第二百六十一話 戦いの前夜
ガディの館で開かれた軍議は重い空気に包まれていた。ノルダの関から戻って来たルドルフとヴァルターのもたらした情報がその空気をさらに重くする。
北からトロール兵団、南から東アストル将国、示し合わせたように同日に攻めてきたことに、どうしようもないきな臭さがただよっている。ましてやこの冬のさなかに。かたや流氷を渡って、かたや雪をかきわけて。
将国が赤竜だけではなくルドルフの情報まで知っていたというのも嫌なかんじだった。
席に居並ぶ一同を前に、スウェンが改めて状況を整理する。
まずザマルに留まっている味方で正規兵と呼べるのはおよその数で魔物が九千、人間が三百である。一方のトロールの兵力は少なくとも三万を超える。正確なところはわからないが、多ければその倍、六万ほどにもなるだろうか。
町の男たちをかき集めて即席の兵とすればこちらはその少ない想定、三万の方には拮抗する数となるが、いずれにしても選択肢は籠城戦しかない。同数以下で野戦を挑めば、体格ならびに練度ではるかに劣る味方に勝ち目はない。そこに疑問を差し挟む者は誰もいなかった。
追加兵力の話をすれば、ザマルを除いたガディレルムの国土にはまだ二十万近い魔物たちがいる。質はともかく戦える男たちだけでも五万から七万は都合できるはずだ。だが実際問題、雪深いこの時期に味方の兵を集結させることは無理のある話だった。となればそれはまったく意味のない数字である。
籠城しても果たして耐えられるか、という点においては意見が割れた。
ダドリーは余裕で耐えられると主張する。
戦えば順当に勝てると。沈みがちな空気の中、彼だけは終始意気軒高である。
攻城戦は攻める側に三倍の兵力がいるといわれる。そのシンプルな計算によれば彼我の戦力差は圧倒的にこちらの有利だ。ノルダの関にいくらか援軍を差し向ける余裕だってあるだろう。彼はもちろん正規兵以外も頭から数に入れている。
一方でヴァルターとスウェンはその算数に懐疑的だった。
トロールの精強さや再生能力を加味した時、その目算は有効といえるのか。三倍というならちょうどトロール三倍兵という言葉もある。それはトロール兵一人が他種族の兵三人に匹敵するという意味である。
黙って聞くルドルフも慎重派に一票だった。どちらかと言えば思い切りのいい方に属するヴァルターですら楽観的になれないのだ。その事実は重視せざるを得ない。
そのヴァルターがルドルフに水を向けた。
「倒したトロールをアンデッドにするのは本当に駄目なのか」
「ああ、ゾンビになったトロールは大幅に弱体化する。戦いながらそれをするくらいなら、ほかのことに魔力を使った方がいい」
それは先ほど、将国が対死霊魔術の備えをしていた事実を報告した際に、ついでに一度説明していたことだった。
トロールの最大の強味といえばそれは間違いなく再生能力だ。生命力が残っている限りにおいて、手足が折れて骨が飛び出ていようと、腹が切り裂かれ内臓がこぼれていようと、あるいは心臓が貫かれていたとしても、時を置かずして健常な状態に復帰する。
だがトロールをゾンビにした場合、その無二の強みは失われてしまう。生きたトロールに比べて耐久力が大幅に落ちるのだ。
またゾンビにした場合に失われるものがもう一つある。それは訓練や経験によって獲得した戦闘スキルである。生前の技量が高いほどその落差は大きい。死者と生者の戦力差はここでも大きく水をあけられる。
それでも以前ザマルにいたトロールたちをゾンビにしてノルダの関まで行進した時は、圧倒的な数の有利と不意打ちによってその差を埋めた。だが今回はその数の有利も相手の方にあり、不意を打つこともまた難しい。
「しかしまあお前さんのことだ、なんとかする手はあるんだろう?」
ヴァルターが調子よくルドルフに期待のまなざしを向けた。
そんなことを言われても本当にノーアイデアだ。
だが少し考える。戦いの鍵となり得る戦力ならこちらにはある。
赤竜グレアズ。リッチのルドルフ。魔術師のセラ。白竜のゾンビたち。
中でも赤竜は火に弱いトロールたちを相手にするにはうってつけだ。さすがに無防備で出せば時をおかずしてやられてしまうだろうが、そこはルドルフかセラが張り付いて魔術で守れば大丈夫。城壁も利用してうまく立ち回れば一軍をも相手取れるはずだ。
白竜のゾンビは無防備な港側の守りとするため自在には動かせないが、戦況によってはルドルフが細かく指示してもっと積極的に動かす案も考えられる。ゾンビとはいえ腐っても竜だ。これらも頼みになる戦力と数えていい。
もっとも、それでも確実に勝ちを拾えるとは断言できなかった。せいぜいやれるだけやってみるとしか言えない。
そしてそのやれるだけやってみる、の中には端から含まれないものがある。
「うまくいっても守れるのはザマルだけだろう。同時にノルダの関は厳しいと思っている」
もちろん優先的に守るべきは国の中核であるザマルだ。ノルダの関に戦力を割いてザマルが落ちてしまっては元も子もない。
だがノルダの関を抜かれるのも痛い。関を越えた敵軍がザマルまで侵攻するとしたら、その間の土地にいる魔物たちは間違いなく全滅。中核を守ったとしても手足を切り落とされるようなものである。痛恨の損害だ。
将国が死者のアンデッド化を防止する備えを講じていたのはルドルフにとって頭が痛かった。
「なんとかする手」として有望だった手段が封じられてしまったのだ。
難攻不落の関に挑む敵方は一方的に大量の死傷者を出す。そちらは本来ならば死霊魔術師のルドルフの独壇場となり得た戦場であった。ノルダの関で調達した兵力をザマルに回すことすら可能だったかもしれない。
再度アンデッド化に触れたついでに、思いつくままに口にする。
「なりふり構わないひどい手ならある」
それは倒れた味方をアンデッドにするという手段だった。たとえばダドリーやグレアズといった強者を一時的にでもヨミガエリにする。さすればルドルフの強化と補修の魔術によって、その者らは文字通りの不死の戦士となる。上位アンデッドであるヨミガエリはゾンビとは比べ物にならない強化ポテンシャルを持つ。戦力差を埋める大きな力となるだろう。
「王と国を守るためならば、アンデッドになったとて望むところ」
ダドリーが毅然として言った。グレアズはただ怯えの表情を見せた。
だがルドルフはもちろんこれを結論にするつもりで言ったのではない。
「とはいえ、これでもまだ決め手になるかは断言できん。正直、頭を絞ってもう少しマシな策を出してもらいたい」
しかしそれからいくら議論してもそのマシな策は一向に出てこなかった。
夜更けまで続く軍議の中で誰かが言った。
転移門で逃げるというのはどうだろう。ザマルを脱していずこかの地で再起を図るのだ。
ガディは即答した。
「僕は逃げないぞ。王が最後まで戦う気概を見せなければ、命を張る兵たちに申し訳が立たない。それにここを捨ててどこに行く場所があるというのだ」
小さなコボルト王が勇ましく言うことはまさに正しかった。
少数ならば山奥の獣人の里に落ちのびるという手もある。しかしそうなってしまえば再起するのはおそらく絶望的だ。逃げた者たち以外はトロール兵団と将国に蹂躙され、ほとんどが殺されるだろう。ザマルの民の多くも切り捨てざるを得ない。
戦いに敗れれば最後は否応なくそうせざるを得ないやもしれぬが、それは積極的に取るべき手段ではなかった。
「転移門か」
テーブルがしんとした時、ルドルフがつぶやいた。
「よそから援軍を呼ぶことならできるかもしれん」
間もなく軍議は解散となり、銘々が自分の役割を果たすべく動き始めた。
セラたちは明日に備えて体を休めるのがとりあえずの仕事だ。帰宅の道すがら、ルドルフは隣を歩くセラに言った。
「結局、戦になってしまったな」
「いえ、覚悟はしていたことですから」
自分としてはこうならないように手を講じていたつもりであったが、相手の手札はその上を行っていた。そんなルドルフの無念を知ってか知らずか、セラはまっすぐなまなざしで勇ましく答えた。その隣でバルドも戦意に満ちた目をしている。
多くの知り合いがいるこの国を守ることはもはやセラにとって他人事ではない。あくまでアリアナとの契約を履行しているにすぎないルドルフとは心意気が違った。
自宅の前でそのセラたちと別れたルドルフはその足でヴァルターの家に向かった。これからともにノルダの関に出向き、明日城壁から落とす岩を魔術で補充しておくことになっている。
ヴァルター家では夜遅くにもかかわらずまだ子供たちが起きていた。
「お前ら、きちんとお母ちゃんの言うことを聞いて大人しくしてるんだぞ」
「早く帰って来てね」
「絶対だよ」
ヴァルターは笑って言い聞かせたが、二人の息子は不安そうな表情をしている。町のただ事ではない空気を感じとっているのだろう。両側からすがるように父親の手にしがみついている。父親は太ったその息子たちを片腕に一人ずつ、軽々と抱え上げた。
「はっはっは。お前たちがいい子にしてたらすぐ帰るとも。約束だ。父ちゃんが今まで約束を破ったことがあるか?」
「お夜食包んでおきましたからね。明日はうちで食べられるの?」
「こいつはありがたい。まあ明日も帰れるかわからんが、あまり遅くはならないようにはするよ」
おかみさんはいつも通りニコニコとしながら、つい先ほど包んだ弁当を渡す。ヴァルターもいつも通り狩りにでも行くように軽く応じた。その両親の何もない様子に安心したのか、抱えられたままの息子たちも笑顔になって、楽しそうに父親の顔を抱きしめ髪を揉みくちゃにした。
「待たせたな。行こう」
戸口の外で待つルドルフに合流した後、ヴァルターは見送る家族に手をもう一度振る。そして暗がりの中を足早にノルダの関へと向かった。




