第五十九話 不思議な歌声
前回の探索からまた二週間ほどが過ぎたある日、お子様無双は歩みを進めて第九層に向かおうとしていた。
ダンジョンはいいお小遣いになると知ったラエルは「さあ今日も頑張って歩こう~!」と俄然やる気であった。先日からの第八層の探索はなかなか儲かったのだ。
第八層の転移門部屋から第九層に下る階段まではすぐである。
つい最近まで冒険者たちが到達している最も深い階層、最達階層であった第九層は、正真正銘に上級冒険者たちの領域となる。
近年ここに足を踏み入れているのは聖剣旅団と刹那の色彩という、グラナフォートでもトップを争うパーティのみである。ほかにも第九層を探索できる実力を持つパーティはいるが、転移門が使えない者たちにとってこの地の底は少し遠すぎるのだ。
そういう意味でお子様無双はだいぶ下駄を履かせてもらっているといえる。
とはいえ、その下駄があれば誰でも探索できる場所というわけでもない。魔物が強くなるというのもそうだが、何しろ情報が少ない。きちんとした地図すらまだ存在しないのだ。刹那の色彩が探索した時に作ったメアの地図もごく簡単な図形と線の塊でしかない。
そんな未踏に近い道のりをセラたちは今から行こうとしている。これまでとは少し違う緊張感があった。
と言いつつも戦闘についてはまだだいぶ余裕であったのだが。
大振りの曲刀を手にしたバルドがオーガ・ウォリアーと互角の鍔迫り合いをしている。自分の力を存分に試せる相手を前にしたバルドはやはりとても楽しそうだ。
この間拾ったオーガの曲刀はルドルフに詳しく見てもらうとまあまあの業物であった。魔剣としては中の上くらいに分類され、よほど魔術抵抗力の高い相手でなければ切れ味が大きく上乗せされる。重量があるため単純に武器としても威力が高く、バルドの怪力とも相性がいい。頑丈で壊れにくいという点もうってつけだった。
このように優れた武器を使って実力を底上げするのもまた冒険者の定石だ。冒険者たちがより深い階層を目指すのは効率よくお金を稼ぐためでもあるが、強い武器や魔道具を手に入れるためでもある。いい品物ほどおいそれと市場に流れて来ない。自分で探しに行くのが一番確実な入手手段だったりするのだ。
セラがフィジカルエンチャントの魔術をかけると、バルドの腕力はオーガ・ウォリアーのそれを凌駕し、第八層でオーガを切り捨てたのとまったく同様の手並みでオーガ・ウォリアーもあっさり倒した。鎧を着ていようと関係がない。
セラを軸に戦えば上級のエナジーショットのヘッドショットや上級のファイアバーストによる炎の範囲攻撃でこちらもあっさり魔物を蹴散らしていく。ラエルの精霊も絶好調である。地の精霊は地下深くなるほど強くなるらしい。
「今日も楽勝じゃん!」
「うーん、そだねぇ。これは……なんだか楽勝だねえ」
ラエルがはしゃぐ声をメアはちょっと釈然としない様子で受けた。
基本的にダンジョン探索は魔物との連戦になるので、一戦一戦にある程度の余裕を持って勝てるくらいがそのパーティの実力に適した階層ということになるが、そういう意味では第九層も彼らには少し簡単すぎるようだ。
今日は日帰りだけど、次は数日取って第十層に行ってみるかな。いや、うちらと普通に混ざって第十一層に行くのもいいかも、などとメアはつぶやいた。そも実力が同じくらいの者同士でパーティを組むのが目的ならば、彼らはすでに刹那の色彩と組んでも決して足手まといにはならない。
バルドの剣技はまだまだ粗が目立つが、常識外れの腕力や耐久力がその粗を帳消しにしている。セラの魔術は言わずもがな。バルドのために習得したフィジカルエンチャントのキレも前回より増していて、同じようにベルタを強化することも期待できるだろう。ラエルは、まあラエルだ。
「いやぁ、末恐ろしいわぁー」
最後尾から戦いを見守るメアは思わずそう漏らしていた。
そうして二時間ほど進んだある時。セラが不意に立ち止まって何かに耳をすませた。不審に思ったメアが声をかける。
「どしたー?」
「何か聞こえませんか?」
「うん? ああ、これは……獣の唸り声みたいだね。魔物かな」
「なんだか歌のような」
「歌? 言われてみると一定のリズムがあるようにも聞こえるけど。歌ってる魔物なんて見たことないな」
そう言われても聞こえる。聞いたことのない言語。しかし不思議と意味はわかる。
「なんだか悲しげに誰かを呼んでいるように聞こえます」
「へぇ。魔術師だからわかるのかな。面白そうじゃん。行ってみよ」
今日も順調すぎてちょっと退屈を見せていたメアは打って変わって目を輝かせた。
内容がわかるのはセラだけだが、耳をすませば誰にでも聞こえるは聞こえる。一行が声をたどって進むと、歌は進むにつれて大きくなっていく。やがて行き止まりの部屋にたどり着いた。今や人ならぬ声がその部屋の奥の壁越しにはっきりと聞こえてくる。
メアはその壁を隅から隅まで念入りに探った。すると間もなく、どうやら隠し扉とそれを開くための仕掛けらしいものが見つかった。
「開けるよ」
その言葉とともにメアが壁の中央あたりを強く押すと、拳ほどの大きさの円形の一角がゆっくりと奥に沈んだ。続けてガコンと大きな音がして、その円形に追随するように周りの壁が大きく奥にずれ、続いて横にズズズと重くスライドしてゆっくり開いていく。とたんに歌はピタリと止まった。
黙って顔を見合わせ、うなずきあった一行は用心深い足取りでその先に進む。と、すぐに通路は終わり、一面の闇の空間が目の前に広がった。ランタンの明かりの届かない真っ暗な部屋の中に、セラがライトの魔術で大きな光球を高く浮かべる。すると光が浮かび上がらせたのは、床に敷き詰められた金貨銀貨、そしてその上に横たわる巨大な何者か。
漆黒の竜の姿がそこにあった。
「はぇー、すっごい。ヤバいよこれ。こんなん見たことない。お宝もそうだけど、まさか竜だなんて」
メアが思わず興奮を口に出す。一同息を飲んだ。竜というのは伝説的な魔物で長年冒険者をやっていても遭遇することはまずない。
その竜はぐったりと寝そべったままどうやら動く気配はない。呼吸すらしていないようだ。見れば首の根本に大きな傷があり半ば切断されていた。メアの口調がどことなく呑気なのは、それを素早く見て取ったせいである。その体はまだみずみずしく生きているようにすら見える。しかしこの竜は間違いなく死んでいる。
だがその死んでいるはずの竜から不意に声がした。
『同胞が呼びかけに応えてくれたのかと思ったら、まさか人間とはな』
「誰?」
その声は歌と同じく全員に聞こえたが、やはり意味を聞き取れるのはセラだけだった。バルドとメアは魔物の声と警戒し、ラエルは「なんだなんだー?」と呑気に騒いでいる。
『まあ竜語がわかるようじゃし、いくらかは信頼できるか。忌々しいが今はたとえ人間にでも頼るほかはない……忌々しいがのう』
そんなため息まじりの言葉とともに竜の骸の横に新たな竜がふわりと現れた。新たな竜は倒れている竜とまったく同じ姿をしている。すぐそばの骸に比べるとどこかシルエットが希薄だが、四人はその姿を目にするや雷に打たれたかのように動けなくなった。たちまち冷や汗が頬を伝う。自分の命は目の前の存在が気まぐれを起こすだけで消し飛ぶ。だれもがそんな感覚に縛られている。
『ふむ、会話するにはこちらの姿の方がいいか?』
全員が自分を大きく見上げているのに気がついた竜はそうつぶやくなり姿を消し、代わりに黒いシンプルなドレスのスラリとした美女がその場に現れた。セラたちより背は高いが普通の人間の大人のサイズだ。
「言葉は通じるかの?」
同時にその発する言葉も人間の言葉になる。放つ威圧感は変わらないが、セラはかろうじてこくりとうなずくことができた。
「我が名はエレイース。かつてここを住処にしていた黒竜じゃ。すでに死した身じゃが、折り入ってそなたらに頼みがある。聞いてくれるならここにあるすべての宝をそなたらにやろう」
理解の及ばぬ存在を前に、誰もが震えあがって息を殺している。頼むと言っているが、それがしているのは頼み事ではない。
「だが断ることは許さぬ。この場所を知った以上、ただで帰すわけにはいかんからの」
それは有無を言わさぬ命令と宣告であった。
メアがごくりと唾をのんだ。その顔には後悔の色が浮かんでいる。
セラはその黒竜をゴーストであると理解した。俗に幽霊と呼ばれるものである。普通はただの人間がゴーストを見ることはできない。声を聞くこともできない。以前会ったベルタの生霊はそうだった。が、それが強い力のあるゴーストなら話は別だとも師匠から聞いたことがある。黒竜はそうなるべく強い未練を残してこの世を去ったのだろう。
「我の望みはたったひとつじゃ。死した我の代わりにあそこに見える竜の卵に魔力を注ぎ、無事に孵化するまで見守って欲しい」
人の女性の姿を取った黒竜が手を差し伸べて示す先には、セラの背丈と同じほどの大きさの卵があった。金貨銀貨の上に鎮座している。
あまりの恐怖と唐突な言い分に誰もがどう返答したものか窮していると、黒竜は失望のため息をついた。
「できないか?」
そしてまたしばらく固まったままの四人を見守った後、その目が虫けらを見るように冷たくなった。
「やはり無理か。ならばもう消えるがよい」
「待ってくれ! うちらには何のことやらわからないが、代わりにそれができそうな者なら知っている。今からそいつを連れてくるよ」
黒竜が片手をあげて何かをしようとしたその時、メアが必死でそれをさえぎった。
「ほう。そう言って逃げるつもりか?」
「三人を呼びに行かせる。うちはここに残る。それでいいだろう?」
「論外じゃな。呼びに行くのは一人じゃ。竜の言葉のわかる娘。お前はほかの者よりいくらか信用できる。お前が呼びに行ってこい。ほかの者はここに残れ」
メアはこの場所の印をつけた乱雑な地図をセラに渡した。
「これはうちらじゃとても手に負えない。セラ、リッチ氏を呼んできて」
師匠なら必ずなんとかしてくれる。セラはこくりとうなずくと、即座に転移魔術を使った。




