第86話 侯爵の依頼
孤児院の奥の部屋。
机の上には大量の資料が並べられていた。
売買記録。
孤児の名簿。
契約書。
地下施設から押収した証拠品。
部屋の空気は重い。
アルベルト・バイザック侯爵。
ルグニス枢機卿。
ギン。
三人が資料を確認していた。
ルグニスが深く息を吐く。
「……ここまでとは」
頭を抱えて愕然としている。
アルベルトは無言で書類を読む。
表情は変わらない。
だが。
目だけが鋭い。
ギンが別の資料を机に置く。
「孤児院の地下施設の全記録です」
「孤児院から奴隷商、オークション、子爵側まで全部繋がってます」
アルベルトが小さく頷く。
「十分だ」
その時。
コンコン。
扉をノックする音。
ギンが振り返る。
「入れ」
扉が開く。
レオン。
リーナ。
アステア。
三人が部屋へ入ってきた。
アルベルトの視線が向く。
一人ずつ見る。
冒険者として値踏みするように。
そして。
静かに口を開いた。
「ご苦労だった」
一拍。
「それから——」
机の上に一枚の書類を置く。
侯爵家の紋章入り。
「アルベルト・バイザック侯爵として、緊急依頼を頼みたい」
部屋の空気が変わる。
ギンも真顔になる。
アルベルトがレオンを見る。
「子爵の確保を正式に、[焚火の旅団]に依頼したい」
重い言葉。
もう奴隷商討伐ではない。
貴族が絡んだ国の問題。
レオンは静かに依頼書を見る。
その紋章の重さを理解する。
アルベルトが続ける。
「これは侯爵家名義の正式依頼だ」
「成功報酬も保証しよう」
リーナが小さく息を吐く。
アステアは腕を組んだまま黙っている。
レオンが短く答えた。
「……わかった、奴隷商壊滅が元々の依頼だ、俺たちが子爵を捕まえる」
アルベルトが頷く。
「感謝する」
その声には、先ほどまでより少しだけ本気が混ざっていた。
アルベルトが机の上に地図を広げる。
子爵がいる湖の地図だ。
周辺の森、続く街道。
そして湖畔に描かれた一つの屋敷。
「子爵は現在、この別荘に滞在している」
指で場所を示す。
「ここを襲撃する」
ギンも地図を覗き込む。
レオンたちも前へ出る。
アルベルトが続ける。
「私の依頼書は、この件において全てに優先される」
「現地の兵士。ギルド。すべてだ」
「必要なら全て動かせ」
完全に侯爵権限。
国家規模の命令だった。
アルベルトが地図を軽く叩く。
「それから——」
「君たちが出発した後、私の部隊でバルディアの子爵邸を押さえる」
逃げ道を潰す。
証拠隠滅も許さない。
徹底している。
ルグニスが静かに口を開く。
「今回の件は、すでに国の問題です」
「教会も全面的に協力いたします」
アルベルトが頷く。
そして。
少しだけ声を低くした。
「ただし、気をつけろ」
部屋の空気が変わる。
「子爵の抱えている魔法部隊は、国でも有名な精鋭揃いだ」
リーナの表情が引き締まる。
アステアも真顔のまま地図を見る。
「他の冒険者たちにも依頼は出す」
「だが、おそらく主戦力は君たちになる」
レオンは静かに聞いている。
アルベルトが続ける。
「魔法戦になる可能性が高い」
「油断すれば死ぬぞ」
脅しではない。
事実。
ギンが腕を組む。
「今までの相手とは格が違うってことだ」
短くまとめる。
部屋の中に重い沈黙が落ちた。
その時だった。
コンコン。
部屋をノックする音が響く。
ギンが視線を向ける。
「入れ」
扉が開く。
入ってきたのはセレナ。
そしてマリーナ。
セレナは部屋の中を見ると、すぐにルグニスへ頭を下げた。
「ルグニス枢機卿……」
ルグニスが静かに頷く。
「聖女セレナ、よくやってくれました」
優しい声。
だが、その目には疲れも見える。
今回の件は教会にとっても大打撃だった。
ルグニスが続ける。
「今後この孤児院は、教会は私ルグニスが、そしてバイザック侯爵家の共同管理になります」
「子供たちが安心して住めるよう、本日中に人員が到着するよう手配しております」
一拍。
「なので、もう安心してください」
セレナの表情が少し和らぐ。
「……ありがとうございます」
本心だった。
ようやく。
子供たちを守れる。
そう思えた。
その横で―――。
アルベルトがマリーナへ視線を向ける。
「マリーナ」
声が響く。
マリーナが背筋を伸ばす。
「明日、レオン君たちと共に子爵の捕縛へ向かえ」
一拍。
「侯爵家の権限を使い貴族の務めを果たせ」
重い言葉。
マリーナは静かに頭を下げる。
「……かしこまりました、お父様」
感情を抑えた声。
アルベルトは頷く。
それ以上は言わない。
レオンが前へ出る。
「では、明日の朝一番で出発します」
ギンを見る。
「残りの冒険者たちの紹介も、明日の朝ギルドで頼む」
ギンがニヤッと笑う。
「任せろ」
軽く答える。
だが。
その目は真剣だった。
これでやっとこの長かった依頼が終わる。
誰もが理解していた。
空が赤く染まって、遠くの空が闇を運んでくる夕方の時間。
孤児院の外。
重厚な馬車が並んでいる。
護衛たちも整列し、出発準備を終えていた。
アルベルト・バイザック侯爵。
ルグニス枢機卿。
そしてバイザック侯爵家の姉妹。
一行が馬車へ乗り込んでいく。
ルシェリアは最後まで周囲を確認し。
マリーナは一番後ろを歩く。
―――下を向いてたまま。
そして。
馬車の扉が閉まる。
ゆっくりと動き出す。
レオンたちはその姿を見送っていた。
車輪の音が少しずつ遠ざかる。
やがて見えなくなると。
ギンが大きく息を吐いた。
「……疲れた」
頭を掻く。
「貴族と一緒にいると肩が凝る」
リーナが少し笑う。
「わかる〜」
珍しく即答だった。
アステアも小さく頷く。
セレナは苦笑いしている。
少しだけ空気が緩む。
その後。
リーナがふと視線を落とした。
「……ねぇ」
小さな声。
レオンたちが見る。
リーナは少し考えるように言った。
「マリーナ……あのままでいいのかな」
意外な言葉。
セレナが静かに目を細める。
アステアも黙って聞いている。
リーナが続ける。
「なんかさ」
「ちょっと可哀想だった」
父親。
出来損ない。
無能。
当然のように言われていた。
マリーナは何も反論しなかった。
慣れているように。
それがリーナの中に残っていた。
ギンが空を見上げる。
「……貴族も色々だろ」
短く言う。
レオンは何も言わない。
ただ静かに、去っていった馬車の方向を見ていた。
湖畔の別荘。
次が最後。
空気が少しずつ張り詰めていく。
最終決戦が、近づいていた。
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