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リッチは少女を弟子にした  作者: 川村五円
第二章 聖剣の神子
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第六十四話 未解析の魔道具

 ルドルフはこの数週間というもの、毎夜とある魔道具を調べている。転移門作成の見返りとしてアリアナから得たものである。


 ノーペインという銘のその品は、もとは魔術儀式に使う血液を採るのに使われていたナイフの魔道具だ。このナイフで指先や手首などを切ると、しばし血が流れたあとに傷が跡も残さずきれいに塞がる、というもので、一見なんのことはない魔道具である。しかしルドルフはこの即座に傷を治す効果に強く着目していた。


 実用品としてではない。とびきりの研究対象としてである。


 昨今において即座に傷を治す術といえば神官の法術が最も一般的なものとなっている。しかしかつては魔術にも傷を治すための俗にいう回復魔術というものがあった。それは今では失われた命属性の魔術である。


 ノーペインにはその命属性の魔術がこめられていて、ルドルフはどうにかしてこれを己の魔術で再現できないかと、その糸口を探るべくあれこれと試行錯誤していた。


 その相棒として実験役を務める大トカゲが机の上に乗っている。ノーペインは骨の体では試せないので、そのために飼い始めた大トカゲだ。なお使用感を確かめるためにセラにも一度指先を切ってみてもらったが、名前の通りに痛みはなく、何かを軽く押しあてられている感覚があるだけだそうだ。大トカゲは切られている間も達観した賢者のように大人しい。


「おはようございます、師匠。今日もまたそのナイフを調べていたんですか?」


「おはよう。もう朝か。早いな」


 モーニングコールを頼んでいたセラが書斎に朝を知らせに来た。夜を徹して研究に没頭しているルドルフであるが、こうして呼びに来てもらわないと時を忘れてしまい、何日も何週間もすべてをほったらかして延々机に向かいかねない。一人で引きこもっている間はそれが普通であったが、他人と暮らしている今はほかにもやらなければならないことがあるのでそうもいかない。


「うーん、相変わらず理屈がまったくわからん。魔道具の発動時の魔力痕を見て分析するだけじゃ限界があるな。もう一本あれば躊躇なく分解して術式を直に探ってみるんだが……」


 ルドルフは半分独り言のように言った。


 魔道具の効果を逆算して魔術として再現したり、魔道具の仕組みを解析して模倣品を作り出したり、というのはルドルフが生前から好んで取り組んでいる分野だったが、その難しさはリッチとなった今でも相変わらずだった。


「苦戦しているみたいですね」


 乱雑に置かれたメモの束をのぞきながらセラが言った。そのメモが価値あるものなら弟子とはいえルドルフも簡単に見せはしないが、今のところそれはほとんど無意味な落書きに等しかった。


「そうだな。だが今日はひとつ新しく発見したことがあるぞ」


 ルドルフは一転して嬉しそうに言うとノーペインで大トカゲの尻尾の先をスパッと切り落とした。ここまで深く切るとノーペインの力で傷を治すには不足だ。押さえつけるルドルフの手の下で大トカゲはじたばたしている。


「何をするんですか?」


「こうするんだ」


 ルドルフはノーペインを人差し指一本で保持したまま、親指と中指で器用に大トカゲから切り離されたモノをつまむと、その切断面をくっつけてノーペインの腹を押しあてた。その刀身がわずかに赤い光を帯びる。しばらくしてノーペインを離すと大トカゲの傷は消え、尾は何ごともなかったかのように元通りとなっていた。


 ノーペインの回復効果は対象者の体を切った時に発動する。そして使うと発動に必要な分だけの微量の魔力を使用者から吸い取っていくのだが、ルドルフはノーペインに強引に魔力を注ぐことによって強制的に回復効果を発動させたのだ。


「すごい。まるで神官の使う治癒の法術みたいです」


「だろう。命属性の魔術を解明すれば呪文を唱えただけで同じことができるようになる」


「このナイフを使えば今でも法術と同じことができるじゃないですか! それだけでもすごいです」


「ああ、ただこのナイフで今みたいなことをするには、かなりの魔力を消費するのだ。今のほんの小さな傷でも上級魔術並みの魔力を持っていかれた。実際に大きな傷を癒すのは少し難しいだろうな。あと完全に想定外の使い方だから、あまりやりすぎると壊れないかが心配だ」


「そうですか~……」


 セラはルドルフが魔道具の素晴らしい使い方を発見したと興奮したが、実はそううまくはいかないと教えられて少しガッカリした顔を見せた。


「まあ、いずれは術式を解明してみせるさ。こいつはなかなかの難敵だがな。さ、朝食の用意をしなくては」


 そう言って立ち上がろうとした時、ルドルフはふと異常に気がついた。


「あれ? ジオゲネスはどこだ?」


 ジオゲネスというのは大トカゲの名前である。机の上にいたはずのそれがいない。セラとともに部屋の中を見回すがどこにも姿が見当たらなかった。二人の目線が開いているドアのところでかち合う。


「すみません、ドアを開けっぱなしでした!」


 セラが慌てて走って廊下まで出た。やはりジオゲネスの姿はない。


「やれやれ、朝飯前の一仕事だな」


 二人はジオゲネスを探して部屋を出て行く。


 いくつかの部屋を回ってみるが、逃げた大トカゲはなかなか見つからなかった。


 そろそろ朝食にしなければならない。探し続ける二人がいったん捜索を打ち切ろうとしたその時だった。


 彼らの前に大トカゲではない謎の生物が現れた。つぶらな目をした黒い犬の顔に体は人間という生物である。犬はその哀れげな表情から途方に暮れていることがわかる。


「師匠、このマスクを何とかしてください……」


 ルドルフもセラもその姿に目を丸くしていたが、声でそれがバルドだとわかった。マスクだとはいうが、その顔はとても作り物には見えない。本物の犬そのままだ。


「お前、どうしてそんな姿に……」


 その理由を詳しく聞く間もなく、広間の方から何やら騒ぐ声が聞こえてきた。ひとまず三人でそちらに急ぐ。


「にゃーにゃーにゃーにゃー!」


 するとそこでは茶色い虎猫の頭をした何者かがご満悦な様子で、驚くベルタとシャーロットの周りをはしゃぎ回っていた。生き生きとした表情はまるで生きている猫そのままだ。背格好や服装からすぐにラエルだとわかったが、なぜ朝っぱらから猫頭になっているのかはわからない。


 いや、わかった。


 ここでルドルフは書斎の鍵を締め忘れていたことに気が付いた。そしてマスクは書斎の棚にほかの魔道具といっしょに並べていたものだ。セラを弟子として引き受ける際、アリアナから報酬として手に入れた犬と猫のマスクである。


 ルドルフがやって来たのを見たラエルは慌ててマスクを脱ごうとしたが、それは不可能だった。脱ごうにもマスクと首の継ぎ目がなくなっていたからだ。


 ルドルフはラエルを腹立たし気に呼びつけた。


「そこの猫。ちょっとこっちに来なさい」


 言われた通りラエルはおとなしくルドルフの前にやってきた。


「これ、どうやったら外れるの?」


「知らん」


 怒られそうな気配を察して所在なげに問うラエルに対してルドルフはにべもなく答えた。しかしその答えに悲鳴のような声をあげたのはバルドだった。


「今日は先生が来るのに!」


 今日は剣聖ジルベルトがバルドに稽古をつけに来る日である。犬の顔でも絶望していることがよくわかる表情がひときわ哀愁を誘った。どうしようもなく腹を立てたバルドはラエルを殴ろうとするが、それはいつものように砂の盾に阻まれた。


「やれやれ」


 仕方ない、とルドルフはラエルを叱る前にとりあえずバルドのマスクを外しにかかった。


 この犬のマスクと猫のマスクはすっぽりとかぶるタイプのマスクで、以前、ルドルフが効果を試そうと自分でかぶった時には何も起こらなかったものだ。おそらく生きている人間がかぶらないと効果がないとはわかっていたが、実際に人間にかぶせるのは保留していたものなのである。


 ゆえにルドルフはラエルのいたずらを腹立たしく思う反面、興味深さを覚えてもいた。


 ルドルフがバルドの顔に触れると、骨の手にふさふさした毛の感触が伝わってきた。バルドの方からは顔に触れられた感触が直に伝わって来るらしい。後学のためにセラにも触れさせてみる。


「すごい。もふもふしてる」


 真面目な顔をしたセラは本物の犬にそうするように頭を撫でたり、頬のあたりを手櫛ですいたりしている。表情豊かな犬のバルドが少し気まずそうな顔になるのがわかった。


 調べている間にベルタが「一体全体どうしてこんなことになったんだい」と事情を聞くと、ラエルがルドルフの書斎が無防備になっているのを目ざとく見つけたのが発端だった。


 常ならば不可侵の領域にするりと侵入したラエルは、宝の山のような棚の魔道具を物色し、ふと目についたマスクを手に書斎から飛び出した。そしてちょうど行き会ったバルドにバサッと犬のマスクをかぶせ、それから自分も猫のマスクをかぶったのだった。


 バルドはそのマスクがどうにも脱げないので、ルドルフを探して助けを求めたというわけである。


 それからルドルフはあれこれと試したが、どうにもマスクを外すことはできなかった。


 これは見たところ魔力をチャージする核らしきものが何もついてない。にも関わらず効果を発揮しているということは、使用者の魔力を消費するタイプの魔道具であろう。そう目星をつけてセンスマジックで魔力の流れを見ると、マスクがゆっくりとバルドの魔力を吸い上げているのがわかった。


「ふーむ。このマスクはバルド自身の魔力で動いているものだな。いずれ魔力が尽きれば外れるだろう」


「いつ尽きるんですか?」


「このペースだと……おそらく夕方には?」


「夕方…………」


 バルドは再び絶望の表情を見せた。この場合バルドの無駄に多い魔力が仇になっていた。魔術を使えれば自分で魔力を消費して魔力切れを早めることもできるが、あいにくとバルドは魔術をひとつも習得していない。


 おろおろするバルドのメンタルを慮ってそれからさらにマスクを調べてみたが、やはり任意に外せる機構は備わっていないようだった。


 ラエルは覚悟していたお叱りがなかなか来ないのでいつの間にやら余裕の表情をしていたが、次の瞬間、頭を抱えて倒れた。表情が無になり精巧な剥製のようになった猫のマスクを外すと「痛いよぉ……」とあまりの痛みに涙目になって、よだれまで垂らしたラエルの青い顔が出てきた。早くも魔力切れの症状を起こしている。こちらの魔力はそれほど多くないようだ。


「なんでお前だけさっさと外れてるんだよ」


「うぅ、ごめん……頭が割れそう」


 犬頭のバルドはラエルの胸倉をつかんで持ち上げたが、青い顔をして苦しんでいるのを見ると舌打ちしてそのまま床に投げ捨てた。


「ごべんなざいぃ~。もうじないがらぁ~」


 ラエルはルドルフの足下にしがみついて鼻水を垂らしながら謝る。この激痛をなんとかしてくれというわけだ。


「魔道具にはこういう怖いものもあるんだ。わかったか」


 ルドルフは軽く説教してから、頭痛を和らげるために魔力回復薬を飲ませてやった。一応そういう危険なものを子供の手に届く場所の置いておいた責任もあるので、ルドルフもあまり強くは叱れない。むしろこの程度の品物で良かったと内心胸をなでおろしていた。


 次いで転がった猫頭のマスク拾って「つくづく欠陥品だなこれ」とルドルフは考えた。いや、嫌がらせの道具としては優れているか。


 結局のところ、その日のバルドは犬の顔をしたままジルベルトと稽古に臨んだ。


 ジルベルトは最初だけ「それはどうした?」と事情を聞いたが、あとはいつも通りの平常営業だったという。さすが剣聖ともなるとちょっとやそっとじゃ動じないわけである。

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