第三話 もう遅い
――その時だった。
チョークの音が、止まった。
黒板を擦る、あの耳障りな音が。
途中で。
不自然に。
切れた。
「……?」
誰かが笑っていた声も。
机を叩く音も。
紙をめくる音も。
全部。
一つずつ。
消えていく。
音が、なくなる。
世界が、遠くなるんじゃない。
――“消されている”。
「……っ」
息を飲む音すら、聞こえない。
自分の呼吸があるのかどうかも、わからない。
完全な無音。
その中で。
自分だけが、取り残されている。
違う。
取り残されたんじゃない。
――“ここに引き込まれた”。
その静寂の中で。
視線だけが、やけにはっきりと残る。
教室の後ろ。
すぐそこに。
立っていた。
黒いスーツの男。
若い女。
俯いた老婆。
三人は、何も変わらない。
ただ。
静かに、こちらを見ている。
音のない世界の中で。
その存在だけが、異様に浮いている。
「……ぁ……!」
声を出そうとする。
でも。
やっぱり、出ない。
音がないのか。
声が出ていないのか。
もう、わからない。
喉を押さえる。
そこにあったはずのものが。
――薄い。
空っぽになっている。
その時。
目の前に、“それ”が現れた。
音はない。
気配もない。
ただ。
“いた”。
喉のあたりだけが歪んだ、人の形。
そこから先が、何もない。
穴みたいに。
全てを吸い込む空洞。
それが。
静寂の中心に立っている。
「――」
叫ぼうとする。
助けを求めようとする。
でも。
何も、出ない。
音がない世界で。
声を持たない自分が。
何かを伝える方法なんて、最初からなかった。
その瞬間。
理解する。
これは。
音を奪う存在じゃない。
――“言葉を使わなかった者の世界”だ。
ここでは。
何も、発せない。
だから。
もう、必要ない。
喉の奥の“最後の何か”が。
完全に、消えた。
同時に。
目の前のそれが、口を開いた。
音はない。
何も聞こえない。
ただ。
飲み込まれる。
その感覚だけが、はっきりとあった。
最後まで。
何も言えなかった。
ただ一つの言葉すら。




