第四百九話 歪んだ真祖
フィーネは観念したようにため息交じりで言った。その声は彼女一人のものに戻っている。
「棺の場所を教えたら、私を滅ぼさないと約束しましたよね?」
「お前とはもう取引しない」
にべもないルドルフの言葉に、フィーネは鼻で笑って嘲りの表情を見せた。
「せっかくだから場所は教えてあげますよ。どうせ見つけることはできないでしょうけど」
明後日の方向にも大量に流れて広がっていった亡者の泥を総出で始末する中、ルドルフは仲間たちの半ばをその場に呼んだ。アリアナとルクリア、セラとバルド、それにサイラスと護衛のリズ、ザイオン。泥の始末を手伝う手段のないベルタ、メア、ルインも来ている。
フィーネは彼らの前でガスコインの館の本館の地下に広がる迷宮の存在を明かした。棺はその迷宮の奥深くのどこかに隠されている。その具体的な位置についてはフィーネも知らないという。
彼女が勝ち誇る理由はその迷宮の広さだった。聞けば千五百年にわたって拡張され続けている。何としてでも己の棺を守らんとするガスコインの最後の砦である。これにはルドルフも思わず唸った。
「ひどく広大な迷宮です。もし一年、二年で見つかれば褒めてあげますよ。絶望しましたか? 絶望したならそのおぞましい剣で私を滅ぼすといいでしょう。復活したあのお方が怒りに狂ってあなた方を一人一人殺していくのが楽しみです」
「フン、百年は立ち直れないのではなかったのか」
ルドルフが鼻で笑うと、フィーネはしれっと言った。
「私が滅ぼされたのですよ? ほかの花嫁のそれとは話が違いますとも」
動きを止めた亡者の泥が根こそぎ払われるのは時間の問題だ。泥がすべて消えればこの女は聖剣で容易く滅びる。
だがしかし彼女は聖剣を前にして、己の滅びを前にして怯える様子もない。ルドルフはここに至って一つの確信を得た。
「フィーネ、本当は滅ぶ気などさらさらないのだろう。貴様も真祖だな」
フィーネは牙を見せて声もなく笑った。その意味するところは肯定である。
それは急に降ってわいた直感ではなく、薄々そうではないかと思っていたこと。ルドルフが前々から不審に感じていたことの積み重ねであった。
先日バフラムで見せた再生能力。ヴァンパイアとして同じ花嫁であるルクリアにもはるかに勝るそれは、つい一昨夜見たばかりのガスコインの再生力に近い。
またガスコインに気取られず暗躍できるというのも配下のヴァンパイアとしては妙だった。いつか言った一時的に監視を外すすべが本当だったとしても、こいつが独立して動いていた時間は長すぎる。
亡者の泥を生み出し、数多のアンデッドを従える死霊魔術師としての腕前も真祖の名に恥じないものである。
こうして己を一撃で滅する武器を前にして大立ち回りを演じられたのも、自分が一度滅んで終わりではないと知っているからこその動きだったというわけだ。
「ふふ、それを知ったところで、あなた方は私の棺を見つけることもできない。あのお方と私は完全なる永遠なのです」
正体を知られたところでなんということもない。フィーネはそう言いたげに笑った。
「どうして……」
ルクリアが哀しげに口を開いた。
「どうしてみんなを殺しちゃったの? あんなに優しかったのに」
「たしかに私はみんなのことが好きでしたよ。同じ血族ですから。それにみんなかわいそうな子たち。でもずっと我慢もしていたのです。あのお方の気持ちが私だけを向かないことに。でもあのお方のために我慢してきましたよ。あのお方の喜びのためと思えばこそ、ずっとずっと我慢できたのです。それが……」
高らかだった声が徐々に調子を落とし、不思議そうに首を傾げた。
「それが、どうして我慢できなくなったんでしょうね?」
そして不意に鬼の形相となった。
「「「これもすべてあの女のせい。すべてがあの女のせい。殺してやる。ああ、無念だ。すべてを殺せなかったのが無念だ」」」
再び重なる声。それからすぐにまた一人の声に戻って言った。
「……私としたことが、これはどうやら死者たちの想念に引きずられてしまったと認めざるを得ませんね」
フィーネは力ない笑みを浮かべる。
「もはや言っても詮無きことですが。これからはせめてあのお方とともに、彼女たちの思い出を偲んで生きていくとしましょう。何も後悔はありません。この素晴らしい解放感。私だけのあのお方。早くこうすればよかったのです。私はこの喜びとともに自分の思うままに生きていく」
その声には徐々に高揚と嘲りの色が戻りつつあった。
「くれぐれもあのお方に見つからないように、我々の手の届かない場所で静かに暮らしてください。セラ、ルクリア。それにあの娘も。もしそうしないなら」
またしても声が重なった。
「「「あのお方が見つける前に私が殺してしまいますから。あのお方と私との間に割り込もうとするものはみんなみんな殺してしまいましょう」」」
セラ、そして隣にいるバルドは黙したまま険しい顔でそれを聞いている。そのフィーネの様子を見てルドルフは決断した。
「たしかに貴様らは不滅のようだ。だが滅ぼす以外にも不死者を無力化する方法はある」
そう言って彼が取り出したのは銀色のメダリオンだった。
フィーネの瞳が動揺に揺れる。
「まさか、あり得ない」
「ふむ。これが何かを知っているのか」
『封魔のメダリオン』。
いつかデダルスがルドルフを封印した魔道具である。相手が無防備であること、という条件はあるものの、魔の者であれば、誰であろうと、なんであろうと封じて閉じ込めることができる。
その効果は永続的。封じたメダリオン自体を誰の目にも触れない場所に隠せば、未来永劫復活はない。
デダルスの館から拝借してきたこの品を、ガスコインとフィーネのどちらに使うかはひとつの迷いどころだった。
しかし今やルドルフはそのどちらかを明確に決めていた。フィーネの方がより危険だ。聖剣を前にしてなりふり構わず逃げようとするガスコインの方がまだ可愛げがある。それにこいつの中にはまだ澱みの力がまだまだ残っている。それだけでも危険すぎる女である。
ルドルフはフィーネの額に銀のメダリオンをかざした。ルクリアが神妙に口を結んでそれを見ている。
「駄目……ああ、駄目、駄目……お願い、それだけは……それだけはやめて。堪忍してください! 私とあのお方を引き離すのだけは! 私がいないとあのお方は……!」
「安心しろ。封印されている間は完全なる無だ。意識もなく一人ぼっちを寂しく思う暇すらない」
「やめてください! やめ――」
フィーネの懇願にもかまわず、ルドルフは躊躇なく封魔のメダリオンの力を解き放った。最後の言葉も空しく途切れ、フィーネはその小さなメダリオンに吸い込まれ、それきり姿を消した。
その様を見届けたルクリアが寂しげに言った。
「魔物たちを狩り始めてからだった。フィーネが少しおかしくなっちゃったのは」
ルクリアから先だって聞いた話によれば、フィーネはほか六人の花嫁たちへの嫉妬をあらわにしつつも、よく彼女らの面倒を見ていたという。愚痴愚痴言うその様はむしろ可愛らしく微笑ましいくらいだった。
同時に快楽にふけるだけで働かないガスコインに代わって館を甲斐甲斐しく切り盛りし、時々激高して暴力を振るうガスコインを抑えることも多かったとか。中にはガスコインを根強く嫌い続ける花嫁もいる中、その正妻とも言えるフィーネは誰からも好かれていた。
「本当にみんなのお母さんみたいだったんだ」
「……」
ルドルフは何も口にしなかった。
やはり短期間の間に大量の澱みを吸収したことが彼女の破滅を招いたのだろう。
人々の怨念の塊である澱みに長い間触れれば、どんなにすぐれた死霊魔術師だとしてもその影響からは逃れられない。新米のリッチであるルドルフはもちろん、千五百年を生きるヴァンパイアであるフィーネも例外ではなかったということである。




