第四十八話 神殿の迷子
「はぐれるんじゃないよ」
「はーい」
ベルタが呼びかけラエルが調子よく返事をする。これはあまりわかっていない返事だとセラは知っている。
「気をつけてね。セラはだいぶ迷子になりやすいから」
バルドがわざわざこちらを向いて言うのにセラは少しムッとした。自分の方がお姉さんなのだ。お姉さんが弟に注意されるのはおかしい。
ついこないだ新年を迎えたかと思いきや、もういつの間にか寒さも緩む時期となった。
セラたちが居を構える山中はまだ深い雪に閉ざされているが、平地ではすでに暖かな陽気が幅を利かせている。あちらこちらで花も咲き乱れ、季節はすっかり気持ちのよい春である。
その日、セラはベルタらとグラナフォートの神殿に来ていた。ラエルとバルドもいっしょだ。この町で活動する冒険者に課せられる奉仕義務のためである。
春のアンデッド掃討。
セラはそのあらましを師匠から聞いた。
神殿が催す毎年恒例の行事で、その名の通り土地土地に出現するアンデッドをきれいに掃除するのがその目的だ。その範囲はグラナフォートの西側からリッチキングの支配する死霊国との境界にまで及ぶ。
人々の活動が鈍る冬の間にも死霊国のアンデッドは変わらず動き回っていて、気づかぬうちに人間の土地に大きくさまよい出てくる。百年ほど前までは、冬の間に町や村が滅ぼされていることがたびたびあったらしい。滅んだ場所は瘴気ただようアンデッドの土地となり、死霊国の領土の一部となる。
そのようにしてどんどんリッチキングの支配地が広がっていくのはたまらぬ、と定期的にアンデッドを退治するようになったのが春のアンデッド掃討の始まりである。
今日全員で神殿に詣でに来ているのはその前準備のようなもので「わずらわしいがこれもセットで冒険者の義務なのだ」と師匠は諭すように言った。全員で、と言ったがさすがにアンデッドであるその師匠は留守番である。
セラが生垣に設けられた正門から敷地内に入ると、グラナフォート最大の建築物が花咲く中庭の向こうに姿を見せた。春の日差しを受けた本館が白く輝くようにして建っている。
訪れた神殿は冒険者を迎えるために繁忙期の活気に満ちていて、アンデッド避けとか軽度の呪いとかに効果のある聖水や、法術の効果を封入した護符などをいつもより多めに並べて売っている。神殿詣でに来た冒険者相手に寄付も募っていて、ベルタらもそれに応じていた。
「そこまで神様をアテにしているわけでもないけどね。ま、ちょっとしたゲン担ぎってやつさ」
ベルタが笑いながらセラにそう聞かせた。
それから一行はアンデッド掃討の冒険者用の礼拝名簿に記帳して、広く天井の高い礼拝堂で祈りを捧げた。その後のことである。
一人でトイレに行ったセラは、みなのいる礼拝堂まで戻ろうと歩くうちに、やがて自分がまったく見たことのない場所にいることに気が付いた。建物の外に出ればどうかと手近な出口をくぐってみれば、そこもまた見たことのない景色だった。屋根のある通路が枝分かれしていくつか並ぶ別の建物へと続いている。ここはまだ神殿の敷地内である。
セラは立ち止まり悩んだ。
転移魔術を使えばすぐに神殿の正門前に戻れるが、神殿内では魔術を使わないようにと入り口で注意を受けているので、それをするのは気が引ける。
となれば礼拝堂のある後ろの建物に戻るか、それとも進んで神殿の敷地から出る道を探すか。
セラは前者を選び、いったん大人しく後ろの建物に戻った。しかし正しいと思う道を選んで礼拝堂を目指したにもかかわらず、いつしかまた同じ場所まで戻って来ている。こうなるとセラにとって神殿はまるでダンジョンのように複雑な空間に思えた。こんなに大きな建物だったっけ……
そこにふと二人の若い女性が通りがかった。法服をまとっているので神殿で働いている人たちに違いない。女らは礼拝堂のある本館から、外に並んだ建物の方へと歩いていく。すれ違いざまにセラに訝しげな目を向けた。
「あのっ」
セラは彼女らがかなり遠ざかるまでためらった末に思い切って声をかけた。道を聞こうと思ったのだ。だが続きの言葉が出て来ない。振り向いた女らは不思議そうな顔でそんなセラを眺めていたが、やがて片方が何かに気づいたかのような顔で、もう片方に耳打ちする。眉をひそめてひそひそ話をした後、なんだか楽しそうにくすくすと笑った。
セラはその間に覚悟を決めて話しかけた。
「す、すみません。礼拝に来たのですが迷ってしまって………………礼拝堂はどちらですか?」
それを聞いた女の釣り目の方が首をかしげて考えこむ表情となる。妙な間があった。そしてまたひそひそ話をした後、たがいに小突きあってくすくすと笑う。そのすぐ後、釣り目がおおげさに驚いた顔を見せ、ことさらに同情のこもった声で言った。
「あらまあ、それは大変でしたね。では私たちが礼拝堂の近くまでご案内いたしましょう。どうぞこちらへ」
ニコニコしながら見習い神官であると自己紹介した彼女らは、自分たちのいる方へとセラを手招きした。本館から離れて別の建物へと向かう方向である。セラはやや不思議に思ったが、これで戻れるという、ほっとする気持ちの方が強い。「きっと近道なのだろう」と深くは気にしなかった。
見習い神官たちはセラを従えて前を進んだ。通路を歩いてやがて建物のひとつに入る。どうやらここは神殿で働く人たちが暮らす長屋のようである。左右に並ぶドアの間をくぐり、やがて入った入り口とは反対側の出口から外に出る。そしてまたもや続く屋根付き廊下をさらに進むと、本館ほどではないがやや大きな建物の前についた。
その大きく重厚な扉の前まで来たところで、見習い神官の小鼻のぷっくりした方が言った。
「さあ、この先をまっすぐ行くと礼拝堂にたどり着きますよ」
開かれたその扉の中をセラはのぞきこんだ。昼間だというのに薄暗く、ロウソクで照らされたその回廊は厳かで近寄りがたい。さすがのセラもその先に向かうのは少し躊躇した。が、案内してくれた二人が笑顔で手を差し伸べるので、そのままそちらへ足を踏み出した。
その瞬間である。後ろから大きな男の声がかかった。
「そこへいるのは何者だ! そこは許可された者しか入れない禁域だぞ!」
セラが振り向くと神殿騎士がガチャガチャと鎧の音をさせながら近づいてくる。
見習い神官がなぜこんなところにいるのだ、と咎められた方の一人が唐突に言った。
「不死の神子が禁域に入らせろと聞かなくて。私たちはお止めしたのですが」
セラは一瞬彼女が何を言っているのかわからず混乱してしまった。そもそも彼女らに神子と名乗った覚えすらない。
「不死の神子? こんな子供がか? かの神子様はもう成人されているはずだぞ」
神殿騎士はセラのことを神子と気が付いていないようだった。セラは事情を説明しようとしたが、喉が詰まってうまく声が出ない。
「まぁ。私たち騙されてしまったのかしら? まことに申し訳ございません」
そんなセラをよそに女性たちが慌てて頭を下げる。だがその声には聞くからに白々しい響きが乗っていた。セラは下を向いた彼女らの顔に、悪意のこもった笑みが浮かんでいるのを見た。
騙されたのは私の方だ。
ようやく気づいて愕然とするセラの腕を神殿騎士がつかんだ。
「ちょっと来てもらおうか」
セラの脳裏にかつて閉じ込められた牢の景色がフラッシュバックする。抵抗したいが体が動かない。頭が真っ白になってしまい言葉も出てこない。
その時、今度は回廊の奥、禁域の方から声がかかった。
「何を騒いでいるのかな?……おや、君は」
それはセラも聞いたことのある声である。暗がりの中から姿を現したのは聖剣の神子サイラス。セラの顔を見て驚いた顔をしている。
不意に現れた聖剣の神子に向かって見習い神官たちは頭を深く下げてかしずき、神殿騎士はセラの腕から手を離さぬまま敬礼した。
「この少女が禁域に入り込もうとしたので捕まえたところです」
「彼女が? 禁域に?」
「はい、不死の神子を名乗る不審な子供です」
「申し訳ございません、私たちがここまで連れてきてしまいました。恥ずかしながら、この嘘つきの娘にまんまと騙されてしまったようです」
生真面目に受け答えする神殿騎士の横で見習い神官の二人は相変わらず白々しい。
「騙されて……なるほど、それは一大事だな」
サイラスはにわかに険しい表情になった。セラはその顔を見て恐ろしくなり、胸がぎゅっと締め付けられたようになった。小さな体をさらに小さく縮こまらせる。
サイラスは険しい顔のまま毅然として言った。だがその言葉はセラに向けられたものではなかった。
「まず騙されてただの少女を禁域まで連れてきたというなら、そのうかつさと愚かさは許しがたい。然るべき筋に連絡して君たちの責任を問うことになるだろう」
謝罪しながらもどこか浮ついた風だった見習い神官たちがとたんに慌てだす。
「そんな! 私たちは被害者なのに!」
「このような場所まで案内したのが仮に神殿に害をなす者だったとしても、君は被害者を気取るのか?」
サイラスの声は怒りを通り越して呆れていた。
「そ、そうです。さすがサイラス様はおわかりでしたか。この娘はアンデッドと与して神殿に害をなす者。私たちは少し身の程を思い知らせてやろうと思っただけなのです。禁域に許可なく足を踏み入れたのですから、きつく罰せられるはずですよね?」
釣り目の方がサイラスに媚びるような声で呼びかけ、伺いを立てた。狼狽を見せつつも、その言葉はまだ半ば得意げですらある。もはやセラを陥れようとしたことを隠そうともしない。その上で「あなたももちろん同意するでしょう?」とでも言わんばかりだ。
しかしサイラスは厳しい表情を崩さずさらに追い打ちした。
「もし不死の神子と知っていて不届きを考えていたならばなお許しがたい。神子への不敬は神への不敬だ。そこの君、彼女らを町の牢へ。神官長代行へは私の方から説明しておく」
「わ、私は何も知りませんでした。彼女が勝手にやったことです」
「何よ! あんたが最初にやろうって言ったんじゃないの! みなに自慢できるだろうからって!」
そこからは嘘、勘違いからの開き直り、責任のなすりあいで二人の言い分は聞くに堪えない混沌そのものだった。セラから手を放した神殿騎士はわけがわからないといった顔で立ち尽くしている。
その言い合いを聞くに、彼女らはたまたま声をかけてきた迷子が不死の神子だと気づいたところで、意地悪をしてやろうと考えたらしい。下僕のリッチを連れていない少女を無力な子供だと舐めていたのだ。醜い罵りあいから、そんな気持ちが透けて見えた。
サイラスはきっぱりと言った。
「念のために言うと彼女が禁域に入ることは何の問題もない。神に選ばれた神子なのだからね」
そしてまだ不安そうに推移を見守るセラに優しく笑いかけた。




