最終話 届かない
音は、なかった。
気づいたときには、そこにいた。
上下も、奥行きも、はっきりしない空間。
暗いわけでも、明るいわけでもない。
ただ。
“何もない”が広がっている。
「――」
声を出そうとする。
出ない。
わかっていたはずなのに。
それでも、試してしまう。
何も変わらない。
何も、出ない。
その代わりに。
“思考だけ”が、やけにはっきりしていた。
ここが、どこなのか。
どうしてここにいるのか。
全部、わかっている。
――喰われた。
喉を。
言葉を。
最後の一つまで。
だから。
ここにいる。
「……」
動こうとする。
足はある。
体もある。
でも。
軽い。
現実感がない。
地面を踏んでいる感覚も、曖昧だった。
その時。
視界の端で、何かが揺れた。
影。
人の形をした、黒い影。
一つじゃない。
いくつも。
無数に。
この空間のあちこちに、存在している。
立っているもの。
座っているもの。
うずくまっているもの。
全部。
人の形をしているのに。
どこかが、欠けている。
顔が曖昧だったり。
輪郭が揺れていたり。
何より――
“音がない”。
口が動いている影がいる。
何かを話しているように見える。
でも。
何も聞こえない。
一切。
完全な無音。
ここには。
最初から、音なんて存在しないみたいに。
「――」
その中を、歩く。
目的はない。
ただ。
何かを探すように。
いや。
探しているのは、わかっていた。
あの子。
妬喰いに、食べられた友達。
――いるはずだ。
そう思った。
そうであってほしいと、思った。
そして。
見つけた。
少し離れた場所。
一つの影が、立っている。
見覚えのある立ち方。
見覚えのある仕草。
間違いない。
あの子だ。
「――!」
駆け寄る。
何も言えないまま。
それでも、必死に手を伸ばす。
届く距離まで、近づく。
でも。
触れられない。
すり抜ける。
そこに“いる”のに。
そこに“ある”のに。
存在が、重ならない。
「……」
あの子は。
何かを見ている。
私じゃない。
その先。
さらに向こう。
視線の先を、追う。
そこに。
もう一つ、影があった。
――見覚えがある。
あれは。
あの人だ。
目喰いの。
あの物語の中にいた人。
誰かを見ている。
必死に。
何かを求めるように。
でも。
その視線の先には。
何もない。
ただ、空間が広がっているだけ。
それでも。
ずっと、見ている。
何かを。
――“愛”を。
「……」
あの子は。
その姿を、見ている。
じっと。
何もせず。
ただ、見ている。
その横顔には。
何の感情もない。
苦しみも。
悲しみも。
何も。
ただ。
空っぽのまま。
その光景を、見続けている。
「……っ」
手を伸ばす。
届かない。
声を出そうとする。
出ない。
当たり前だ。
最初から。
ここには。
何も、届かない。
「――」
その時。
一瞬だけ。
あの子の視線が、揺れた。
こっちを向いた気がした。
――気づいた。
そう思った。
でも。
違った。
視線は、そのまま。
私を通り過ぎて。
何もない空間を、見つめたままだった。
そこに、私はいない。
最初から。
いないみたいに。
「……」
理解する。
あの時。
私は、何も言わなかった。
言えたはずの言葉を。
飲み込んだ。
だから。
ここにいる。
そして。
あの子も、ここにいる。
その結果を。
今、目の前で見ている。
止められたかもしれない未来を。
何もできないまま。
ただ、見ている。
ここでは。
何もできない。
何も届かない。
何も伝えられない。
だから。
――もう、遅い。
全部。
最初から、決まっていたみたいに。
静かに。
確実に。
繋がっていた。




