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黒焔に咲く薄桜  作者: 日ノ澤しの
第一章 黒焔の婚約者

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第十五話 夜還りを待つ花



第一章完結話です。


”婚約”から始まった二人の関係が、少しずつ形を変え始めます。




 九条家からの手紙を受け取った日から、澪は時折考えるようになっていた。


 もしあの日。


 婚約の席に向かっていなかったら。


 もし東雲朔夜と出会わなかったら。


 自分は今も、九条家で息をひそめて生きていたのだろうか、と。


「……不思議です」


 縁側へ座りながら、澪は小さく呟く。


 風が優しく髪を揺らした。


 藤の花は少しずつ散り始め、代わりに庭の桜が色づいている。


 東雲家へ来た頃には、まだ咲いていなかった花だ。


 その時。


「ここにいたか」


 低い声が響く。


 澪が振り返る。


「東雲様」


 黒い着物姿の朔夜が歩いてくる。


 以前より、その姿を見るだけで安心するようになっている自分に、澪はまだ慣れなかった。


 朔夜は澪の隣へ立つ。


「今日は討伐が早く終わったのですね」


「ああ」


 短い返事。


 けれど、少しだけ疲れた声だった。


 澪はそっと朔夜を見上げる。


 最近、分かるようになってきた。


 この人は、平気そうな顔で無理をする。


「……お疲れではありませんか」


 そう尋ねると、朔夜は少しだけ目を細めた。


「またそんな顔をする」


「え……?」


「心配そうな顔だ」


 澪は慌てて俯く。


 そんなつもりではなかった。


 けれど。


 討伐へ向かう時も。


 帰りを待っている時も。


 胸が落ち着かなかったのは本当だ。


「朔夜様は、いつも危険な場所へ行かれるので……」


「東雲家の役目だ」


「ですが」


 澪は言葉を止める。


 自分に、これ以上何が言えるのだろう。


 すると朔夜が静かに口を開いた。


「昔は、誰も待っていなかった」


 澪が顔を上げる。


 紫紺の瞳は、遠く庭を見ていた。


「帰っても、静かなだけだった」


 その声は淡々としている。


 けれど澪には分かった。


 それがどれほど長い孤独だったのか。


「……今は違う」


 朔夜が澪を見る。


 真っ直ぐに。


「お前がいる」


 その瞬間。


 澪の胸が大きく跳ねた。


 息が止まりそうになる。


 視線を逸らせない。


 朔夜の瞳には、いつもの冷たさがなかった。


 静かで。


 優しくて。

 

 少しだけ、寂しそうだった。


 澪はそっと胸元を押さえる。


 熱い。


 苦しい。


 でも嫌ではない。


 その感情が溢れた瞬間。


 ふわり、と。


 大量の薄桜の花弁が舞い上がる。


 夜風に乗り、二人を包み込む。


 淡く光る花弁。


 柔らかな春の気配。


 朔夜は静かに目を細める。


「……やはり、お前の術は綺麗だ」


 澪の瞳が揺れる。


 綺麗。


 またそう言ってくれる。


 怖がるでもなく。


 拒むでもなく。


 ただ真っ直ぐに。


「私、この力はずっと……役に立たないものだと思っていました」


 澪は小さく呟く。


「でも、東雲様は違うと言ってくださって……」


 朔夜は黙って聞いている。


 澪はそっと花弁を見上げた。


「ここへ来てから、初めて思ったんです」


 薄桜色の花弁が、夜空を舞う。


「……生きていてもいいのかもしれないって」


 静寂が落ちる。


 その言葉は、とても小さかった。


 けれど朔夜は確かに聞いていた。


 紫紺の瞳が僅かに揺れる。


 次の瞬間。


「っ……」


 優しい手だった。


 まるで壊れ物へ触れるみたいに。


「これからは、そう思わなくていい」


 低い声。


 静かな響き。


「お前は、ここにいていい」


 澪の瞳に涙が滲む。


 泣き方なんて、よく分からない。


 それでも胸がいっぱいになって、言葉が出なかった。


 すると。


 突然。


 ばちり、と。


 空気が揺れた。


 朔夜の表情が変わる。


 紫紺の瞳が鋭く細められた。


「東雲様……?」


 その瞬間。


 屋敷の奥から、術師の叫び声が響いた。


「朔夜様!!」


 複数の足音。


 張り詰める空気。


 駆け込んできた術師が、息を切らしながら叫ぶ。


「皇都中央部に大規模な禍の反応が……!」


 澪の肩が震える。


 今までとは違う。


 空気そのものが、重い。


 朔夜は即座に立ち上がった。


 黒い術式が足元へ広がる。


「規模は」


「観測史上最大かと思われます」


 その瞬間。


 ぞわり、と。


 澪の胸がざわめいた。


 嫌な予感。


 まるで何かが始まるみたいな。


 朔夜は澪を振り返る。


「部屋から出るな」


「ですが……!」


「澪」


 低い声。


 真っ直ぐな紫紺の瞳。


「必ず戻る」


 その言葉だけを残し、朔夜は黒焔と共に夜の中へ消えていった。


 残された澪の周囲では、薄桜色の花弁が不安そうに揺れている。


 まるで。


 迫り来る”何か”を感じ取っているみたいに。





第一章、ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。


”婚約”から始まった澪と朔夜の関係も少しずつ変わり始めました。


そして次章からは、二人を取り巻く世界や、”禍”の存在が少しずつ大きく動き始めます。


第二章では、第一章であらわになった澪の力や、朔夜の黒焔などにも踏み込んでいく予定です。


ここまで少しでも楽しんでいただけましたら、


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などいただけると、とても励みになります。


第二章も、どうぞよろしくお願いいたします。

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