第四百十五話 大きな記念の日
新緑がまだ青さを残す六月の頭。いよいよセラがルドルフの弟子を卒業する日がやって来た。
最後のひと延びのせいで、四月下旬に予定されていたセラの卒業パーティーはまた延期となっていたが、なんとか卒業のちょうどその日にみなの都合を合わせることができ、つつがなく開催と相成った。
ようやくこの日が来たかと思うと、さすがのルドルフも感慨深い。ひとつやり遂げた。そんな達成感しかない。
足掛け九年。丸八年以上。過去で過ごした年月も含めると十八年。長かったような、あっという間だったような。ともあれ極北の魔王討伐の旅にも負けない、起伏に富んだ日々ではあった。
卒業の日とはいっても朝から特別なことをするというわけでもなく、ごくいつも通りの午前中を過ごした。昼が近づいてくるとセラはそれまでやっていた魔道具作りを切り上げ、改まった調子でルドルフの前にやってきた。表情がわずかに硬い。
「もういいのか」
「はい。キリのいいところまで行きましたので」
「では、これにてお前は我が弟子の務めを修了したこととする。長い間、ご苦労だった」
「こちらこそ長い間ありがとうございました」
年月の重みの割にはあっさりとした師匠のひと言に、弟子は深々と頭を下げた。
それからセラは右手の人差し指にはめていた結界の指輪を外そうとする。これは本来師匠の所有物だ。ゆえにもとの持ち主に返そうとしたのだったが、ルドルフはそれを止めて言った。
「ああ、いい。せっかくだからそれは餞別にやろう。すでに仕組みのわかっている魔道具だ。俺にとってさほど興味を引く品物ではない」
セラは指輪をはめた方の手を、もう片方の手で大切そうに握りしめると、まるで抱き締めるように体を丸めた。
「ありがとうございます」
その目にわずかに涙をにじませ、穏やかに微笑みながらそう言った。
その後、二人はグラナフォートに向かい、ベルタの勤める食堂を訪ねた。
これから行われるセラの卒業祝いのパーティーはガスコイン討伐の慰労会も兼ねている。
「セラお姉!」
「フォルちゃん」
店のドアに取り付けられた鐘が成り、ルドルフとセラが入って来たのに気づいたフォルエラが店を横切って走って来た。そのもといた一角にはエレイース、サモアード、それにペレディルス。ベルポラスまでいる。相当にいかつい面子である。その中で平然としてもそもそと焼き菓子をかじっているヌイがせめてもの箸休めといったところだ。
貸し切りとなった食堂にはほかにも多くの先客がいた。
「皆さん、こんにちは。今日はありがとうございます」
ぎゅ~っと腰回りを抱き締めてくるフォルエラを引きはがして、セラは店の中に向かってお辞儀する。今日の主役と、その添え物のリッチを歓迎する声が方々から飛んだ。
セラはフォルエラに引っ張られて竜たちのテーブルに向かったが、その途中で会う顔に軽い挨拶を忘れなかった。
入り口の一番近くの席にはラエルとアクィラが座っていた。「ここんとこまた少し夜が冷えるからね。僕らアンデッドだし寒いの平気だから」とはラエルの言である。「あとアタシら別に食べねぇし」と言ったのはアクィラだ。「食べない組はここに座ろうかね」とルドルフもその席に座った。
「私も食べない組かなー」
いつの間にかルドルフの後ろにいたルクリアがその隣の席に座る。彼女は今、ルドルフの管理下に置かれ同居している。その同居を押し付けたのはもちろんアリアナである。
「美味しそうなものならそこにあるけど……」
そんな捕食者の視線を受けて居心地悪そうにしているのは、同じテーブルに座るエデとフェリーナだ。ルクリアの目から見ると、彼女らはまさにご馳走に見えるらしい。だが彼女らが居心地悪そうにしている原因はほかにもある。同じ席に圧の強いハゲ頭の大神官様が座っているのだ。
「こら、お仲間を増やしたりしたらタダじゃおかんぞ」
「増やさないよー」
いや、現在は元大神官様だった。ガーモントはあれからすぐに大神官の座を後任に譲り、隠居してウルムトで暮らし始めた。
引退の理由は老齢に体力の限界を感じて、ということだったが、それは明らかに嘘に違いない。引退してからはなんやかやと理由をつけつつ、ルドルフとルクリアを訪ねてくるようになってうるさいったらなかった。
ちなみに今日のエデは往年のようにこざっぱりした格好をしている。フェリーナの仕事であろう。
暖炉の近くの席ではシャーロットとマルクがようやく恵まれた子宝の娘をあやしており、メアがその様子を何か感銘のまなざしで見守っている。
その隣の席ではサイラスが「子連れでかまわないなら我々も連れて来ればよかったかな」などと言い、「さすがに王子と王女は……」とザイオンが苦笑している。リズとルインは昔そのままの調子で気さくに話していて、王妃エレノアの微笑む姿もある。エレノアの腹はまたしても少し大きくなっており、どうやら第三子が生まれつつあるとのことだ。サイラスはそう言った面でもすぐれた王であり英雄といえる。
「おや、セラ。いらっしゃい」
ベルタが店の奥から顔を出してニッと笑った。
「ちょっと早いが主役が来たなら始めるかい」
その言葉を合図に、店主とベルタが腕によりをかけた料理が次々とテーブルに並び始めた。おかみさんもせっせと給仕している。穏やかな初老の夫人はこの錚々《そうそう》たる客の陣容にも物怖じすることなく、いつものマイペースだ。
飲み物も行き渡ったところでベルタがルドルフの側まで来て言った。
「じゃあ、旦那。乾杯の音頭を頼むよ」
「俺か? 飲む物もないってのに」
「ほら、とっておきの酒だよ」
ベルタが琥珀色の火酒で満たしたグラスを渡す。いつの間にか店の中はしんと静まり返り、すべての視線がルドルフに集中している。フォルエラとヌイに挟まれて座るセラもこちらをじっと見ていた。
観念したルドルフがグラスを手に立ち上がった。
「えー……」
そして何かを言おうとした時、アリアナとバルドがほぼ同時に店に飛び込んできた。
「よかった。間に合ったわね」
呼吸を外されたルドルフは恨みがましくアリアナを睨んだが、彼女は気にする様子もなくルクリアの隣に座った。バルドは奥までつかつかと歩き、セラの向かいの席に座る。
「ほら、旦那」
タイミングを失って立ち尽くすルドルフをベルタが再度促した。
「……乾杯!」
とにかく言えばいいのだ。少しヤケクソ気味のルドルフの声を合図に店中に乾杯の声が響き、それぞれのテーブルが騒がしくなり始めた。ルクリアを挟んで座るアリアナがルドルフに向かって言う。
「もっと気の利いた挨拶とか何かないの? 弟子の門出だっていうのに」
「うるさいな。こういうのは下手にダラダラするよりも短く締めた方がかえって気が利くというものなんだ」
それからまだスクアージ、エスカーレ、セネオラなど幾人かの来客もあり、宴は夜まで続いた。
パーティがお開きになっても、客たちは余韻を惜しむようにしばらく席を立たなかったが、やがて一人、また一人と席を辞し、初夏の心地良い夜の空気の中に消えていった。
一番後に残ったのはルドルフ、セラ、バルド、そしてアリアナである。ベルタは後片付けに厨房に引っ込んでいる。
「師匠、アリアナさん。今日は本当にありがとうございました。こんなに素敵な記念の日にしてくれて。私、この日のこと、絶対に忘れません」
そう言い終わるとともに、その目からとめどなく涙があふれ、たちまち顔をぐしゃぐしゃにした。バルドがその肩をそっと抱くと、セラはバルドの胸に顔を押し付けて、できうるかぎり声を殺して嗚咽しはじめた。
黙ってそれを見るアリアナの目にもわずかな涙が浮かんでいる。
オーガの目にも涙。
そんな言葉がルドルフの頭をよぎったが、かろうじて口にするのは抑えた。
しかしアリアナは何かを察したようにジロリと目を向けた。
「なに?」
「なんでも」
とぼけたルドルフにアリアナが絡み始めた。そのいつも通りの光景にセラは涙を拭いながらパッと花の咲いたような笑顔を見せた。




