々、屋敷が慌ただしくなります」


 澪は小さく首を振る。


「いえ……禍、ですか?」


 榊は少し驚いたように目を瞬かせた。


「聞こえておりましたか」


「……少しだけ」


 榊は困ったように笑う。


「ええ。小規模ではありますが、皇都の西区画で禍が現れたようです」


 澪は静かに視線を落とした。


 禍。


 人の負の感情から生まれる異形。


 東雲家はそれを祓う役目を担っている。


 つまり。


「東雲様も……」


「向かわれます」


 榊は頷いた。


「朔夜様は東雲家当主ですから」


 その言葉に、澪の胸が少しだけ苦しくなる。


 朔夜はいつも静かだ。


 けれど、その静けさの裏で、ずっと危険な場所へ向かっている。


 澪は知らず知らずのうちに、自分の袖を握っていた。


     ◇


 玄関前には、すでに討伐隊が集まっていた。


 黒い外套を羽織る術師たち。


 張り詰めた空気。


 その中央に、朔夜が立っている。


 長い黒髪を揺らしながら指示を出す姿は、やはり近寄りがたい。


 けれど澪は、前より少しだけ分かるようになっていた。


 この人は、怖い人ではなく。


 ”怖がられる側”なのだと。


 朔夜がふと顔を上げる。


 紫紺の瞳が、澪を捉えた。


「……どうした」


 澪は少し迷った。


 何を言えばいいのか分からない。


 こういうとき、普通は何と言うのだろう。


 それでも。


「お気をつけて、ください」


 小さくそう告げる。


 周囲の術師たちが、驚いたように目を見開いた。


 東雲朔夜へ、そんな言葉を向ける者は少ない。


 彼は強い。


 最強の黒焔。


 誰もがそう思っているから。


 だが澪は違った。


 ただ、”危険な場所へ行く人”として見ていた。


 朔夜は一瞬だけ黙る。


 それから、ほんの僅かに目を細めた。


「……ああ」


 短い返事。


 けれどその声は、以前より少し柔らかかった。


     ◇


 夜になっても、朔夜は戻らなかった。


 東雲家の屋敷は静かだ。


 静かすぎるくらいに。


 澪は自室の机へ向かったまま、何度も窓の外を見てしまう。


 落ち着かない。


 胸がざわつく。


「……変、ですね」


 小さく呟く。


 今までだって、誰かの帰りを待つことなどなかった。


 待っても、どうにもならないと知っていたから。


 けれど今は違う。


 あの人が、無事に帰ってくるだろうかと考えてしまう。


 その時だった。


 遠くで、自動車の音が聞こえた。


 澪は反射的に立ち上がる。


 気づけば廊下へ出ていた。


 玄関先には、戻ってきた術師たちの姿がある。


 そして、その中央。


 黒い外套を羽織った朔夜がいた。


 澪の胸から、ふっと力が抜ける。


 無事だった。


 そう思った瞬間。


 ふわり、と。


 薄桜色の花弁が夜風に舞った。


 朔夜が顔を上げる。


 花弁は静かに彼の周囲を漂い、やがて消えていく。


「……また、お前か」


 低い声。


 けれどどこか穏やかだった。


 澪は慌てて口を押える。


「す、すみません……!」


「謝るな」


 朔夜はそう言って、澪を見つめる。


 討伐帰りなのだろう。


 少しだけ疲れた顔をしていた。


 けれど。


 その紫紺の瞳は、花弁を見る時だけ僅かに和らいでいた。


「東雲様、お怪我は……」


「問題ない」


「でも、お疲れでは……」


「いつものことだ」


 澪は言葉を失う。


 ”いつものこと”。


 それを当然みたいに言うのが、少しだけ苦しかった。


 朔夜はそんな澪を見て、小さく息を吐く。


「そんな顔をするな」


「え……?」


「死にはしない」


 澪ははっと目を見開く。


 知らないうちに、不安そうな顔をしていたのだろう。


 朔夜は数秒だけ沈黙した後、ぽつりと呟いた。


「……帰ってきた時、誰かが起きているのは悪くないな」


 澪の瞳が揺れる。


 その言葉はとても静かだった。


 けれど。


 ひどく孤独な響きをしていた。





第九話を読んでくださり、ありがとうございました。


今回は、朔夜が背負う”東雲家の役目”と、澪が初めて”誰かの帰りを待つ”感情を描きました。


少しずつですが、二人の距離も変わり始めています。


 少しでも楽しんでいただけましたら、


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