第一話 望まれぬ娘
ここから第一章が始まります。
虐げれらながらも静かに生きてきた澪と、”黒焔”を纏う朔夜。
二人の物語を、見守っていただけたら嬉しいです。
九条家の朝食は、いつだって静かだった。
けれどその静けさは、穏やかなものではない。
ただ一人を排除するための、冷たい静寂だった。
「華鈴、本日は白菊宮の茶会でしたね」
継母・綾乃が柔らかな声で言う。
その隣では、義妹の華鈴が嬉しそうに笑っていた。
「はい、お母様。透子さまもいらっしゃるそうなのでたのしみですわ」
「まあ、それは素敵ね」
華やかな声。
柔らかな笑み。
その光景を、澪は少し離れた席から静かに見ていた。
嫡女であるはずの自分の席は、いつからか端へ追いやられている。
誰もそれを不自然とは思わない。
「澪」
綾乃が視線だけを向ける。
「食事が終わりましたら、蔵の整理をしておきなさい。」
「……はい」
「返事が小さいわ」
「申し訳ありません」
華鈴がくすくすと笑う。
「お義姉様、最近ぼんやりしてばかりですものね」
澪は何も言い返さない。
言い返せば空気が悪くなる。
謝れば終わる。
それを知っているから。
朝食が終わると、澪は一人で席を立った。
背後から聞こえる笑い声に、聞こえないふりをしながら。
◇
九条家の蔵は広い。
古い術具や書物が並び、独特の静けさが漂っている。
澪は棚に積まれた巻物を整理しながら、小さく息を吐いた。
ひどく冷える。
窓の外では春が近づいているのに、この蔵の中だけ時間が止まっているみたいだった。
「お母様なら、どうしたのでしょう」
ぽつりと零す。
返事はない。
澪の母・千鶴は、澪が幼い頃に亡くなった。優しく笑う人だったことだけは覚えている。
けれど、その記憶も少しずつ薄れてしまっていた。
澪は胸元の簪に触れる。
淡い藤色の石が嵌められた、小さな簪。
母の形見。
澪が持っていていい唯一のものだった。
その時だった。
蔵の外が、急に騒がしくなる。
「旦那様がお戻りに!」
「急ぎ、お迎えを!」
澪は目を見開いた。
父が帰ってきた。
九条家当主・九条恒一。
陰陽術を操る九条家最高の術師であり、常に国中を飛び回っている人。
澪は慌てて蔵を出た。
廊下を駆け、玄関へ向かう。
けれど。
「澪様」
侍女が前へ立ちはだかった。
「お客様がお見えですので、澪様は下がっていてください」
「……お父様が」
「綾乃様のご指示です」
澪は言葉を失う。
玄関の向こうでは、綾乃と華鈴が父を迎えていた。
華やかな笑顔。
楽しげな声。
その輪の中に、澪の場所はない。
父の姿が見えた。
黒い外套を羽織り、疲れた顔をしている。
それでも、父は澪へ気づかなかった。
いや。
気づいても、目を逸らした。
胸が少しだけ痛む。
慣れているはずなのに。
「……失礼いたします」
澪は静かに頭を下げ、その場を離れた。
誰も呼び止めなかった。
◇
その日の夜。
九条家の空気は、どこか張り詰めていた。
使用人たちが慌ただしく動き回っている。
綾乃の機嫌も妙に良い。
澪は廊下を歩きながら、小さく首を傾げた。
すると、前方から華鈴が現れる。
豪奢な着物に身を包み、上機嫌な様子だった。
「あら、お義姉様」
「華鈴」
「聞いていらっしゃらないの?」
「……何を?」
華鈴は扇を口元に当て、楽しそうに笑う。
「東雲家から縁談が来たのですって」
澪は足を止めた。
東雲家。
その名を知らない者はいない。
国を守護する名家。
禍を焼き払う”黒焔”を継ぐ一族。
そして。
「お相手は、東雲朔夜様」
華鈴が声を潜める。
「怖い方らしいわよ。冷酷で、禍より恐ろしいって噂」
澪は思わず息を呑んだ。
東雲朔夜。
黒焔を操る現東雲家当主。
その名は皇都中で恐れられていた。
「でも安心して、お義姉様」
華鈴が笑う。
「わたくしが選ばれるに決まっていますもの」
そう言って、華鈴は澪の方を軽く押した。
まるで、最初から勝負にならないと言うみたいに。
澪は何も言えなかった。
そもそも、自分には関係のない話だと思ったから。
東雲家。
遠い世界の話。
ーーこの時の澪は、まだ知らない。
その縁談が、自分の運命を大きく変えることを。
そして、”黒焔”を纏う青年が、やがて自分の居場所になっていくことを。
第一話を読んでくださり、ありがとうございました。
まずは、澪の立場や、九条家での扱いを中心に描きました。
次話では、東雲家側の動きや、朔夜についても少しずつ描かれていきます。
少しでも続きが気になると思っていただけましたら、
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