第四百十六話 次の魔王候補
絶海の孤島の奥深くに隠れた小さな小屋の中で、ディアドロは窓際に座って本を読んでいた。その顔にいつもの笑みはなく、静かなまなざしがゆっくりと文字を追っている。
午後の日差しの差し込む部屋の隅にはこれから読む、あるいは読み終わった本が乱雑に積み上がっている。本のほかには小さなテーブルと椅子、それと少しの荷物があるだけの殺風景な景色だった。
不意にドアをノックする音がした。
「どうぞ」
「失礼いたします」
ディアドロが笑顔を作って顔を上げると、外から入ってきたのはダムレイである。
「これはこれは、ダムレイ君。久しぶり、というほど時も経っていませんが、どうかしましたか? まあ座ってください」
ダムレイは仏頂面のまま短い挨拶を返すと、言われるままにテーブルの傍らに置かれた椅子に腰を下ろした。ディアドロが向かいに座るのを待ち、おもむろに書類の束を差し出す。
「西方大陸に新たな魔王を立てることになりました。そのための意見が欲しいと、長からです」
ディアドロは軽く書類に目を落として言った。
「私は配流の身なんですが。そういうのは今はアスター君の仕事ですよね?」
「ですので内々のお伺いです」
現在、ディアドロは遠島に流刑の上で蟄居を命ぜられていた。
フィーネの起こした一連の騒動では西の魔王の軍勢に壊滅的な損害が出た。その責任を取らされたのだ。
ダークエルフが総意としてキルケを廃し別の魔王を立てると決めたにもかかわらず、ディアドロの独断専行がガスコインの介入を招いたのだから言い訳のしようもない。それがなければ中央大陸の半分以上はまだ自陣として維持できていただろう。
第二席という席次も失い、客観的には失脚したということになる。それを本人がどう思っているのか、その笑顔からはうかがい知れない。
ダムレイは言った。
「アスターはすでに二人の魔王候補を選び出しました。長はあなた様にその選択の答え合わせをして欲しいそうです」
ディアドロはため息をつき、書類の束を手に取った。そしてパラパラとめくって目を通す。
「どの候補もパッとしませんねえ」
書類の束は西方大陸の新しい魔王候補たちのリストである。特徴を捉えた挿絵とともに様々な種族の目ぼしい実力者たちの名前と詳細が書かれている。年齢、出身、現在地、係累、経歴、人となり、強み、弱みなどなど。
「でもまあ選ぶならこれとこれですかね」
ディアドロは束の中から二枚を引いてダムレイの前に置いた。ダムレイはその二枚をちらと見て尋ねる。
「一応理由をお聞きしても?」
「アスター君ならこれらを選ぶでしょう」
ダムレイはしばし沈黙した。実際それは当たっていたが、答え合わせとはそういう意味ではない。だが指摘はせずにただ続ける。
「いえ、あなた様の見立てをお聞きしたいと」
「私には別に意見はありません。どうせ仮のまとめ役でしょう。魔王の力を得れば誰でもそれくらいは果たせる」
「それでは困ります」
ダムレイは二枚のうち一枚を指差して言った。その種族はトロールだ。
「無双の武勇ながらも性残忍、ささいなことですぐ部下を殺す、とあります。上に立たせれば余計な損失を生むのではないかと、長は心配なされているようです」
「相変わらず性根が柔ですねぇ、あの娘は」
「ゆえにあなた様の首もまだつながっているのだと思いますが」
「ははは。そこはありがたいと思っています。まあ、いいじゃないですか。暴君。その損失に自分が含まれないよう、部下たちも懸命に働くわけですよ。そのやり方で勝てるかは、それこそ時が答え合わせしてくれます。というかそんなことアスター君に直接言ってくださいよ。わざわざ罪人に聞きに来ないでください」
「是非、あなた様のご意見をと」
ダムレイは引き下がりそうにない。
ディアドロは諦めたように書類を一枚一枚、机の端から端まで並べ、改めて俯瞰するように眺めた。その書類の中にはもはや人間の姿はない。幾枚かある獣人の似顔絵にもすべて獣の頭が書かれている。
やがてディアドロは広げた書類の中から二枚ではなく三枚を選び出した。
「私ならこの三名ですかね。相争わせて切磋琢磨させる気なのでしょう? でしたら二大勢力より三すくみの方が面白くなると思いますよ」
ネズミの獣人、ゴブリン、オーク。いずれも大した能力を持つとも思えない顔ぶれであったが、西の魔王の死によって始まった混沌の中で、いくらか頭角を現しつつある者たちだ。その原動力は大陸に覇を唱えんとする、不相応ともいえる野心である。
極北の魔王からこちら、ディアドロはひとつの傾向を感じていた。それは王として力を振るうことに無自覚なものを魔王としても、あまりいい結果にはならない、という傾向である。
魔王自身の実力や、有能な補佐の存在、あるいは運などによっていいところまでは行っても、あと一息を埋める執念や底力に欠ける。特に逆風にさらされると容易く脆いところが露呈してしまう。
ならば次はその選考基準を変えてみたらどうかというのがディアドロの思惑だ。実験的なことではあるが、あるいはその中から思いがけず本命が出てくることもあり得る。
彼らを選んだ理由を説明するついでにディアドロは言った。
「キルケの才はいい線いってましたし、側近にも恵まれましたが、そういうところが足りませんでした」
そしてひとつの成功例についても語る。
「一方でガディレルム。あれはなかなかいい。まったくの想定外でしたが、ガディには王たらんとする気概と資質があったということですね」
あれが寿命を迎える頃、もっと長命種にうまく首をすげ替えるか、あるいは没後の混乱に乗じて再び侵攻の機を得られるといいのだが。それまであと数十年。しばらくは西方大陸の魔物たちにも力を蓄えさせつつ、本命の魔王を用意したいところである。
ダムレイはその意見にうなずきつつも言った。
「しかしその理屈ですと、ご執心のリッチも本命たりえないということになりますね」
感じた矛盾を思わず口にしてしまったのだ。ディアドロはニヤリと笑う。
「ルドルフ殿は……フフフ。まあ彼も不死者になって日が浅い。百年、二百年と経てばまた考え方や在り方も変わっていくでしょう。人の心は移ろいやすいものです。長い目で見ていてください。どう働きかけるか、私もこの休暇中に色々と考えてみるつもりです」
ダムレイは黙したまま表情も変えずにディアドロの顔を眺めている。
「まだ言うのかという顔ですね。私もそろそろダムレイ君の表情を読めるようになってきました」
ディアドロは愉快そうに笑ってからルドルフ評を続けた。
「なんだかんだ、あの方は律儀で真面目なところがありますから。役割を与えれば役割に自分を合わせて容赦なく仕事を進めるでしょう。試行錯誤する時間はいくらでもあるんです。なんとかしてその役割に押し込んでしまえば、魔王を束ねる大魔王になることすら可能なんで……」
「その律儀で真面目な方についてですが」
ダムレイは放っておくと際限なく長くなりそうな元上役の話を早々に切り、追加の書類を一枚提出した。
それに目を通したディアドロは書類を放り出し、天を仰いでパンパンパンと手を叩く。最上級に感極まった時の仕草である。
「神託による抹殺指令ですか。悪神直々のお声がけとは、何百年振りです? こんなこと」
善神がエルフに神託をもたらして神子に使命を課すように、悪神も神託によってダークエルフに指令を与えることがある。そこには今後、永劫の禍根となり得る件のリッチを速やかに抹殺せよとあった。
ディアドロはしみじみと言った。
「昨今の件がよほど腹に据えかねたんでしょうねぇ。しかしリッチは敵に回すとやっかいですよ。あの時、私が何のためにキルケとセラさんを諦めたのやら」
「その際の敵対的発言も問題視されたのではないかと」
ダムレイはその時にあった一部始終を長に報告している。それが彼の仕事だからだ。
任には選ばれたダークエルフが複数で当たる。
「まさか私がその担当に?」
「いえ、担当はほかの者が。あなた様には邪魔をしないよう釘を刺しておけと言われました」
「邪魔など。だいたい私はここから出られませんし、手の出しようがない」
ダムレイはわずかに眉を上げて疑わしげな色を見せた。
ディアドロは意に介さず続けた。
「しかしその指令に関して、ひとつだけ助言はさせてください。万端の準備を整えてから仕掛けないといけませんよ。あの方は臆病ですから。もし討ちもらせば加減なく、全力でこちらを叩き潰しに来ます。もう大丈夫、という安心が得られるまでは止まらないでしょう。なりふりかまうことはありません」
さすがに倒せないことはない。だが手段を選ばぬリッチを相手にこちらの損害も甚大なものとなるだろう。そうなれば後に笑うのはエルフのみである。
「さすがに神託は無下にできませんが、リッチキングを倒すまでに三百年かかったんです。それくらいのスパンで考えてもらうのがいいんじゃないですか。速やかにと言われても今すぐには無理がありますよ。今はやっかいな者たちも大勢そばにいる」
ダムレイが黙っているとディアドロは笑顔のまま肩をすくめて続けた。
「かばいだてと思われるならどうぞご自由に。まあ私は劣勢も嫌いではありません。むしろ好物です。と、長にはそうお伝えください」
それからディアドロはまた愉快一色に目を輝かせて言った。
「しかし悪神の逆鱗に触れし者ですか。さすがです」
再びパンパンパンと手を叩く。
「その彼が魔王になったとしたら、これはどういう状況になるんですかね。これはルドルフ殿を是非とも魔王にしたい理由がまたひとつ増えました。そうなった時、長がどんな顔をするか楽しみです」
変わらぬ元上役のこだわりを聞き、ダムレイはひとつ大きくため息をついた。




