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リッチは少女を弟子にした  作者: 川村五円
第十章 吸血鬼の花嫁

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第四百十話 復讐の刃

「ふう」


 ルドルフはひとつ大きくため息をついた。まだ物想いに浸るのは早い。やるべき仕事が残っている。


 アクィラが本館跡にかぶっていた泥を焼き尽くすと、フィーネの言う通り地下への入り口がぽっかり口を開けていた。


 さらに流れ込んだ泥を除去すると、その真円の穴は巨大な竜がそのまま出入りできるほどの大きさで、螺旋階段が円周に沿って切ってある。下りた先には横穴があり、そこから先はどうやら石造りの地下迷宮だ。アルザンドをはじめとするアンデッドたちもここから現れたのだろう。


 ルインやメアを先頭に少数で軽く中を探ってみると、そこはダンジョンというわけではないが、無数のアンデッドの巣窟となっていた。もちろんサイラスの聖剣やルドルフの死霊魔術の前には大した脅威となるものではない。


 しかし底の見えない迷宮の闇にルドルフらは暗澹たる思いとなった。


 どうやらガスコインの復活を防ぐことは難しいようだ。花嫁をすべて失ったガスコインがこの先どう出るかはまったく予想がつかない。自暴自棄にでもなって暴れ出せば、村ひとつ、町ひとつをたちまち滅ぼす力を持った恐ろしい吸血鬼である。手当たり次第に手下を増やして軍隊を作ることすらできる。


 あるいはただ復讐を誓うだけの存在にとどまったとしても、この場にいる個々人にとっては間違いなく命にかかわる話だった。転移魔術を操るヴァンパイアの真祖から命を狙われるなど、悪夢という以外に形容のしようがない。


 ガスコインの復活までにはまだいくらかの日数があるはずだが、とにかく迅速に動く必要がある。


 ルドルフはアリアナやサイラスを交えて善後策を講じた。ともに迷宮にもぐっていたセラたちも話に加わり頭をひねる。


 しかしその議論の答えがなかなか出ないうちに、レオーネがルドルフの前まで来て言った。


「我の力はもうなくてもかまわないだろう。ここらでおいとまとしたい。術の解除を頼めるだろうか」


 それはアンデッドとしての生を終わらせてほしいという申し出である。


 もともとレオーネとはキルケを生きて救い出すまでという話だった。ルドルフは足りない戦力が欲しい、レオーネはキルケを救いたい、その利害がピタリと一致した結果だ。


 キルケが助かった今、レオーネにもはや永らえる気持ちはなかった。ルドルフとしてもそれを止めるつもりはない。


「我がこの場にいるとキルケも帰りたがらないようなのでな」


 レオーネが静かにそのひと言を発すると、不意にその背後から泣き叫ぶ声が聞こえた。


「帰らない! 先生がいなくなるなら私は帰らないから!」


 いつの間にかキルケが追いかけてきていた。


「キルケ……すでに何度も話した通りだ。我はもう死んだのだ。先ほどの言葉をもって先へと進んでくれ。西へ帰れば我のほかにもお前を支えてくれる者はいる。幾人かに後事は託してある」


「イヤッ!」


 レオーネが穏やかな瞳で諭したが、キルケは大きく首を振って拒絶した。


「先生じゃなきゃ私はイヤ! 先生が私をいらないと言うのだったら、もう行くところなんてない。お願い! アンデッドでもいい。私のそばにいて!」


 涙ながらの叫びにレオーネは足を止めて沈黙した。そのまま動くことができない。


 見つめ合ったまま肩で息をしていたキルケは、やがて何かに耐えられなくなったかのように顔を背け、白い枯れ木の森の方向へと駆け出した。レオーネはそれを追いかけなかった。ただ哀しそうな目で遠ざかるキルケの背を追うばかりである。


 その時だった。


 枯死した木立の陰から現れた何者かがキルケの腕を捕まえ、乱暴に振り回して背後から抱きすくめた。見れば顔を包帯で隠した灰色ずくめの男だ。手にする短剣はすでにその腹を深く抉っている。キルケは「ぐっ」とくぐもった声をもらし、苦痛に顔を歪めた。


「キルケ!」


 セラが悲鳴のような声をあげた。


「ようやく隙を見せてくれたな。お前は苦しんで死ね」


 誰もが目を見張る中、灰色の男だけが驚いていない。


 べったりと血の付いた刃が、今度はキルケの首筋に添えられていた。


「動くな!」


 灰色の男の制止する声が、走り出そうとしたレオーネの動きを止めた。


「キルケ!」


 セラがもう一度その名を呼んだ。目の前でキルケのローブはみるみる赤く染まっていく。


「動くな。特にルドルフさんは指ひとつ動かさないでくれ。妙な真似をすれば即座にこいつの首をかき切る」


「シュウ……か?」


 ルドルフは聞き覚えのあるその声の主の名を呼んでいた。シュウは呼びかけには答えず、自分の言いたいことだけを続けた。


「どうせ殺すが、もう少し思い知らせてやりたい。悪いがこのままこいつが死ぬまで見物していてくれ。ついでだから別れの言葉を交わしたいってんなら邪魔はしないぜ。すぐ死ぬようには刺してない。話す時間は思ったよりもたっぷりあるはずだ」


 今のシュウはアンデッドに、ヨミガエリになっている。ルドルフはすぐにシュウの主人が誰かを悟った。


「俺はフィーネを、お前の主人を捕えている。それが目的なら交換に応じる用意がこちらにはある」


 ルドルフはとっさに人質交換の条件を提示していた。しかしシュウは鼻で笑った。


「悪いが俺にはこっちの方が重要案件だ。フィーネからも西の魔王を、キルケを殺せと命令されているんでね」


 レオーネが燃えるような眼光をシュウに向けている。しかしルドルフと会話している間にもシュウは微塵も隙を見せない。誰かが動けば、その言葉通り、彼は直ちにキルケを殺すだろう。


「ふふ」


 苦痛に顔を歪めながらもキルケは小さく笑いを漏らした。


「結局は、こうなるの、ね。私は。ふふふ」


 そこまで言ってから「んぐっ」と吐きそうになった何かをこらえ、飲み込む。


 それからレオーネを見つめて顔を歪め、ぽろぽろと涙をこぼした。


「ごめんなさい、先生。私のせいで先生も、殺してしまった。私はやっぱり、いない方がいいね」


 わななく声で絶え絶えにそれだけ言うと、キルケは頭を垂れて目を伏せた。伏せる直前、一瞬だけセラへ視線をやった。ともに歪んだ顔。わずかに目が合う。それは本当に瞬きほどの間だった。


 レオーネが何かを言おうと口を開いた。キルケは顔をわずかに上げて言った。


「さよなら」


 だがその瞬間、頼りない言葉の響きとは裏腹に、キルケは俄然歯を食いしばった。決死の眼光となり、短剣を持つシュウの腕を両手でつかんでもがきだす。


「馬鹿が。観念した振りをして油断させようとしても無駄だ」


 しかしキルケの意図はそのシュウの考えとは別のものだった。シュウがキルケを逃さじと力を籠めると、彼女がもがくにつれて喉にあてられた刃が肉に大きく触れる。その冷えた感触を感じるや否や、キルケは思い切り首を捻っていた。


 よく研がれた鋭利な刃がその喉を深く切り裂き、血が派手に吹き上がる。間もなくキルケの体は力を失い、抱きすくめるシュウの腕の中でだらりと垂れ下がった。


「馬鹿なッ! こんなにあっさり! そんな楽な死に方がお前に許されると思うのか!」


 思いもよらぬキルケの行動に、シュウが狼狽し言葉を叩きつける。


 刹那、レオーネの固く握った拳が隙だらけとなったシュウの顔を思い切り殴りつけていた。キルケの体を放して無様に吹き飛び転がったシュウをレオーネの魔術が追撃する。無数の風の刃にズタズタにされて、シュウはそれきり動かなくなった。


 仰向けに地に臥すキルケをレオーネが静かに抱き起こした。セラは治癒の霊薬を手に駆け寄ったが、そのすぐそばまで来てなすすべなく立ちすくんだ。


 血まみれになって瞑目するキルケはすでに事切れていた。その顔は笑ってもいなければ泣いてもいない。


 黄昏の冷たい風が吹いてきた。誰もが言葉もなく、しばしその場に立ち尽くすほかなかった。


 パン、パン、パン。


 その沈黙を破ったのは、癇に障る拍手の音だった。

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