第八話 残された手紙
第二章、第八話です。
今回は、澪が母の残した痕跡へさらに近づく回になります。
藤ヶ宮家。
その名前を知ってから数日が経った。
だが、澪の胸に芽生えた疑問は消えるどころか大きくなっていた。
母はどんな人だったのか。
どんな人生を歩んだのか。
なぜ九条家へ嫁いだのか。
そして、なぜ誰もその話をしなかったのか。
「……知りたい」
ぽつりと呟く。
自分でも驚くほど、その想いは強くなっていた。
幼い頃は母を思い出すことすら怖かった。
思い出しても、もう会えないから。
けれど今は違う。
知らない母を知りたいと思う。
その気持ちが確かにあった。
◇
その日の午後。
澪は再び書庫を訪れていた。
老術師はいつもの席で資料を整理している。
「また来てしまいました」
澪が申し訳なさそうに言うと、老術師は以前と同じように優しく笑った。
「構いませんとも」
そして少し考えるように顎へ手を当てた。
「そうですな……」
何かを思い出したようだった。
「もしかすると、貴女にお見せしても良いものがあるかもしれません」
「私にですか?」
「ええ」
老術師は立ち上がると、書庫のさらに奥へ向かった。
普段使われない使わない保管棚。
そこから小さな木箱を取り出す。
箱には東雲家の家紋が刻まれていた。
「これは……」
「千鶴様が残されたものです」
澪の呼吸が止まった。
「母様の……?」
老術師は静かに頷く。
「東雲家で預かっていた品の一つです」
澪は恐る恐る箱を受け取った。
手が震える。
ゆっくり蓋を開ける。
中には古びた便箋が一枚だけ入っていた。
「手紙……」
墨で書かれた文字。
だが宛名はない。
誰かへ送られたものではなく、書き残されたものらしかった。
老術師は静かに言う。
「内容までは存じません」
澪はゆっくり便箋を開く。
そこに記されていた文字は短かった。
『どうか、この國に春が訪れますように』
たった一文。
それだけだった。
澪は目を瞬かせる。
「……これだけ?」
「ええ」
老術師も当時、不思議に思ったという。
もっと何か書かれていると思った。
だが残されたのは、その一文だけだった。
澪は文字を見つめる。
優しい筆跡だった。
まるで語りかけるような。
どこか懐かしいような。
「母様らしいですね」
思わず零れた言葉だった。
何故そう思ったのかは分からない。
けれど。
人を守りたいと願う人だったのなら。
きっと母は、自分のことより誰かの幸せを願う人だったのだろう。
◇
その夜。
澪は手紙のことを考えていた。
窓の外には月が浮かんでいる。
春の夜風が静かに吹いていた。
『どうか、この國に春が訪れますように』
何度も頭の中で繰り返す。
まるで祈りみたいな言葉だった。
その時。
こんこん、と襖が鳴った。
「澪」
朔夜の声だった。
「どうぞ」
襖が開く。
朔夜は澪の向かいへ腰を下ろした。
「何を見ている」
澪は便箋を見せる。
「母様が残した手紙です」
朔夜は静かに目を通した。
そして少しだけ目を細める。
「千鶴殿らしい」
「朔夜様もそう思われますか?」
「ああ」
短い返事。
だが迷いはなかった。
澪は少しだけ笑った。
自分の知らない母を。
少しずつ知れている気がした。
すると。
ふわり、と。
薄桜色の花弁が舞う。
月明かりを受けて優しく揺れる花弁。
朔夜はそれを見上げる。
そして静かに呟いた。
「春か」
澪も花弁を見つめる。
その時だった。
不意に胸がざわついた。
「……え」
花弁が揺れる。
先ほどまでの穏やかな舞い方ではない。
どこか落ち着かない。
警戒するような。
ざわざわとした動き。
朔夜も気づいたらしい。
紫紺の瞳が細められる。
「どうした」
「分かりません……」
だが嫌な感覚だけは分かった。
まるで。
どこか遠くで何かが動き始めたような。
その瞬間。
東雲家の結界が僅かに震えた。
朔夜の表情が変わる。
澪の胸が大きく跳ねた。
そして二人はまだ知らない。
中央区画の異変は終わっていなかったことを。
第二章、第八話を読んでくださり、ありがとうございました。
今回は、千鶴が残した小さな手紙を通して、澪が母へ少し近づく回でした。
そして物語の裏では、中央区画の異変がまだ終わっていないことを示唆しています。
第二章も中盤へ入り、少しずつ謎や伏線が動き始めます。
少しでも楽しんでいただけましたら、
● ブックマーク
● 評価
● 感想
などいただけると励みになります。




