第40話 異常報告
ギルドの両開きの扉を押し開けた瞬間、熱気が流れ込んできた。
夕刻前のホールは、冒険者たちで溢れている。
受付には今日の依頼報告をする冒険者がならんでいた。
酒の匂い。
革装備の擦れる音。
笑い声と怒鳴り声。
いつもの光景だった。
——レオンの肩に、巨大な牙が下がっていなければ。
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最初に気づいたのは、入口近くにいた若い冒険者だった。
「……おい、見ろ」
視線が集まる。
会話が一瞬だけ途切れる。
「なんだあれ……」
「牙か?」
「でかすぎるだろ……」
ざわめきが波のように広がっていく。
だがレオンは気にせず、受付へ向かった。
こういう視線には、もう慣れ始めていた。
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「お帰りなさい、レオンさん。本日の報告ですね?」
リズがいつもの柔らかな笑みを浮かべる。
だがその笑顔は——
牙をカウンターに置いた瞬間、凍りついた。
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音がした。
ゴトリ。
重い音だった。
それだけで十分だった。
周囲の数人が振り向く。
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リズの瞳が、動かない。
瞬きすら忘れている。
ゆっくりと牙へ手を伸ばす。
両手で持ち上げる。
予想より重かったのか、わずかに眉が寄った。
断面を見る。
血の跡。
切断の痕。
そして——理解した。
表情が消える。
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「……どこで、これを?」
声が低い。
さっきまでの受付の声ではない。
職員の声だった。
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「外縁部だ。灰青草の群生地の近くで遭遇した」
言葉が落ちた瞬間。
リズの指が、止まった。
本当に一瞬だけ。
だが見逃さなかった。
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「……少々、お待ちください」
言い終わる前に、もう動いている。
椅子が音を立てる。
書類を崩しかける。
それすら気にしない。
早足で奥へ消える。
——明らかに普通じゃない。
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周囲のざわめきが大きくなる。
「おい……何持ち込んだんだ?」
「トラブルか?」
「まさか討伐級か?」
視線が刺さる。
だがレオンは動かない。
ただ待つ。
冒険者としての本能が告げていた。
これは——報告すべき事態だ。
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数十秒も経っていない。
奥の扉が勢いよく開く。
リズが戻ってきた。
呼吸がわずかに乱れている。
だが声は無理やり整えていた。
「レオンさん……こちらへ」
一拍。
「ギルド長がお会いになります」
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空気が変わった。
近くの冒険者が目を見開く。
「……ギルド長?」
「新人が?」
ざわめきが抑えきれない。
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ギルドの奥へ進む。
普段は足を踏み入れない区域だ。
廊下は静かだった。
さっきまでの喧騒が嘘のように遠い。
足音だけが響く。
やけに大きく聞こえた。
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重厚な扉の前で、リズが止まる。
ノック。
コン、コン。
「失礼します。異常報告の方をお連れしました」
沈黙。
返事はない。
だが——
「入りなさい」
静かな声が落ちてきた。
耳で聞いたのか、一瞬分からない。
頭に直接響くような声だった。
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扉を押す。
重い。
中へ入る。
そして——理解する。
空気が違う。
静かすぎる。
音が死んでいる。
無意識に呼吸が浅くなる。
肺が縮むような感覚。
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机の向こうに、一人の男が座っていた。
若い。
二十代半ばに見える。
長い銀髪。
整いすぎた顔立ち。
透き通るような肌。
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エルフ。
だが——
視線が合った瞬間、本能が告げる。
(逆らうな)
理由は分からない。
ただそう感じた。
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「座りなさい」
穏やかな声。
だが拒否という選択肢が存在しない。
椅子に腰を下ろす。
木がわずかに軋む音が、やけに大きく響いた。
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「報告を」
余計な言葉はない。
牙を差し出す。
男は片手で持ち上げる。
重さなど存在しないかのように。
断面を指でなぞる。
血に触れても眉一つ動かない。
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「……外縁で?」
短い。
それだけ。
「間違いありません」
沈黙。
視線が上がる。
射抜かれる。
逃げ場がない。
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「斬ったのか」
「はい」
また沈黙。
時間が伸びる。
数秒のはずなのに、やけに長い。
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「新人にしては——珍しい」
感情がない。
だが言葉だけが重い。
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「状況を詳しく」
質問が飛ぶ。
速い。
正確だ。
位置。
距離。
突進方向。
周囲の魔物。
逃走経路。
風向き。
すべてを答える。
男は一度も口を挟まない。
ただ聞いている。
それだけで、試されている感覚があった。
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やがて牙を机に置く。
小さな音がした。
「押し出されているな」
断定だった。
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「ここ数日、中層域の魔物が外へ流れている」
一拍。
「原因は不明」
さらに一拍。
「だが——良くない兆候だ」
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男の指が机を軽く叩く。
迷いのない思考。
結論が早い。
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「外縁部への単独行動は控えなさい」
命令ではない。
当然の帰結のような声音。
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そして、視線が向く。
「君は運がいい」
心臓が跳ねる。
一拍。
「そして少しだけ——優秀だ」
それだけ。
だが妙に重かった。
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「グラードを呼ぶ」
さらりと言う。
「この件は共有する」
もう話は終わっていた。
「報告、ご苦労」
視線が書類へ落ちる。
完全に意識の外へ出された。
退出の合図だった。
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扉を閉める。
瞬間——肺に空気が流れ込む。
気づけば肩に力が入っていた。
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「……大丈夫ですか?」
リズの声が少し震えている。
「ああ……」
「やはり」
小さく息を吐く。
「あの方の前では、皆そうなります」
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歩き出す。
数歩進んだところで、リズが声を潜めた。
「この街のギルド長は……元Sランク冒険者なんです」
足が止まりかける。
「……あの人が?」
「はい」
頷く。
「見た目は若いですが……とても長く生きておられる方ですよ」
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思い出す。
あの静けさ。
あの圧。
(なるほどな……)
知らずに向き合っていたのか。
化物に。
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「何かが動き始めています」
リズの声は小さい。
だが重い。
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ギルドを出る。
夕暮れの光が街を染めていた。
だが胸の奥に残るのは、別の冷たさだった。
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森の奥。
押し出される魔物。
そして——あの男の断定。
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(これは、始まりだ)
風が冷たかった。
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