第87話 湖畔への道
バルディア冒険者ギルド前。
大型の馬車が並び、冒険者たちが準備を進めていた。
武器。
荷物。
保存食。
長距離遠征用の装備。
空気は静かに張っている。
今回の依頼は、ただの討伐ではない。
相手は子爵。
しかも精鋭魔法部隊を抱える貴族。
失敗は許されない。
リーナが周囲を見回す。
「思ったより人数多いのね」
ギンが書類をまとめながら答える。
「相手は貴族の私兵団だ、これでも少ないくらいだぞ」
「それに信頼できるCランクパーティーを集めた」
集まった冒険者は十五人。
三つのパーティー。
まず。
レオンたち。
焚火の旅団。
そして。
近接主体のCランクパーティー。
【黒狼の牙】
リーダーは大剣使いの男。
無骨な実戦派。
さらに。
索敵と弓を得意とするCランクパーティー。
【風見鷹】
こちらは軽装の冒険者が多い。
偵察向きの編成だった。
互いに視線を交わす。
軽い挨拶だけ。
無駄話は少ない。
全員、この依頼の危険度を理解していた。
その時。
ギルドの裏手から大きな音が響く。
ガラガラと車輪が鳴る。
リーナが振り返る。
「来たわね」
一台の馬車が到着する。
以前、修理と修繕を頼んでいた馬車がついに完成した。
荷台部分が大きく補強されている。
外装には鉄板。
側面には収納箱。
さらに後部には小さな足場。
上へ登れるようになっていた。
風見鷹の一人が目を丸くする。
「なんだこれ……」
リーナが少し得意そうに笑う。
「修繕ついでに改造したのよ」
荷台へ飛び乗る。
「ここから望遠鏡で周囲確認できるし——」
後方を指差す。
「弓も撃てる」
かなり実戦向きだった。
さらに柱部分にはランプ。
そして小さな結界石。
黒狼の牙の男が感心したように言う。
「なるほど、長距離移動用だな」
レオンが頷く。
「ああ、長距離移動が多いからな」
その時。
マリーナが馬車を見上げていた。
「……貴方たち、いつの間にこんな物を」
本気で驚いている。
リーナが肩をすくめる。
「冒険者をしてると必要になるのよ」
マリーナは荷台を見上げたまま、小さく目を細めた。
知らない世界。
貴族の馬車とは全く違う。
レオンが御者席へ上がる。
隣にはアステア。
後ろへリーナ。
セレナ。
そしてマリーナが乗り込む。
ギンが最後に全員を見渡す。
「到着まで五日間の遠征だ」
「途中はしっかり休息を取るように」
全員が頷く。
そして。
「襲撃のタイミングは焚火の旅団にまかせる」
全員がレオンに顔を向ける。
「わかった」
レオンが返事をする。
「よし、出発だ」
馬車がゆっくり動き出した。
バルディアを離れ。
湖畔の別荘へ向かって。
---
馬車は街道を進んでいた。
石畳を抜け。
土の道へ変わる。
バルディアの街並みは、もう遠い。
周囲に広がるのは平原。
風が草を揺らしている。
御者席。
レオンが前を見ながら手綱を握る。
隣にはアステア。
周囲を警戒していた。
後ろの荷台。
リーナは望遠鏡を覗きながら周囲を確認している。
セレナは地図を広げ。
マリーナは静かに外を見ていた。
景色が流れていく。
村。
畑。
森。
街道を歩く旅人。
冒険者の一団。
その全てを、マリーナはじっと見ている。
リーナが気づく。
「そんな珍しい?」
マリーナは少し間を置いて答えた。
「……ええ」
視線は外のまま。
「私は今まで、ほとんどバルディアから出たことがありませんもの」
セレナが少し驚く。
「そうだったんですか?」
マリーナは小さく頷く。
「領地の視察くらいはありましたけれど」
「こんな風に旅をしたことはありませんわ」
風が髪を揺らす。
その表情は、どこか新鮮そうだった。
リーナが少し笑う。
「貴族って大変なのね」
マリーナは肩をすくめる。
「外を歩く必要なんてありませんもの」
当たり前のように言う。
だが。
その言葉のあと、小さく空を見上げた。
「……でも」
一拍。
「世界って、広いのね」
静かな声。
セレナが優しく微笑む。
リーナも少しだけ目を細めた。
その時。
前方を走っていた風見鷹の冒険者が手を上げる。
「少し先に休憩できそうな場所がある!」
レオンが頷く。
「そこで一度止まる」
馬車が速度を落としていく。
五日間の旅。
まだ始まったばかりだった。
---
夕方。
空が赤く染まり始める。
一行は街道から少し離れた平原で野営の準備を始めていた。
見渡しは良い。
周囲に大きな森もない。
襲撃を受けても対応しやすい場所だった。
黒狼の牙が周囲の警戒へ向かう。
風見鷹は偵察と見張り位置の確認。
慣れた動き。
誰かが指示を出さなくても自然に役割が分かれていく。
テントが立ち。
荷物が整理される。
焚き火の準備も進む。
マリーナがその様子を静かに見ていた。
「……ちゃんと組織になってますのね」
思わず漏れる。
セレナも頷く。
「皆さん慣れてますね」
貴族の私兵とも教会騎士とも違う。
必要なことを、それぞれが自然に動いている。
その中心。
レオンはすでに料理の準備を始めていた。
鍋。
食材。
火加減。
隣ではアステアが薪を割っている。
リーナは食材を運びながら小さく笑う。
「今日は人数多いから大変そうね」
レオンは鍋をかき混ぜながら答える。
「余裕だ」
短い。
だが手際は良かった。
その時。
リーナがマリーナとセレナを見る。
「せっかくだし手伝う?」
突然振られたマリーナとセレナが目を瞬かせる。
「……わたくしが?」
「人手多い方が早いでしょ」
リーナが当然のように言う。
マリーナは少し迷った後、小さく頷いた。
「何をすれば?」
レオンが鍋から視線を上げる。
「水を出してくれ」
マリーナが小さく息を吸う。
指先に魔力を集める。
「ウォーター」
水が大きな容器へ流れ込む。
続けて。
「この薪に火をつけてくれ」
「ファイア」
焚き火へ火が灯る。
ほんの小さな初級魔法。
だが。
マリーナは少し不思議そうな顔をした。
「……魔法をこんなことに使ったの、初めてですわ」
リーナが笑う。
「便利だからね」
アステアも頷く。
「冒険者はよくやる」
マリーナは焚き火を見つめる。
揺れる火。
「じゃあセレナはお皿と食器の準備しようか」
リーナがセレナを連れてお皿の準備に行く。
マリーナは焚き火の前に座る。
レオンが作る料理の匂いが鼻をくすぐる。
誰かの笑い声。
貴族の食卓とは、まるで違う。
だが。
少しだけ。
マリーナは心地良かった。
---
平原に焚き火の灯りが揺れている。
鍋から湯気が立ち上る。
香草の匂い。
焼いた肉の香ばしさ。
空腹を刺激する匂いが周囲へ広がっていた。
黒狼の牙の冒険者が鼻を動かす。
「……なんかすげぇいい匂いするな」
風見鷹の冒険者も焚き火へ近づいてくる。
「宿より美味そうなんだけど」
リーナが少し得意そうに笑った。
「レオン飯だからね」
皿が配られていく。
シチュー。
焼き肉。
温かいスープ。
長旅の身体に染みる料理だった。
冒険者たちが食べ始める。
そして。
「……うまっ」
「なんだこれ」
「本当に野営飯か?」
あちこちで驚きの声が上がる。
黒狼の牙のリーダーが笑う。
「焚火の旅団って面白い奴らだな」
周囲から笑いが漏れる。
空気が少し柔らかくなる。
セレナも静かにスープを飲む。
「美味しいです……」
本当に嬉しそうだった。
その隣。
マリーナもゆっくり料理を口へ運ぶ。
そして。
少し目を見開いた。
「……悔しいですけど」
一拍。
「うちの料理人より美味しいかもしれませんわ」
リーナが吹き出す。
「えっそんなになの?」
マリーナは少しだけ視線を向ける。
「事実ですわ」
だが。
その表情はどこか柔らかい。
焚き火の周り。
笑い声。
温かい食事。
しばらくすると。
風見鷹の冒険者が肩を回した。
「……なんか今日、身体軽くないか?」
黒狼の牙の男も頷く。
「わかる」
「初日だからか?」
深くは気にしていない。
だが。
焚火の旅団の三人だけは知っている。
レオンの料理。
その力を。
レオンは何も言わず、静かに焚き火へ薪をくべていた。
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