第四章 一話 誰もいないはずなのに
――笑っている。
そう見えた。
口元は確かに歪んでいる。
頬も、引きつっている。
なのに――
声が、出ていなかった。
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肩だけが、小刻みに揺れている。
呼吸だけが、乱れている。
ひゅ、ひゅ、と。
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笑っているはずなのに、
音がどこにもない。
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誰も、動かなかった。
動けなかった。
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男は、ゆっくりと手を上げる。
そして、
――パチン。
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乾いた音が、一つだけ響く。
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もう一度。
――パチン。
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間が、ずれている。
拍手のリズムが、どこか噛み合っていない。
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それでも男は、笑っていた。
音のないまま。
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視線は、どこか一点に向けられている。
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誰もいない。
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はずなのに。
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男は、瞬きをしなかった。
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パチン。
パチン。
パチン。
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拍手が、少しずつ速くなる。
ズレたまま、速くなる。
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肩の揺れも、大きくなる。
呼吸が荒くなる。
それでも、声は出ない。
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その場にいた誰かが、
「――」
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何かを言おうとした。
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言葉が、出てこない。
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男は、じっと、
何もないはずの空間を見ていた。
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まるで、
そこに“誰かがいる”みたいに。
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ゆっくりと、
ほんのわずかに、
男の首が傾く。
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何かに、応えるように。
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そして、
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男は、笑った。
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最初から、ずっと笑っているのに。
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今、
“初めて”笑ったように見えた。
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パチン。
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一度だけ、
強く拍手をする。
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その瞬間、
空気が、わずかに歪んだ。
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誰も、動かない。
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男だけが、
そこにある“何か”を見ている。
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口が、開く。
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何かを、言おうとしている。
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だが、
音は――
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出なかった。
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そのまま、
男の動きが、
ぴたりと止まる。
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笑っていたはずの口元が、
すっと、消える。
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肩の揺れも、止まる。
呼吸だけが、やけに静かになる。
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目だけが、
ゆっくりと、
何もない空間をなぞる。
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――次の瞬間、
男の顔のどこかが、
わずかに、崩れた。
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それが何かは、
誰にも分からなかった。




