第七話 薄桜の力
第七話です。
東雲家での生活が始まり、澪は少しずつ”自分の力”と向き合い始めます。
東雲家で迎える最初の朝は、不思議なほど静かだった。
澪は目を覚ました後もしばらく布団の中で瞬きを繰り返す。
柔らかな布団。
広い部屋。
障子越しに差し込む朝の光。
どれもまだ現実感がなかった。
「……朝」
小さく呟き、澪は慌てて起き上がる。
九条家では誰より早く起きるのが当たり前だった。
寝坊など許されない。
急いで身支度を整え、部屋を出ようとした、その時だった。
襖の向こうから控えめな声が響く。
「澪様、起きていらっしゃいますか?」
「は、はい!」
澪は慌てて襖を開けた。
そこに立っていたのは、昨日案内をしてくれた女性使用人だった。
「朝餉の準備が整っております」
「申し訳ありません、お待たせしてしまって……」
「いいえ?」
女性使用人は不思議そうに目を瞬かせる。
「まだお時間には余裕がありますよ」
澪は固まった。
怒られない。
急かされない。
それだけのことに、どう反応していいのか分からなかった。
◇
朝餉の席には、すでに朔夜がいた。
新聞へ目を通しながら、静かに茶を飲んでいる。
黒い着物姿は相変わらず隙がなく、近寄りがたい。
けれど昨日より、少しだけ怖くない気がした。
「おはようございます」
澪が頭を下げる。
朔夜は新聞から目を上げた。
「ああ」
短い返事。
だが無視ではない。
澪はほっとしながら席へ着いた。
運ばれてきた朝餉を見て、澪は小さく目を見開く。
焼き魚。
白米。
味噌汁。
それに、小さな桜餅まで添えられていた。
「……桜餅」
「甘味が好きだと聞いた」
澪は驚いて顔を上げる。
「え……?」
「榊が調べていた」
その名前が出た瞬間、襖の向こうから声がした。
「誤解を招く言い方はやめてください、朔夜様」
榊が苦笑しながら現れる。
「澪様の好みを調べたわけではありません。九条家の使用人たちの話を聞いていただけです」
それでも澪は戸惑った。
自分の好みを気にされたことなど、一度もない。
「……ありがとうございます」
小さく呟くと、榊はふっと笑った。
「その様子だと、本当に九条家では大切にされていなかったのですね」
澪の手が止まる。
朔夜の視線が榊へ向いた。
「榊」
「失礼しました」
榊は肩を竦めたが、その表情には少しだけ苦味が滲んでいた。
澪は俯きながら桜餅を見つめる。
淡い桜色。
不思議と、胸が温かかった。
◇
朝餉の後、澪は庭を案内されていた。
東雲家の庭は広い。
黒石の橋。
静かな池。
風に揺れる藤の花。
和と洋が入り混じる皇都の中でも、ここだけは別の時間が流れているみたいだった。
「綺麗……」
思わず零れた声。
すると、隣を歩いていた朔夜が足を止める。
「お前の術は、どういうものだ」
突然の問いに、澪は目を瞬かせた。
「結界術、です……」
「それは見ればわかる」
朔夜は庭の桜を見上げる。
「なぜ花弁が舞う」
澪は困ったように視線を落とした。
「……分かりません」
「分からない?」
「感情が揺れると、時々こうして……勝手に」
その瞬間。
ふわり、と。
薄桜色の花弁が澪の周囲へ舞い始める。
朔夜は静かに目を細めた。
やはり妙だ。
普通の結界術ではない。
術というより、”心”そのものが形になっているようだった。
澪は慌てて手を重ねる。
「す、すみません……!」
「謝るな」
即座に返された言葉に、澪はきょとんとする。
朔夜は舞う花弁へ手を伸ばした。
すると、薄桜色の光が彼の指先へ触れる。
瞬間。
黒い火がわずかに揺れた。
澪は息を呑む。
「東雲様……!」
だが黒焔は暴走しない。
静かだった。
まるで、花弁に触れて落ち着いているみたいに。
朔夜も驚いたように自分の手を見る。
「……やはり」
「え……?」
「お前の力は、”弱い”わけではない」
澪の瞳が揺れる。
まただ。
この人は、当たり前みたいに否定する。
澪が信じてきたものを。
「ですが、私は……」
「力の大きさだけが価値ではない」
朔夜の声は静かだった。
「少なくとも、お前の術は俺の黒焔を拒まない」
それがどれほど異常なことなのか、澪には分からない。
けれど、
朔夜が初めて少しだけ柔らかな目をしたことだけは分かった。
その瞬間。
薄桜色の花弁が、先ほどより優しく舞った。
第七話を読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、東雲家での穏やかな日常と、澪の力について少し掘り下げました。
朔夜も少しずつ、澪の存在を特別視し始めています。
次話では、澪が初めて東雲家の”仕事2に触れていきます。
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