第四百十一話 セラの怒り
ルドルフがそちらを睨むと、背に夕日を浴びて立っていたのは笑みを浮かべたダークエルフ。
ディアドロである。
そしてもう一人、仏頂面のダムレイが横に控えていた。
「これはこれは。なんです、これは。この凄まじい有様は? 恐ろしいエルフがすぐそこにいるというのに、出て来ざるを得ませんでしたよ!」
ディアドロが愉快そうに言って辺りを見回した。
アリアナが剣を抜き、バルドは素早くセラの前に立った。周りの誰もが緊張に包まれ、臨戦態勢となる。ただキルケを抱えたレオーネだけは反応を示さず、そのままじっとうつむきキルケの顔を見つめていた。
ルドルフが矢面に立って言った。
「俺たちはお前らとは関わらない。すぐに去るからかまわないでくれ。誰にも、一切、話しかけるな」
「まあまあ、そう邪険にしないでください。少しお話しましょう」
笑うディアドロを無視してルドルフはみなとともにこの場を離れようとしたが、次の一言には反応せざるを得なかった。
「知りたくはありませんか? ガスコインの棺の在り処を」
「そこのだだっ広い地下迷宮のどこか、というところまでは俺も知っているぞ」
「お望みなら今すぐにも一歩の距離まで連れて行くことができますとも」
その言葉を聞いたルドルフが沈黙したまま動きを止めるとディアドロは言った。
「おっしゃる通りほかの方はけっこう。ルドルフ殿以外は席を外していただけますか。ああ、キルケはそのままで。レオーネは別にどちらでもかまいませんよ」
言われるままにルドルフがみなを促し人払いする。槍を担いだベルタが去り際に「何かあったらすぐに呼んでおくれよ」とルドルフの肩を叩いた。
やがて場にはディアドロとダムレイ、その対面にルドルフと冷たい表情のアリアナ、キルケを抱いてうずくまったままのレオーネ、それに毅然とした目つきのセラとその隣に控えるバルドだけが残った。
ディアドロは動く気配のないアリアナを一瞥して小さくため息をついた。次いで黙ったままのセラに視線を向ける。そのとたんにセラは言った。
「私も残ります」
「いいでしょう。セラさんもある意味関係者ですから」
その言葉が終わるか終わらないかのうちにルドルフが切り出す。
「で、話とは何だ。何と交換なら棺の情報をもらえる」
「せっかちですね。もう少し旧交を温めてからでも。せめてなぜ我々がここにいるのかくらいは聞きたくありませんか?」
「不要だ。必要なことだけさっさと言え」
ディアドロは肩をすくめて言った。
「ですがせめて前提くらいは必要なものとして語らせてください。我々がキルケをガスコインに預けようとしていたことはご存知ですね」
ルドルフがかつて聞いたことを、ディアドロは確認するように一から話した。まるでその話をまったく知らないセラにも聞かせるかのように。
キルケを花嫁として与える代わりに、ガスコインにその花嫁を監督させる。それは魔王としてもいささかやりすぎだったキルケに手綱をつけるためにディアドロが進めていたことである。
ところがガスコインはキルケだけでなくセラまで捕まえてしまった。そこでディアドロは急ぎ交渉のため、ここまで足を運んだのだった。
「交渉か」
「ええ、魔王を二人は取りすぎです。セラさんの方は諦めてもらおうと思いまして」
そこまで話したところでディアドロは笑みを保ったまま眉根をあげて、器用に困った様子を見せた。
「しかしまあ実力行使も辞さない覚悟で来てみれば、森が焼け野原になっていて、我々の仕事はなくなっていたというわけです」
もはや出て行く必要もなさそうなので隠れて様子をうかがっていたのだ。今の状況ができるまでは。
「ここまで聞けばもうルドルフ殿にはわかっていることと思いますが」
ルドルフは沈黙している。
「代わりにルドルフ殿にキルケのことをお願いできませんか? 前にもお伝えした通り、あなたの弟子として。報酬としてこちらは棺の情報を差し出しましょう」
それは予想通りの要求だった。いつかこのダークエルフが口にした話、ルドルフにガスコインの代わりをやれと言う話だ。あまりに馬鹿げている。エルフの前でそれを言うことがさらに馬鹿げている。普通ならば間髪入れずに一蹴したいところだった。魔王を束ねる上王など論外だと。
しかし今は棺の情報という一点が即答を躊躇わせた。
ルドルフが沈黙していると、ディアドロは変わらぬニコニコ顔で続けた。
「お膳立てはすっかり整っているんです。そこにいるかわいそうな魔王を助けてあげればいいじゃないですか。アンデッドとしてよみがえらせる。そしてあなたはその監督役を務める。どうです? この状況はまさに神が与えたもうた絶好の機会なのではと思うわけですが」
「神」と聞いてアリアナの眉がピクリと動いた。もっともダークエルフが神と呼ぶならばそれは悪神の方だろう。
刹那、ディアドロの横にいるダムレイが腰の大鉈を抜いた。その見据える方角を見れば、白獅子の顔となったレオーネがキルケの亡骸を地に横たえ立ち上がっている。いつもは静かなその瞳に今は激しい炎が踊っていた。
「動くな、レオーネ。一歩もだ。魔術を使うことも禁ずる」
しかしルドルフは今にもディアドロに飛び掛かろうと腰を落としたレオーネに主として命じた。牙をむき出しにして無念に吼えるレオーネを強引に従わせる。気持ちはわかるが、今はこれらと揉めている場合ではない。
だがルドルフにも止められない者がディアドロの前に立った。
「ふざけないでください。キルケのことをなんだと思ってるんですか! キルケだけじゃない。ヌイちゃんや私のことも」
セラである。
さっきは悲しみに濡れたその瞳が、今はいつにない怒りに燃えていた。
「人に勝手に魔王の呪いを与えておいて、しかも死んだ後まで利用しようだなんて、許せない!」
私はいない方がいい。さっきのそのキルケの言葉でどうしようもなくわかった。
キルケは呪いが解けなかった私だ。だから誰もが魔王キルケを憎み蔑むとしても、自分だけはそうすることができない。私だけはそうしちゃいけない。だって同じ痛みを知っている。
突然にぶつけられた激情に対してもディアドロは変わらぬ調子で応じた。
「キルケがよみがえればあなたもまた仲良くお話しできるのですよ? しかも同じリッチの弟子として。ガスコインと違ってルドルフ殿ならば決して悪いようにはしないでしょう。キルケもガディのように良き魔王となれるはずだ」
「そういうことではありません」
「ははは、師匠を一人占めにしたいですか?」
「私たちにかまわないで下さいと言っているんです」
「そうはいきません。あなたに魔王の力を与えたのは我々ですから。せめてその分は返してもらいませんと」
「誰もくれなんて頼んでなんかいません!」
「それにしてはあなたもずいぶんと魔王の力を便利に使っているようではありませんか。忌むべきもののように言いながら、矛盾しているのでは?」
「そんな話はしていません。人を煙に巻こうとするのはやめてください」
「いえいえ、煙に巻こうなどとは。私は我々の当然の権利を主張しようとしているだけで……それにそもそも今はセラさんの話をしているのではないのですよ。キルケの話です。それをルドルフ殿と話している」
「それを許さないと言っているんです」
それからしばらく問答が続いた。のらりくらりとはぐらかそうとするディアドロ。惑わされず己の主張を通そうとするセラ。ディアドロは見るからにそのやりとりを楽しんでいるようだった。
「キルケは失敗した。ですがもう一度チャンスを与えようと言うのですよ? キルケのためにこちらも虎の子の棺の情報を出そうというのに」
しかしおためごかしなその一言がセラの逆鱗に触れた。
怒りに顔を歪めたセラが短杖を構え、横にピタリと控えるバルドも剣を抜く。呼応するようにダムレイも先ほど抜いたままだらりと下げていた大鉈を持ち上げて構えた。もちろんアリアナもすでに抜刀している。
一触即発の空気である。
問答の間、思案にふけっていたルドルフは一拍遅れてその空気の変化に反応を見せる。
口をきつく結んだセラの姿にルドルフは心を決めた。
ただひと言言った。
「レオーネ、構えろ」
怒りと喜びの双方に打ち震えてレオーネが杖を腰から抜く。
余裕綽々だったディアドロは今日初めて笑顔を消し、不意を突かれたような顔となった。
「棺の情報はいらないのですか?」
だがルドルフがしたいのは別の話だった。
「履き違えるな。そろそろお前の話を聞くのにうんざりしてきたという話だ。キルケはアンデッドにしない。セラにちょっかいをかけるのも今後一切やめてもらおう。承諾できないのなら俺はここでそれ相応の行動を取る」
「セラさんに何かをする気など……キルケの話をしようとしたところに割り込んできたのはセラさんの方ですが?」
「どの口が。キルケの話になればセラがここに残るとわかっていたのだろう? あわよくばと考えていたのではないか」
ディアドロは笑顔に戻りパンとひとつ手を打った。
「ですがそちらはそんなことを言っていられる状況ですか? 棺の情報は?」
「不要だ。自分たちのことは自分たちでなんとかする」
またしても黙ったディアドロにルドルフは追い打ちする。
「ああ、回答せず逃げても構わんが、その場合、俺は承諾が得られるまで『相応の行動』を継続する。この場を離れた後もだ」
いくばくかの沈黙。
やがてディアドロはまた別の思い付きに目を光らせ、ニヤリと笑って答えた。
「なるほど……いいでしょう。ですがこちらもただ脅しに屈するわけにはいきません。代わりにあなたが――」
「だが代わりに俺が棺を見つけるところを見せてやろう。一週間以内にだ。どんな方法か、知りたくはないか? しらみつぶしに、などというつまらぬやり方ではないぞ」
ルドルフが言葉を被せる。被せられたディアドロはまた少し黙ったが、すぐにその目が興味の色を帯びるのがわかった。
「ほほう。これはこれは。いいでしょう。もしそのようなことができるのなら、お約束しますよ。キルケのことは忘れます。セラさんにも今後一切接触しない。人間の魔王の話はこれでもう本当におしまいです」
「たしかだな」
「ええ、二言はありません。ですができなかった場合、あなたにもこちらの交換条件をひとつ聞いていただきましょう」
「かまわん。こちらにも二言はない」
互いに念を押した後、ルドルフはダムレイを指差した。その手にはひとつの指輪がはまっている。
「ついでにあの指輪を少しの間貸してくれ。これは散々つまらぬことを言ってセラを怒らせた詫びだ」
それは『地行の指輪』。地をすり抜けて自在に移動できる魔道具だ。『飛行の指輪』ほどではないが、なかなか希少な品ではある。
「いいでしょう。お貸しいたします」
自分を通さず返された承諾の返事にダムレイの眉がわずかに動いた。
「セラ、それにアリアナもそういうことでいいな。ガスコインを詰むのにあれが必要なんだ」
アリアナは目つきは鋭いままながらも静かに剣を下ろした。
セラはまだしばらくディアドロの笑みをきつく睨んだままでいたが、やがてゆっくりと杖を下ろした。
指輪を置いてディアドロとダムレイが去った後、アリアナが聞いた。
「どうするつもり? 本当に棺を見つけられるの?」
「ああさっきセラの顔を見ていて、ちょっとはマシな手段を思いついた。正直、気の進まないやり方だがな」
ルドルフはすぐそばにいる弟子を見下ろして言った。
「セラ、悪いがまた力を貸してくれ」




