第四百十四話 新しい旅
西の魔王が死んだ。
その報はあっという間に各地を駆け巡った。
魔王の軍勢の襲来を警戒していた南方大陸や北方大陸はもちろん、長らく戦火に怯えていた中央大陸の人々にはひときわ大きな慶事として受け止められた。
その死は中央大陸で殺戮された人々が無念のアンデッドと化して成し遂げたものだとされている。追い詰められた西の魔王は軍勢を率いて故郷の大陸へと撤退する途中、ひときわ強大なアンデッドとの争いに敗北して命を落とした。アンデッドは魔王を討ち果たすと自ら滅びを望み、大神官と聖剣の神子によって速やかに祓われたという。
と、それがエルフならびに神殿が表向きに伝えた話である。
吸血鬼の話などはどこにも出て来ない。ガスコインとフィーネによって生じた事件も知る者はごくわずかに限られていた。さらに言えば、西の魔王が人間だったなどという話も誰も知らない。噂に与太話として語られる程度である。
これまでの歴史がそうであったように、人々の知る必要のない真実は風に流れて消えていく。
あれからしばらくの時を置いて、ルドルフとセラは残り少ない師匠と弟子の時間を再開していた。
昨年末から取り組んでいた調薬の授業は基礎段階がほぼ終わり、すでに切りのいいところまで来ていた。ルドルフがいない間もセラが独りで自習を進めていた結果だ。もう基礎で教えることはない。魔道具の扱いなども含め、応用段階は独り立ちの後、実践と経験を積んで学んでいくことになるだろう。
そこで再開したルドルフの仕事は、独立したセラがどう歩んでいくかのサポートや相談が主になっている。師匠としてセラの成長を見守る日々がそろそろ終わるのだという実感があった。
そうした粛々《しゅくしゅく》としたカウントダウンの日々の中、セラはちょっと元気がない。
どこか陰のある表情は、間もなく訪れる別れのことだけでは説明が難しい。
そうしたある日のことである。
ルドルフはセラに一体のドールを引き合わせた。飾り気のないシャツとズボンにフード付きの外套、頭の両側に羊の角を生やした年の頃十二、三といった子供が琥珀の瞳をセラに向けている。
「これは……アンブローさんの?」
「ああ、アンブローからもらったドールだ。ちょっと動かしてみたんだが、セラに会いたいと言ってな」
「私に?」
セラはちょっと不思議な顔をした。それから何かを承知した風に微笑する。
「それは師匠がそう言う風に作ったからですよね。何かの遊びですか」
魔術師が組み立てるドールには疑似魂魄と言う人工的に作り上げた魂を入れる。それは本物の魂を持つ人間に比べれば拙い受け答えしかできないが、うまくチューニングされた疑似魂魄は限られた表情や語彙力でも人を楽しませ、和ませることができる。
「どうかな」
ルドルフがそう言って両者を向き合わせると、ドールは黙ったままじっとセラを見ている。セラもなぜだか黙ってじっと目を合わせた。
やがてドールがおもむろに口を開いた。
「私のこと、わかる?」
会ったことのない顔。聞いたことのない声。しかしそのいたずらっぽさを隠せぬ声の調子がセラに直感を与えた。
「……キルケ?」
半ば問うようにセラがその名を発すると、ドールはニコリと笑った。
「そう。私よ。言っておくけど、疑似魂魄ではないわ。本物よ」
セラは喜びが三割、戸惑いが七割くらいの得も言われぬ顔になり、答えを求めて師匠を見上げた。
「驚いたか?」
ルドルフはセラに語って聞かせた。
アンブローのボディに入っているものが、実はブロンダイクの息子の魂であると聞いてから、自分もいつかドールに本物の魂を入れてみたいと考えていた。するとそこにちょうどいい魂が手に入ったので、実際にそれを試してみたのだと。
「本人からはきちんと了承を取ってからやったぞ。そこは苦労したんだ」
「最初は全部余計なお世話って思った。けど、私がそうするなら先生も消えないでいてくれるって言うから……」
もともとキルケを助けた後、レオーネはただの死体に還るつもりだった。
助けられたキルケがレオーネの胸で泣いてばかりいたのはそれを聞いていたからだ。魔王としての役割も果たす気力はもうない。もともとの一番はじめは先生と離れ離れになりたくなくて始めた仕事だったのだ。その先生とも別れなくてはならないのならば、もう命も必要ない。生きていたって意味がない。
だがレオーネがそれを撤回するならば話は別だ。
キルケがそれを望むなら、という条件でレオーネはそれを承諾した。そして先生がそばにいてくれるならばとキルケもそれを了承した。にわとりたまごのような話だが、とにかくそれで事は丸く納まった。
ついでに言うと、キルケを復活させるために与えるボディは非常に貴重な品だ。ルドルフにとってもそれを身近で守護する者がいるのは非常に収まりがよかった。誰も損のない話である。
なおこれは情けではない。あくまでキルケの命を救えなかった契約不履行の補償である。
浴びせられたあまりの情報量にセラは固まっていた。ややあって小さく笑いを漏らす。
「師匠の魔術は、やっぱりすごいですね」
セラは笑いながら涙を流していた。そしてそっとキルケの頬に触れる。
「あったかい」
そのキルケの頬にもいつしか涙が伝っていた。
「すごい。涙まで流せるのね。この体、まるで本当に生きているみたい。本当にすごい魔術だわ」
セラとキルケが二人して互いの涙を拭っていると、ルドルフが面映ゆげに訂正した。
「俺の魔術ではない。大魔術師ブロンダイクの技だ」
それからしばらく黙って見つめ合った後、セラが尋ねた。
「キルケはこれからどうするの?」
「旅をしたいと思ってる」
ドールとなったキルケにもはや魔王の力はなかった。ゆえにもう魔王の呪いもない。ディアドロの口ぶりでは、キルケをアンデッドにしても魔王の力は消えないようだったが、魂だけをドールに移した場合、それは受け継がれなかった。
今の彼女は魔王の宿命からも解放されている。
とはいえ、西の魔王としてすでに積み重ねた業はその瞳に一抹の陰を宿していた。
キルケは静かな瞳でセラの目を見ながら言った。
「とにかく色々なものを見て、色々なことを考えてみたいの」
その瞳に向き合うセラの口から何気ない言葉がぽろりと漏れた。
「……私もいっしょに行っていい?」
キルケは眩し気に目を細めて少し困ったように笑った。しかし迷わず答える。
「悪いけど、それはまた今度ね。最初の旅は二人で始めたいの。きっと楽しいだけの旅にはならないだろうから」
キルケが視線を自分の背後の部屋の隅に送る。セラがつられて見ると、そこには旅装の外套にフードを目深にかぶったレオーネの姿があった。視線に気づいたレオーネは軽く会釈した。
「そっか」
セラは少し残念そうに笑った。
「でもそう言ってくれてうれしい。いつかきっと必ず、またいっしょに旅をしましょう」
「うん、いつか」
それからも二人はとりとめなく色々と話し、やがてキルケが去る時間となる。その際、ルドルフは彼女に改めて言い含めた。
「そのボディは重要な研究素材だ。少なくとも年に一度はここに戻れよ」
「わかってるわ」
笑いながらキルケが去った後、セラは苦笑とともに師匠を見上げて言った。
「フラれちゃいました」
しかしその顔は今朝までと違って清々しい。まったくいつも通りのセラだった。
曇りの去ったその顔に、ルドルフもまたせいせいした気持ちとなった。




