第二百七十話 偵察行
翌朝、ルドルフがベルイン平原への途上、旧王国領の要衝であるヨルデ城塞に姿を現すと、そこではちょっとした小競り合いが起きていた。
見渡す限り真っ白な薄雪に囲まれた城塞を舞台に、西から流れてきた魔物の一団と、城塞を守る人間の兵士たちが戦っている。この城塞はこの地域を抑える大砦であるが、その割に起こっている戦いの大きさが釣り合っていないのは、双方ともに数が少なすぎるせいだ。
攻める魔物側の内訳を見れば、装備も粗末な五百ほどのオーク。守る人間側は黒い将国の旗ではなく青い王国の旗をかかげている。旧王国兵だろう。反撃の乏しさからして数は攻め手よりずっと少ないようだ。
今はまだ分厚い城門がオークたちを阻んでいる。侵略者たちが城塞の中核に至るには、同じような城門をいくつも突破しなければならない。しかし攻め手はほとんど一方的に攻撃できる状況にあるからして、あの堅固な門の数々が破られるのも時間の問題だ。ましてやまだ西から魔物の増援が来る可能性を考えれば、この砦は近いうちに確実に落ちる。
それを知ってか、オークたちはこの凍てつく冬の朝だと言うのに熱気たっぷりに吼えている。わずかな積雪が泥と踏み荒らされていた。
「依頼された業務とは違うが、ちょっとサービスしとくか……」
ルドルフはそう言うなり、幾度かショートリープの魔術を使って、城門の上に現れた。突然現れた巨漢の髑髏頭を見て、周囲の数人の兵士が腰を抜かす。
「くっ、こんな奴まで来たのか……!」
隊長と思しき鎧の男が呻くようにそう言い、剣を抜いた。しかし彼我の実力差を測るくらいの能力はあるようで、すぐにかかってくることはしない。
「私はお前たちの味方だ。間もなく将国に変わって新たなる王がこの土地に君臨する。その王がお前たちを西の魔王の脅威から守ってくれるだろう」
対話を試みてもこちらを睨んだまま反応しない隊長を尻目に、ルドルフは城門の下を見下ろした。オークが塊になって城門を破ろうとしている。
ルドルフはひとつ呪文を唱え、次元収納から自分と同じ背丈の巨大なスケルトンを召喚した。
少し前までアルティメット・マローダーと呼んでいた、極限まで強化した傑作の巨大スケルトンである。実は二体いるマローダーのうちもう一体も同じレベルまで強化したので、最初にアルティメットにしたこちらを今はマローダー・ワンと呼称している。
もとの髑髏頭と同じサイズの骸骨が現れたことで、周りの十人にも満たない兵士たちは驚き一層距離を取る。
「行け」
周りの反応を意に介さずルドルフが命ずると、マローダー・ワンは二十メートルはあろうかと言う落差を躊躇せずに落下し、着地のついでにオークの何体かを圧し潰した。それから燃え上がる幅広の剣を激しく振り回し、猛然と周りの敵を蹴散らし始める。
オークの悲鳴と怒号があがる中、さらに続々と剣を持った骸骨が城壁の上から地上へと降って来た。ルドルフが竜の牙から生み出した竜牙兵たちである。それらはみるみるうちに数を増やし、最終的には六十体の竜牙兵がオークたちを追いかけ殺し始めた。
城門の上の兵士たちは何が起きているのかわからないと言った顔でその蹂躙の様を見ている。やがておののいて算を乱したオークたちが逃げ切れずに全滅するまで、さほど時間はかからなかった。
ルドルフは次に城門の上から冥王の杖を振った。すると倒れたオークたちがゆらりと起き上がり、城門を守るかのように隊列を成した。オークゾンビ五百、竜牙兵六十、仁王立ちしたマローダー・ワンが守備を固める形となる。
「また様子を見に来る。お前たちは砦の奥で大人しくしているがいい」
ひとまずヨルデ城塞さえ無事なら、ここから後方の土地は安心だ。隊長が何か話しかけてくる気配を見せたが、ルドルフはかまわず転移魔術で姿を消した。
それからルドルフはしばらく敵情視察にベルイン平原の周囲を見て回ったが、魔物たちの軍団はアリアナから聞いた通り南東、つまり将国領の方へと主に流れている。ベルイン平原から東の旧王国領へ続く道がのきなみ峠道であるため、地形的により進みやすい方に向かっているようだ。
様々な場所から角度からその威容眺めるに、どうやら先ほどのオークたちのように容易く片付けられるものばかりではない。
多種多様な種族のそれぞれに、ただならぬ面構えをした精鋭部隊と思しき者たちや、その長たちがいる。また巨大な魔獣の姿もその中にある。残念だがルドルフ一人で相手取っていい規模の敵ではなかった。
せめてあれらがヨルデ城塞に向かわなかったことに感謝するしかない。
ルドルフがそんなことを考えつつ眺めるはるかな眼下に、二千ほどの軍が待機している。その中ほどには濃い群青に白い獅子の顔をあしらった軍旗がはためいていた。伝え聞く西の魔王の旗だ。そのたもとの馬上に豪奢な厚い毛皮の外套をまとった将らしき者がおり、側近と思しきローブ姿の偉丈夫が同じく馬上にある。
望遠鏡を取り出して様子をうかがえば、将の顔は防寒のための帽子とぐるぐる巻きのマフラーに隠れているが、偉丈夫の顔は意外なことに人間の顔をしている。周りを固めている者たちも同様に人間の顔だった。しかし西の魔王の軍の噂が真実だとすれば、人間がその軍にいることはあり得ない。おそらくはすべて獣人だろう。
ルドルフが視線を吸い寄せられたのはその偉丈夫にだった。そしてそれに応じるように男もこちらに顔を向けた。傷だらけの顔をした容貌魁偉な男は、その面構えに似つかわしくない穏やかな瞳をしている。望遠鏡越しにその静かな瞳とひたと目が合った。そんな気がした。
だがルドルフはずっと距離を隔てた岩山の上に身を隠している。まさかと思いつつも思わず望遠鏡を下げ、じっと息をひそめた。
男はしばらくそのままこちらを眺めていたが、やがて話しかけてきた将の方を向いて何やら受け答えし始めた。その隙にルドルフは転移魔術で姿を消した。
ルドルフが次に姿を現したのは、アルバーグよりはるか南方。数十年の長きにわたって王国と将国を隔ててきたヌース砦である。ここは山地と平野の境に建てられた天険の地にある要害で、将国兵たちも今回の謀略がなければ容易くは突破できなかったはずだ。
そのヌース砦は今、将国の領するところとなっていて、守兵はどことなくのんびりとした様子でそこを守っていた。もしかすると、いや確実に、彼らはまだ自国の軍が大敗して全滅した事実を知らないのだ。
とりあえず、ここはまだベルイン平原からは程遠い。魔物たちがやって来るまでにはかなりの時間を要するだろう。先ほどと違い、急を要するサービスは必要なさそうだ。
ヌース砦を後にしたルドルフは、街道に沿ってめぼしい町や村をたどりながら北上し、真冬の黄昏が雪を薄赤く染める頃、旧王国の首都にして中央大陸随一の都市、アルバーグへとたどり着いた。
重厚な城壁を無視しておもむろに町中の寂しげな一角に転移したルドルフは、認識阻害の面をかぶり、夜に紛れて歩き始めた。
ルドルフにとってアルバーグは懐かしい都市であった。極北への旅の途中に三ヶ月ほど滞在した時のことを思い出す。
しかし町の様子は記憶と違ってどこか寂しくよそよそしい。それは五十年以上の時を隔てているからというより、将国の占領下にあることが大きく影響しているようだった。南方大陸の王都マクベルンを凌ぐ大都市であるにもかかわらず、その規模にふさわしい賑わいとは無縁である。
たまに酒場で馬鹿笑いしている者はみな将国の兵士で、ほかの客は誰もが彼らに目を付けられないようにこそこそと不景気な顔をしている。
この有様を見るに、ここにもまだ将国が決戦に敗れたことは伝わっていないらしい。それもそのはず、実のところ、その決戦が行われてからまだ一週間と経っていないのだ。
ベルイン平原からここまでは早馬でも十日はかかる。雪の道ならばもっとである。そもそも大敗の結果を伝える早馬を出す余裕があったかすら定かではないが、いずれにしろ彼らが真実を知るのはまだ先になるだろう。
この状況をどう利用するか、考えるのはガディたちの仕事だ。
アルバーグに残っている兵の数などを探るのは、明日、明るくなってからにしよう。
ルドルフは今日の最後にこの町の処刑場へと向かった。
その処刑場の前の広場には、昨年、冬の初めに処刑された王族の遺体が無惨にさらされていた。数十人分の屍は冬の厳しい寒さゆえに腐りはしないが、それでもカラスやネズミに食い荒らされて、ほとんど骨だけになって凍り付き散らばっている。
この残酷な光景は、将国の兵士たちの持つ王国への怒りと憎悪の強さを物語っていた。かつては手を取り合って魔物たちを駆逐したはずの両者は、数十年の間にそれだけの確執を積み上げていたのだ。
しかし仇敵を降して快哉を叫んでいたはずの将国も間もなく滅びる。ルドルフは諸行の無常を思うほかなかった。




