第四百十三話 最後の師匠問答
ルドルフは無明の暗闇の中で目を覚ました。固い地面に手をついて体を起こす。
唱えたライトの魔術が照らし出したのは洞窟の中の閉鎖空間。ここはワレドナ村にほど近い獣人ダンジョン奥深くの隠し部屋だ。誰にも知られぬ隠れ家である。
出口も入り口もない部屋には一応タンスや棚、机や椅子といった家具類が置かれている。立ち上がったルドルフはその素っ気ない椅子の背もたれに手をかけた。
そして座らずに持ち上げてひっくり返し、木製の座面を力ずくで引きはがす。するとはがれた座面の下から銀盤のアミュレットが顔を出した。今まで予備の命を保存していた『魂の器』の器物である。この部屋自体に魔術の警報は仕掛けてあるが、万一曲者が侵入して来てもすぐにはこの重要アイテムが見つからないようにするため、少し念の入った隠し方をしていたのだ。
これは今年の八月には絶対に作り直さないといけない。
ルドルフは内心でそう確認した後、次元収納にその器物をしまった。入れ替わりに取り出した新調のローブをはおり、黒い杖を突く。
あれから三日が経っているはずだ。セラたちはもう今頃はウルムトに戻っていつもの日常を取り戻そうとしているところだろう。
ルドルフはセラの涙顔を思い出して少し物思いにふけると、おもむろに転移魔術を唱えた。その行き先は皆が待つホームではない。
現れたのは宵闇の港町エスワラゥ。帰る前に訪ねる約束がある。
しばらくの後、薄暗いランプが照らす小屋の一室で、立ったまま向き合っている影がふたつあった。片や巨漢の偉丈夫、片やさらに巨大な骸骨。二人が並ぶと部屋はやけに狭く感じられた。
ルドルフは神妙に頭を下げた。
「すまなかった。約束を違えてしまった。キルケの命を救うことができず」
「いや、約束なら果たされている。ヴァンパイアから救うことはできたのだ。その先のことで誰かを責めるというなら、その責はまだ敵地だというのに気を抜いた我にある」
謝罪を受け流すレオーネの瞳はいつも通りの静けさだった。
「それに弔いを出してやることもできた。亡骸は火によって清められ、もはや誰かに利用されることもない。遺灰はこの大陸でキルケが故郷と呼んだ土地に葬った。あの地で眠ることは本望だろう」
坦々と語るその姿に悲しみの色は微塵もなかった。だが悲しみがないはずはない。きっとこの男は沈着な顔の裏に色々なものを隠している。
ルドルフが黙っているとレオーネは言った。
「さて、これで我がこの世に留まる理由は何ひとつなくなった。もはや猶予も不要。きれいに終わらせてくれまいか」
ルドルフは言った。
「その前に……少しキルケの話を聞かせてくれないか。セラはあの娘のことをずっと気にしていた。悲しみの慰めになるような話を何か聞かせてやりたい」
沈黙したままのレオーネに対して重ねて言う。
「お前が直接話してくれるのでもいいが」
「フッ、それは遠慮しておく。貴殿の弟子が覚えておいてくれるのにキルケも悪い気はせぬだろう。ひとつふたつ物語をしようか。せっかくだから明るい話がよかろうな」
レオーネは遠い目で小さく微笑むとキルケとの馴れ初めから話した。
敗残者の末裔として山奥の小さな庵でひっそりと暮らしていたレオーネのもとに、ダークエルフがある日ひとりの少女をつれてやって来た。暗く濁った目をした少女は大男が不愛想に差し出す食事をおずおずと受け取り、やがて魔術の師と弟子としての生活が始まった。
二人の生活はしばらく静かなものだった。キルケは猜疑に満ちた目でレオーネを見つめ、レオーネは懐かぬならそれでかまわぬと最低限の世話と修行を施す。だがそのようなぎこちない共同生活の中にも色々な出来事があり、徐々にそこはかとない絆が育まれていった。
やがて生活の便のために近くの獣人の里に移り住むと、キルケの表情は大きく変わった。誰も彼もが彼女に優しくしてくれる。レオーネのものとは違う、あけすけな優しさが彼女の周りにあふれた。そうなるともう人懐こく馴れ馴れしい。まるで長年虐げられていたとは思えないまっすぐで好奇心に輝く瞳を見せるようになった。
あれは魔物たちと心を通わせることのできる魔王の力に感謝していた。その力のおかげで不幸を抜け出せたのだと考えていたようだ。その実はその呪いのおかげで不幸になっていたのだが。
ともあれようやく得た夢みたいな幸せと引き換えに、キルケは魔王としての務めを果たし始めた。その結果がどうなったかは知っての通りだ。
「楽しい話をと心掛けてもどうにも陰のある話にたどり着いてしまうな。だがあの娘がそういう娘だったのだと、貴殿とその弟子にだけでも覚えておいてもらえるとうれしい」
ルドルフは尋ねた。
「魔術の弟子としてはどうだったのだ。俺も弟子にはなかなか手こずった。是非今後の参考にしたい」
「手こずった、か」
この日初めてレオーネの口角が大きく上がった。
魔術師の弟子としてのキルケは、魔王の力で下駄は履いているにしてもすさまじい速度で上達した。もともとの才もあったのだろうが、何よりも必死だったことが大きかった。魔術師として不出来なら元の人間たちの町に戻されると思っていたようだ。ダークエルフにそのように言われていたと、かなり後になってから知った。
手こずったといえば、むしろその必死さから来る無理をたしなめるのにいつも手間取った。あれもこうと決めたことにはなかなか引き下がらない。
ルドルフはその話に親近感を覚え、自らもセラの話をした。彼女も最初は生きるため、必死でルドルフに弟子入りを志願し、必死で魔術の修業に邁進した。
「俺の方は魔王の力があるだなんて知らなかったからな。呪文を聞いただけで覚えるなど、最初は訳がわからなかったぞ」
セラも神子の使命を課されていたが、あれが魔術の道に邁進したのはどちらかというと純粋な興味からだった。ルドルフもやはりのめり込みすぎを抑えるのに腐心し、普段は大人しいくせに決めたことは頑として譲らない弟子の色々に苦労した。
ルドルフとレオーネの魔王の師匠としての驚きや手応えにはなかなか共通するところが多く、それは思いのほか楽しい会話となった。
「貴殿もずいぶんと心を折ったのだな」
レオーネが苦笑いに微笑んだ。その目はどこか遠くを見つめている。
「……キルケと貴殿の弟子、いったい何が違ったのだろうな……片や魔王として、片や神子として、同じく戦いを宿命づけられながらも、だいぶ違った結果になってしまった。キルケも我ではなく貴殿のところへ行っていれば……そう思わずにはいられん」
「そんなことはなかろう」
否定するルドルフの声を聞いたのか聞かなかったのか、レオーネは問わず語りに語り出した。それは静かな瞳の奥に隠していた悔いだった。
どうしてあの娘の虐殺を諫めることができなかったのか。どうしてあの小さな肩に大きすぎる業を背負わせてしまったのか。どうして魔王の務めなど下らぬと言ってやれなかったのか。どこか踏み込み切れなかった自分が不甲斐ない。
ルドルフは何を言うこともできない。自分がレオーネの立場にいたとしたらどれだけのことができたか。自分とレオーネの違いと言えば、たまたま特別な薬を持っていたということくらいではなかろうか。
レオーネは胸の前で拳を握りしめて言った。
「このような気持ちになるのなら、いっそ会わなかった方がよかった」
いつの間にか歯を食いしばり、眉根をしかめ、まるで苦悶の表情となっていた。
しばらくしてレオーネは再び平静ないつもの顔に戻って言った。
「すまぬ。楽しい話だけをしようにも、最後にはやはり悔しい話になってしまう。さて、そろそろよいか。もう十分だろう。そろそろ始末をつけてくれ」
そしてこれを最後とばかりに目を閉じた。
「思いがけず貴殿の弟子の話を聞けてよかった。あの世でキルケに聞かせてやるとしよう。キルケもまた初めてできた対等の友のことをなんだかんだいつも気にしていた。別れてのちは気に病んでいたというべきかもしれんが、ともかくそのこともまた伝えてやってくれ。友として忘れずにいてくれるよう」
それきり口も閉じ、レオーネは静かに己の最後を待った。
だがルドルフは動かない。理解できない言葉で何かをもごもごとしゃべっている。
レオーネは目を開け訝しげに尋ねた。
「さあ、我をキルケのもとに逝かせてくれ。きっとあの娘は今ごろ寂しがって泣いている」
「すまんがさっきの言葉を取り消してくれないか? 会わなかった方がよかった、ってやつだ。あれが本心のすべてではなかろう」
レオーネは釈然としない顔ながらも訂正した。
「……女々しいことを言った。無論、会ってよかったことも多くある。むしろ否定するべきことよりずっと多い」
「もうひと声。もう一度同じ機会があったとしたら、会うと会わない、どちらを選ぶ?」
「もちろん会うとも。会わない選択はない。次は別の道を行ってみせる。魔王などつまらぬとやめさせる。二人で好きに生きたらよかったのだ」
その言葉を聞いたルドルフはレオーネの肩の上に視線を移した。そこにはおぼろげな魂がわだかまっている。はっきりと形を成してはいないが、それはどうやら少女のものだった。
ルドルフは余人には理解できぬ死者の言葉で語りかけた。
『だそうだ。お前が納得したなら次の話に移りたいが』




