第四話 望まれた理由
第四話です。
婚約の場を終えた澪ですが、”なぜ自分が選ばれたのか”という疑問は消えません。
東雲家の別邸を出た後、澪たちは九条家の自動車へ乗り込んだ。
艶のある黒塗りの車体。
洋風の座席。
低く響く機械音。
九条家という名家の令嬢という立場でありながら、外へ出る機会などほとんどなかった澪はこの独特の振動では落ち着ける余裕などなかった。
向かいの席では、華鈴が露骨に不機嫌そうな顔をしていた。
「……信じられない」
ぽつりと落ちた声。
「どうしてお義姉様なんですの」
「華鈴」
綾乃が窘めるように名を呼ぶ。
けれど、その声音にも苛立ちは滲んでいた。
「東雲様も東雲様ですわ。あんな地味な結界術を見て、まるで珍しいものでも見るみたいに……」
澪は膝の上で指先を握る。
やはり迷惑をかけてしまった。
勝手に術が漏れたせいで、空気を乱した。
「申し訳、ありません……」
「本当にそう思うなら、もっと自覚をもちなさい」
綾乃の声は冷たい。
「お前はもう東雲家の婚約者なのです。九条家の名を汚す真似は許しません」
「……はい」
車内は静まり返った。
窓の外では、夕暮れの皇都が流れていく。
洋装の学生。
煉瓦造りの建物。
瓦屋根の商家。
和と洋が混ざり始めた街並みは、どこか落ち着かない。
まるで、自分の知らない世界みたいだった。
澪はそっと視線を伏せる。
東雲朔夜。
紫紺の瞳。
低い声。
ーー誰がそう言った。
あの言葉が、まだ耳に残っている。
役に立たない。
弱い。
そう言われ続けてきた澪にとって、”否定されなかった”こと自体が初めてだった。
だから分からない。
どうしてあの人は、自分を選んだのだろう。
◇
東雲家別邸では、朔夜が一人、庭を見ていた。
夕闇の中、黒い池の水面だけが静かに揺れている。
榊が後ろから声をかけた。
「珍しいですね」
「何がだ」
「朔夜様が、ああも他人へ興味を示されるのは」
朔夜は答えない。
榊は苦笑した。
「九条澪のことです」
沈黙。
それが答えみたいなものだった。
榊は少し真面目な顔になる。
「正直、意外でした。九条家の話では、力の弱い娘だと聞いていましたので」
「弱い?」
朔夜が静かに繰り返す。
「あれがか」
「……何かお気づきに?」
朔夜は思い出す。
澪の周囲に舞った花弁。
薄桜色の光。
あの場に満ちた、静かな空気。
あれは単なる未熟な術ではない。
少なくとも朔夜は、あんな結界を見たことがなかった。
「妙だった」
「妙?」
「俺の黒焔が、反発しなかった」
榊が目を見開く。
東雲家の黒焔は穢れに敏感だ。
他家の術とぶつかることも多い。
特に感情に揺れる術とは相性が悪い。
だが。
九条澪の力だけは違った。
あの薄桜色の気配に触れた時、黒焔は暴れなかった。
むしろーー静まった。
「……興味深いな」
朔夜がぽつりと呟く。
榊は苦笑した。
「それ、かなり気に入っている時の顔ですよ」
「違う」
「では、気になる?」
「榊」
「失礼しました」
だが榊はどこか楽しそうだった。
長く朔夜に仕えてきたが、彼が誰かへ興味を示すこと自体ほとんどなかったからだ。
まして”力”ではなく、”人”に。
◇
その夜。
澪は一人、自室で簪を見つめていた。
淡い藤色の石。
母の形見。
「お母様……」
小さく呟く。
自分が婚約者になった。
東雲家へ嫁ぐ。
本来なら恐ろしいはずなのに、不思議と胸の奥には別の感情もあった。
怖い。
でも。
ほんの少しだけ。
あの紫紺の瞳を、もう一度見たいと思ってしまった。
その瞬間だった。
ふわり、と。
薄桜色の花弁が舞う。
澪は慌てて口を押さえた。
「……また」
感情が揺れると、力が漏れる。
こんな力、迷惑になるだけなのに。
けれど花弁は、澪を慰めるみたいに静かに漂っていた。
まるで。
”そのままでいい”と告げるように。
第四話を読んでくださり、ありがとうございました。
今回は、婚約後の澪と朔夜それぞれの心情を中心に描きました。
まだ恋愛には遠い二人ですが、少しずつ互いを意識し始めていきます。
次話では、東雲家への正式な招待と、澪を取り巻く空気の変化が描かれていきます。
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