第41話 外縁封鎖
翌朝、宿を出た瞬間に違和感はあった。
空気が落ち着かない。
街路を行き交う人々の歩調が速い。
商人たちはまだ店の準備をしている時間のはずなのに、すでに荷をまとめている者がいる。
露店の主人が、何度も通りの奥へ視線を送っていた。
兵士の姿も多い。
普段は門周辺にしかいないはずの警備が、街の内部まで巡回している。
−−−
何かが起きている。
説明などなくても分かる。
街全体が、わずかに張り詰めていた。
前を歩く二人組の商人が、小声で話している。
「昨日の夜、また出たらしいぞ」
「中層の魔物が外に?」
「護衛が一人やられたって話だ」
思わず足が止まりかける。
だが歩き続ける。
嫌な予感だけが胸に残った。
−−−
ギルドの建物が見えてくる。
その時点で、もう異様だった。
入口の前に冒険者が固まっている。
だがいつもの雑談ではない。
声が低い。
短い。
笑いがない。
扉を押し開ける。
瞬間、熱気がぶつかってきた。
だがそれは活気ではない。
——殺気に近い。
−−−
ホールの空気が重い。
椅子を引く音がやけに乱暴だ。
鎧がぶつかる。
武器が床を鳴らす。
誰もが落ち着かない。
「封鎖だとよ」
「冗談じゃねぇ……稼ぎ時だぞ」
「命あっての稼ぎだ」
「単独禁止だと。新人が死ぬぞ」
「もう死んでる」
最後の声は低かった。
振り向く。
−−−
だがその男はそれ以上何も言わなかった。
掲示板の前には人だかりができている。
紙が一枚増えていた。
職員が脚立に乗り、さらに何かを貼っている。
手元が少し震えているのが見えた。
職員ですら落ち着いていない。
その時だった。
−−−
ギルドの扉が乱暴に開かれる。
バンッ!!
全員の視線が跳ねた。
「道を開けろ!!」
怒鳴り声。
四人の冒険者が飛び込んでくる。
担架を抱えて。
−−−
血の匂いが広がった。
鉄の匂い。
温かい、生々しい臭気。
空気が一瞬で変わる。
「回復役!!早く!!」
「しっかりしろ、目を開けろ!!」
−−−
担架の上の男は若かった。
装備も新しい。
革がまだ硬そうだ。
胸が大きく上下している。
腕が裂けていた。
深い。
骨が見えるほどに。
「何にやられた!?」
「分からねぇ!!影みてぇに——」
「外縁だぞ!?」
「外縁でこれかよ……!」
−−−
ざわめきが恐怖に変わる。
新人らしき冒険者が、顔を青くして後ずさる。
奥から神官服の女が駆けてくる。
「こちらへ!」
担架が運ばれていく。
床に血が落ちる。
赤い点が続いた。
−−−
誰も踏まないように、不自然に避けている。
さっきまで文句を言っていた冒険者たちが黙っていた。
現実を見たからだ。
「昨日も一件あった」
誰かが呟く。
「中層が動いてる……」
「ギルド長は何してる」
「もう動いてるさ」
視線が掲示板へ集まる。
−−−
【通達】
外縁部における単独行動を当面禁止する。
中層域魔物出現の報告増加のため。
−−−
紙一枚。
視線の先には、血の跡があった。
(森が、溢れてきている……)
昨日、ギルド長が言った言葉が蘇る。
押し出されている。
まさにその通りだった。
ギルドの喧騒は続いている。
だがそれは日常の音ではない。
嵐の前に吹く、不穏な風のようだった。
担架が奥へ消えても、ざわめきは消えなかった。
−−−
誰もが落ち着かない。
椅子に座っても、すぐ立ち上がる。
酒を頼んでも、手が伸びない。
視線だけがせわしなく動いている。
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床に残った血の跡を、職員が布で拭いていた。
だが完全には消えない。
薄く赤が残る。
それが妙に現実味を帯びていた。
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「外縁であれはねぇだろ……」
「中層の奴が降りてきてる」
「原因は何だ」
「知らねぇよ……知りたくもねぇ」
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空気が重い。
まるで嵐の直前のようだった。
誰もが何かを感じている。
だが正体が分からない。
それが一番怖い。
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「よう」
低い声。
振り向く。
グラードが立っていた。
腕を組み、ホールを見渡している。
その視線は鋭い。
だが慌ててはいない。
状況を測っている目だ。
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「無事だったか」
「ああ」
「報告は聞いた」
短く言う。
それだけで十分だった。
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グラードの視線が床の血に落ちる。
わずかに眉が動いた。
「……もう出やがったか」
独り言のように呟く。
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レオンがグラードに問いかける。
「なぁ外縁封鎖、本気なんだな」
「ギルド長が動いた時点で本気だ」
間違いない、とでも言うような声音だった。
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近くで怒鳴り声が上がる。
「三人じゃ足りねぇ!五人集めろ!」
「回復役はどこだ!」
「依頼の内容を書き換えろ!」
職員が走る。
書類が飛ぶ。
ペンが転がる。
普段は整然としているギルドが、明らかに乱れていた。
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「よく見とけ」
グラードが低く言う。
「これが“異常”だ」
一拍。
「森が牙を剥いた時のな」
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言葉が重い。
ただの例えではない。
経験から出た声だった。
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「怖ぇか?」
不意に聞かれる。
少し考える。
「……正直、分からない」
恐怖はある。
だがそれ以上に、胸の奥が妙に熱い。
戦いの気配に、体が反応している。
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グラードが鼻を鳴らす。
「上出来だ」
「恐怖だけの奴は死ぬ」
「何も感じねぇ奴も死ぬ」
一拍。
「震えながら前に出る奴だけが、生き残る」
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担架を運んできた冒険者の一人が壁を殴った。
「くそ……外縁だぞ……!」
拳が震えている。
怒りか、恐怖か。
その両方だろう。
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グラードが小さく息を吐く。
「いいか、レオン」
声がさらに低くなる。
「しばらく単独で森に入るな」
「分かってる」
「お前はまだ新人だ」
一拍。
「——だが」
視線が向く。
「新人にしちゃ、生き延びてる」
それは最大級の評価だった。
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「牙を斬った判断は悪くねぇ」
「逃がしたのはもっといい」
「勝てる相手とだけやれ」
それが冒険者の鉄則だ。
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その時、ギルドの扉が再び開く。
「次の負傷者が来るぞ!」
空気が凍る。
誰かが舌打ちした。
恐怖が現実へ変わっていく。
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グラードの目が細くなる。
戦場を見る目だった。
「……思ったより早ぇな」
小さく呟く。
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そして、不意にこちらを見る。
「予定変更だ」
「今日から修行を上げる」
言葉が落ちる。
静かに。
だが重く。
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「基礎は終わりだ」
一拍。
「ここからは、生き残るための剣を叩き込む」
心臓が強く打つ。
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「覚悟しとけ」
口の端がわずかに上がる。
笑ったのか、それとも戦いを前にした顔か。
「泣く暇もねぇぞ」
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そう言うと、もう興味を失ったように背を向ける。
「後で訓練場へ来い」
「遅れるな」
それだけ言い残し、歩き出した。
迷いのない足取り。
嵐の中でも揺れない人間の背中だった。
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ギルドの喧騒はさらに膨らんでいく。
怒号。
足音。
金属音。
すべてが混ざり合う。
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だがレオンの耳には、さっきの言葉だけが残っていた。
> 基礎は終わりだ。
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胸の奥で、何かが静かに燃え始める。
恐怖ではない。
覚悟に近い感覚だった。
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森が動く。
ギルドが動く。
そして——自分も。
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嵐は、もう始まっている。
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断言する。
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