第六話 黒焔の代償
第二章、第六話です。
今回は、中央区画での討伐を終えた朔夜側の話になります。
中央区画での討伐から二日後。
皇都はようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
街では復旧作業が進み、人々も少しずつ日常へ戻っている。
だが。
東雲家の本邸はどこか重い空気に包まれていた。
「……やはり無理をしすぎです」
低い声が室内へ響く。
朔夜は黙ったまま窓の外を見ていた。
向かいには榊が座っている。
珍しく険しい表情だった。
「黒焔暴走寸前まで追い込まれたのですよ」
「終わった話だ」
「終わっていません」
即座に返される。
榊は大きくため息を吐いた。
「朔夜様は毎回そうです」
朔夜は何も答えない。
だが榊は続けた。
「今回の禍は異常でした」
「……」
「歴代記録にも近い事例がありません」
沈黙が落ちる。
それは朔夜自身も理解していた。
あの禍はおかしかった。
規模も。
成長速度も。
瘴気の質も。
まるで何者かが意図的に育てたような異質さがあった。
「調査は」
「現在進めています」
榊は資料を机へ置いた。
「ですが、原因はまだ」
そこで言葉を止める。
朔夜は静かに視線を向けた。
「何だ」
「……いえ」
榊は迷ったようだった。
だがやがて口を開く。
「黒焔についてです」
室内の空気が変わった。
「今回、暴走を止めたのは澪様でした」
朔夜の瞳が僅かに揺れる。
「……ああ」
あの花弁を思い出す。
黒焔へ触れた薄桜の光。
暴走しかけていた炎を鎮めた不思議な温度。
「正直に申し上げます」
榊は真っ直ぐ朔夜を見る。
「私も信じられませんでした」
それは東雲家の術師たち全員が同じだった。
黒焔暴走。
それは東雲家最大の問題。
歴代当主ですら制御しきれず命を落とした者がいる。
それを。
たった一人の少女の術が鎮めた。
あり得ないことだった。
「……だからこそ」
榊は静かに言う。
「澪様が危険へ巻き込まれる可能性も高くなります」
朔夜の表情が僅かに変わる。
榊は気づいていた。
その変化を。
「東雲家も、九条家も、皇都も」
言葉を続ける。
「この事実を知れば放ってはおかないでしょう」
黒焔を鎮める力。
それがどれほどの価値を持つか。
東雲家の人間なら理解できる。
朔夜はしばらく黙っていた。
やがて静かに口を開く。
「誰にも言うな」
短い言葉だった。
「朔夜様」
「今はまだ」
紫紺の瞳が細められる。
「澪には何も知らせるな」
榊は静かに頷いた。
その理由を理解していたから。
◇
少し経った頃。
澪は中庭にいた。
春風が心地良い。
書庫で見た母の記録がまだ頭から離れなかった。
「藤ヶ宮……」
知らない名前。
知らない家。
知らない母。
九条家で生きてきた澪にとって、それはまるで別世界の話だった。
その時。
「考え事か」
聞き慣れた声がした。
澪が振り返る。
「朔夜様」
そこには討伐から戻った朔夜が立っていた。
以前と変わらないように見える。
だが。
澪は気づく。
顔色が少し悪い。
「お身体は大丈夫なのですか」
朔夜は少しだけ眉を上げた。
「何故そう思う」
「その……」
澪は言葉を探す。
「少し、お疲れに見えます」
朔夜は何も言わない。
だが否定もしなかった。
澪の胸がざわつく。
あの夜。
確かに感じた。
黒焔の苦しさを。
今も少しだけ残っている気がする。
「無理はなさらないでください」
自然と言葉が零れた。
朔夜が澪を見る。
紫紺の瞳。
静かな眼差し。
「……心配か」
澪は一瞬固まる。
そして小さく呟いた。
「はい」
否定できなかった。
討伐へ向かう姿を見るたび。
帰りを待つたび。
胸が落ち着かなくなる。
朔夜はしばらく澪を見ていた。
やがて。
「そうか」
それだけを呟く。
けれど。
その声音はどこか柔らかかった。
その時だった。
ふわり、と。
薄桜色の花弁が舞う。
春風に乗って揺れる花弁を見ながら、朔夜は静かに目を細めた。
まるで。
どこか安心したように。
第二章、第六話を読んでくださり、ありがとうございました。
今回は朔夜側から見た「黒焔暴走」の後日談を描きました。
第二章では今後、
・黒焔の危険性
・薄桜の存在
・藤ヶ宮家
・禍の異常発生
が少しずつ一本の線として繋がっていきます。
そして澪と朔夜の関係も、少しずつ変化していきます。
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